負け組ゆとりの語り場

社会に取り残された男が日々を語る

断酒生活3日目に突入、ここが正念場

最近続けている断酒生活は今日が3日目になる。

一昨日と昨日は無事一滴も酒を飲まずに乗り切ることができた。朝を快適な状態で迎えられるというのは非常に喜ばしいことだと改めて思う。

朝が不調というのは前日の快楽を犠牲にする価値が十分にある。しかもここ2日お酒を飲んでいないことで出費も抑えられているためその達成感もある。時間をかけて体を綺麗に戻していくという挑戦はやりがいがある。

 

しかし3日目というのは以前挫折したことがあり、アルコール依存状態に陥ってからは乗り越えられたことが無い難所になる。

その時は2日目の段階ですでに酒を買いに行き明日のために準備していた。その後反動のように1週間にわたり飲み続けて結局また元に戻ってしまった。

ダイエットのリバウンドのように、一度何かを我慢すると次それが解放されたときに以前より悪化してしまうことがある。

二週間分の酒を買いためたはずだったのに一週間で切らしてしまう程ハイペースで飲んでしまった。

 

今回は前日に明日飲んで発散しようという予定を立てていなかったので、断酒生活を順調に続けられるかもしれない。一回目の失敗に学んで徐々にお酒ない状態に慣れようとしている。

やはり地味に聞いているのが小説を読むという習慣で今回はこれがあることで何もやることが無いときにお酒に走ることを避けられている。何も楽しい事ややることが無いから即自的な快楽に走ってしまうが、黙々と読書をする習慣を作るととりあえず何かをしたい時の暇つぶしになる。

また音楽を聞くというのも十分しらふ状態でもテンションが上がることに貢献することも発見した。

今までの自分は酔っているときのテンションをさらに高めるために音楽を聴いていたのだが、そうでない時に音楽を聞いても楽しいというかつての感覚を取り戻しつつある。

 

アルコール依存になると、飲んでいない時は何をしてもつまらないという錯覚に陥り積極的に何かをやろうとしなくなってしまう。考えることはただお酒が欲しいという事だけになってしまうのだ。何かを楽しむにはまずお酒を飲んでからという思考回路が形成されてしまう。

「そんなことをやっても楽しくない、まずは酒を飲みたい」という発想になっていく。

あらゆることがアルコール無しでは楽しめなくなるのだ。

 

そのため今の自分は地道に飲んでいない時に楽しむ方法を少しずつ探し、なるべく自暴自棄にならないようにしている。散歩をして自販機でジュースを買って飲むだけでも陰鬱とした気分の発散にはなる。

 

それでも時折まだお酒を飲みたいと思う時がある。

ふいにかつての生活や習慣が懐かしくなり、もう一度その時のような体験をしたくなる。これだけ我慢したのだからご褒美でこれぐらいならいいのではないか、そんなことを考えてしまうのだ。そして積み重ねてきたものをまた元に戻してしまう。

何かをつまみにお酒を飲む晩酌を一度楽しんでしまえば、それが次の日もしたくなる。一日だけ限定で楽しむということができなくなり、毎晩の習慣になってしまう。これがまだ働いている人が夜に一日の疲れを癒すためにするならば問題はないだろう。

しかし自分のような暇を持て余し、やるせない鬱屈とした思いを貯めこんでいる無職の人間はやることが無ければそれが1日中の行動になってしまう。

 

「飲めるときは飲む」という習慣になり、ただひたすら1日を怠惰に過ごすことになる。それ以上の快楽が無いことで、てっとり早く楽しめるお酒に頼ってしまうのだ。

そして徐々に貯金が浪費されていく。

一度快楽を覚えればそれが毎晩の事になり、そして終いにはすべての時間を費やすようになり、破滅する。

かつての自分がまさにそうだった、ただ醜く怠けて何かを先延ばしにし終局へ向かっていた。ウイスキーを薬のように毎日飲み内臓を傷つけるという狂気の沙汰のような生活をしていた。底辺の負け組の象徴のような哀れな人間だったのだ、そしてそんなことをしていても何も変わらない。

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人間は本当は餓えている状態のほうが良い。

元来人間や生物というのは常に食糧や快楽にありつけている状態の方が珍しいのだ。現代人は三食毎日食べるということが習慣になっているが、人類が登場したころは農耕もなく狩猟採集の生活を行っていた。

そして人類の歴史を紐解いたとき農耕を開始してからの時間は非常に短く、更に近代国家が形成されより食料供給が安定するようになった時代は更に短期間になる。

 

生き物というのは不思議なもので食べないことが不健康のように思えるが、実は毎日食べていることの方が不健康になりやすい。餓えて人間が息絶えるまではかなり時間がかかり、水さえあればなんとな生活できる。

胃に常に何かがある状態より、何も入っておらず餓えている状態の方が自然なのである。

ましてそれが人類が発明したアルコールという物ならばより不自然だ。

酒は人間を堕落させてしまうのだ。

アボリジニという偉大なオーストラリア原住民のハンターは、西洋人が持ち込んだアルコールによってその感覚を完全に失ってしまった。今アボリジニはオーストラリア政府の補助金に頼り酒ばかりを飲んで暮らしている。

 

現代人は快楽や食欲が満たされていることで狩猟をしていた頃の感覚を失っている。

本来人類は氷河期さえも乗り切る強い能力があるが、現代人の多くが無人島に何も持たずに送り込まれただけで息絶えるだろう。

常に快楽に恵まれている状況では本能を失ってしまう。

まさに今までの自分は毎日酒におぼれあらゆる感覚が鈍っていた。

感性を研ぎ澄まし、眠っている潜在能力を発揮する為にもこの断酒生活は重要なのである。人生を変える飛躍を遂げるには、これ以上酒におぼれ能力を衰えさせていてはいけないのだ。

断酒で人生を変える、もうそれしかない追いつめられた段階に今の自分は来ている。