負け組ゆとりの語り場

社会に取り残された男が日々を語る

貧乏だと日常生活が苦痛で仕方がない

ただ日常生活をしてるだけで嫌になる、生きてるという活力がわいてこない。

特にこの夏自分を苦しめていることが2つある。

それはエアコンと冷蔵庫が自由に使えない事である。

エアコンに関してはそもそも壊れており使えない、そして冷蔵庫は家族との複雑な事情があり自由に使うことができない。

しかも家族の吸うタバコの副流煙が入ってこないようにするために部屋を閉め切っておかなければならずなおさら熱気がこもり、閉め切った部屋で扇風機をかけるしかない。いつ熱中症になってもおかしくないような状況にいる。

世の中エアコンが28度設定について揉めているが、そもそも自分はこの夏をエアコンなしで過ごさなければならない。

特に夕方の時間帯は西日が直接当たる部屋にいるため非常に苦痛で仕方がない。

その為あらゆるやる気が削がれており人生が嫌になっている。

 

この状況を改善するには自分でエアコンを購入しなおかつ電気代を払わなければならない、そして冷蔵庫も自分専用の物を買うしかない。

しかしそんな金があったら苦労していないのである。

本音を言えばより自由なリズムで生活するために一人暮らしをしたいが、民度の高い住民が住んでいる場所にある良質な物件に住もうと思えば天文学的な費用が掛かる。

自分は日常生活のストレスに左右されやすいタイプであり、本来はこういった逆境に耐えて這い上がっていかなければならない事は自覚しているがそうは言ってもやはり苦痛だ。

ここからさらに暑くなるというのだから絶望しかない。

 

結局はこの日常の苦悩のすべてが貧乏や貧困に起因する。

自分が今満たされない感情や日々のイライラや苦痛もお金があれば解決するだろう。よく鬱病の人間が大金をもらったらその日から元気になると言われることと一緒で、自分も大金が手に入れば急に明るくなるだろう。

まるで伊藤カイジのように「金だよなぁ、結局金」と独り言をつぶやくしかない。

 

「助けて!○○ちゃんが心臓の病気でアメリカで手術をしないといけないから2億円必要なの!」と高額な募金を募っているが自分はこういいたい。

「助けて、ニート君が快適な生活をこれからもしたいから2億円必要なの!」

前者は乞食だと自覚していないが、自分は乞食と自覚しているだけマシだ。

 

そんなくだらない冗談でも言いたくなるほどに困窮している。

こんなことを言っても誰も手を差し伸べてはくれないだろう。

「自分より下の人間や同レベルの人間がいる」と安心したいがためにこの惨めな自分を"鑑賞"しているに過ぎない。しかし自分もかつて負け組や底辺のブログを見て満足していた時期がある。その償いの時が訪れたのかもしれない。

見下していたら、自分が見下される立場になる。

もう思う存分この惨めな生きる価値もない底辺である自分を見て満足すればいい。結局関わろうとせず他人事として傍観者にいる時が心地よいのである。

 

そこまで生活を変えたければ働きに出ればよいのだが、もう底辺職しかないのが嫌で日雇いバイトさえもしたくない。

つまり「良くない環境で我慢しながらダラダラ暮らす」VS「仕方ないから働きに出る」の両者を天秤にかけて前者を選択しているのである。なんという消極的な選択だろうか。

そしてこんな生活もいつまでも続かずいずれジリ貧になるだろう。

はみ出し者が今更社会に入っていこうとしても底辺職しか残されていない。その結果いつものように「階級社会や一度失敗したら終わりな社会が悪い」「自分を評価しない世の中が悪い」「不況と少子高齢化が悪い」という責任転嫁にも似た愚痴が口癖のように湧いてくるといういつも通りのループ状態に陥る。

何かをやるたびに失敗していればいつの間にか努力や挑戦の気力すらなくなりダラダラと無気力に今を過ごすことが日課になる。成功体験を順調に重ねられず自信を得られなかった人間の末路がこれである。

「がんばって努力をすれば報われる」と思える人間と、「がんばってもまた失敗するだけだ」と思ってしまう人間がいる。

賭博黙示録カイジという漫画に「バスケットゴールが高い位置にあればいずれ投げようとしなくなる」というという自分が大好きなセリフがあるのだが、まさにそのような精神状態に陥っている。

 

しかしこれも身分相応の生活なのだろう。

誰の役にも立たない価値のない人間としてはむしろいい暮らしを出来ている方だ。

価値のない人間はそれ相応の生活をするしかないのである。

世の中は階級社会であり、その底辺の人間などいい暮らしを出来なくて当たり前なのである。それを手に入れたければ成功するしかない。

しかし成功しようにも「勝ち組の椅子は埋まっている、自分は椅子取りゲームに負けた惨めな敗者だ」とこれまたテンプレのような"いつも通り"の言い訳を呟き、指をくわえながら勝ち組様を眺めるしかない。

価値のない人間や役に立たない人間、必要とされない無能に居場所などないのである。

 

また駄目人間としての思考ばかりが駆け巡る、もうこのくだりを何度やったことだろうか。

無価値な人間にはそれ相応の生活しかない、そう言い聞かせながらこの気だるい暑さの中でネガティブな発想ばかりを考える。

 

つい最近聞いた話ではテレビ局は現在ほとんどがコネ入社になっているらしく、無能でも嫌われ者でも親が既得権益層の上級国民ならば高い給料を得られるらしい。

しかしコネ入社と言っても、そういった勝ち組の御子息の連中は海外留学経験があり幼いころから社会の上層部の人間と食事をしたりしているから実は有能で品がある人が多いらしい。

また芸能人なども二世タレントが多く、世の中間違いなくコネ社会や階級社会になっている。アイドルグループなどを見ても、親が有名人という人は多く優秀な形質や能力が受け継がれ優れた教育を受けているのである。

勝ち組はいつまでも勝ち続け、負け組はいつまでも這い上がれない。

インドのカースト制度と同じように世の中「出自」や「身分」が大半を左右する。社会には身分差別がまかり通っている。外国人差別より深刻なのは日本人同士による差別だ。そして自分は比喩的な意味合いにおいて"被差別階級"なのである。

差別され蔑まされいつまでたってもこの社会の上層には入っていけず、上流階級に憧れながらもその夢はかなわず下層階級で一生を終える。

 

そしてそういう恵まれた連中に身分社会の底辺に置かれた人間は「努力不足だからそうなったんだ、自己責任だ」と言われ見下される。

エアコンもない暑苦しい部屋の中で「金持ちか有能な家に生まれたかったなぁ」と虫の声のように溜息をもらす。

これもそれ相応の生活なのだろう。

誰だって夢を見て自分が特別だと思いたいが、その内これが自分にはふさわしい生き方なんだろうなと諦めていく。

そして世の中そんな有象無象の負け組人間がいくらでも存在して不満を募らせている。遂に自分もその一人になってしまった、いや最初からそうなる相応の運命にあったのだろう。