負け組ゆとりの語り場

社会に取り残された男が日々を語る

自分のオリキャラを人気にしていくのは難しくて当たり前

オリジナルキャラクターの特徴を言い表すのであれば自己満足には最適だが、他者に広めていくことは非常に難しいジャンルだと言える。

自分を満足させることは非常に簡単だが、他者に認めてもらう事は非常に難しい。実際に自分のオリキャラが人気になったり、多くの人がそのキャラクターを覚えてイラストやSSを描いてくれたりすることはあまりない。

逆に版権物や同人物のイラスト人からは認められやすいが自分が本当に満足することは難しい。

 

オリキャラはそこまでクオリティが高くなくても愛着がわきやすく、自己満足にもってこいである。そういったオリキャラを描く人間として突き当たる現実がある。

 

「自分はこのキャラクターをものすごく気に入っているのに、世間の人は振り向いてくれない」という現実である。

「なんでこんないいキャラクターなのに誰も認めてくれないの?」と多くのオリキャラ描きの人は思っているに違いない。自分の評価と他者の評価が最もかけ離れているのがオリキャラだろう。

「うちの猫は世界一可愛い」とネットで紹介しても、他者からは良くいる普通の猫にしか見えないのと同じである。

 

実際の所イラストサイトを見ても有象無象のオリキャラが溢れており、普通に投稿するだけではなかなか反応をもらうことは難しい。

自分のオリキャラにファンができるという事は非常に稀なケースであり基本的には誰も覚えておらず自己満足で終わる。

そもそもネット民というのはよほどクオリティが高い場合や、匿名掲示板のような書き込みやすい状況でしか反応をしない物であったり、特定のユーザー同士でコメントし合う事を暗黙の了解とする状況下でしかコメントをもらうことは難しい。

「私は貴方にコメントしますから、次自分が投稿したときはコメントしてくださいね」というご近所付き合いのようなやり方であり、ネットというのはどのコミュニティにおいてもそういう親しいご近所さんを増やしたほうが反応が来やすい。

 

自分も昔はそれを楽しみにしていたが、最近は折り合いをつけて一人で黙々と楽しむスタイルに切り替えており、"お返し"しなければ去っていくような人よりもいつも見てくれる人の方がありがたいと思っている。

 

イラストを描いている人というのは自分も含めて面倒な性格をしており、評価や反応がなかった時はまるで世間から無視されたような感覚になり自己嫌悪に陥る。

「好きでやってるんじゃないのか」と言われれば確かに好きでやっているのだが、正直なところブックマークやいいね!だけでなくコメントのようなわかりやすい反応は欲しいし、いいと思ったら広めて欲しいというのがおそらく絵を描いている人全員の本音である。

「見てもらえている」という実感は大きなモチベーションになりやすい。

更にオリキャラともなれば、自分のキャラクターを描いてもらったりそのキャラクターにファンができたりすれば更に嬉しい。

 

イラストに限らず例えばツイッターなどでは「承認欲求発散中」「褒めてくれる人だけ反応してください」みたいなタグまであり、基本的人間というのは承認欲求の塊であるが、わざわざそんなことに付き合ってくれる暇な優しい人は中々存在せず結局寂しい思いをするだけでしかない。

 

「反論いらないけど褒めてください」という都合のいいことに付き合ってくれる人はほとんどおらず、むしろどうでもいい反論や指摘だけして言い逃げしていく人の方が多いのである。

そして虚しくなり辞めていくというのがSNSやイラスト投稿サイトにおける王道であり、自分もそうなりかけていた。昔の自分は本当に反応依存症であり、そのために頑張っていた時期もある。

 

結局のところ"反応"に依存すると続かないわけであり、この状態から"解脱"した境地に達することが必要になる。

嬉しい反応というのは強力なモチベーションになる一方で、それが不足した場合は禁断症状に陥りやすいというのが自分の経験から導き出した結論である。

 

「こんなに頑張ったのに何の反応もないのか、無視された・・・やっぱ自分は誰からも必要とされていない」「ネットの世界にも自分の事を認めてくれる人はいないのか、やっぱ自分は価値の無いことしかやっていないのか」とネガティブになり悲しくなっていた。

反応依存症、承認依存症になってしまうとそれが満たせなくなったときに苦労する。

 

逆に「静かにいつも見てくれる人が一番」だと考え方を切り替え、黙々と創作活動に集中することが大事で更に自己満足に特化する方向にシフトしていくというのが今自分が達している境地である。

どうしてもネットをしていると反応をくれる1人普通に見ている10人だと前者の方が大きな存在に見えてしまう。しかしそういう人を意識してしまうと今度は逆に自由に書きたいことが書けなくなってしまうことがある。

ブログでもこの現象を経験したことがあって、「もしかしたあの事を書けばあの人を傷つけるかもしれないな」と自分の中で余計な気遣いをしてしまい結局面白いことが書けなくなってしまう。

イラストも一緒で、「このイラストを描いたらあの人の好みに合わないんじゃないかな」と時として自意識過剰な状態に陥る。

オリキャラ

結局のところ好きに自由にやることが見ている人にとっても一番面白く、本人も面白く、そして精神衛生上も良い。てっとり早く反応が欲しければ流行ってる最新の人気作品の漫画でも描いたほうが突っ込んでくれる人は出てきやすい一方で、そういう人からのコメントは一過性になりやすい。

自分も昔営業目的で人気作品とコラボしたようなイラストを描いたことがあって閲覧数もあって普段見てくれている人以外からのコメントもあった。

 

ただそういう人は定期的にいつまでも見てくれるわけではなく、自分もそのイラストをいつまでも描き続けるわけにはいかない。やはり本当にやりたいことがあってそっちを優先したいというのがイラストを描いている人の本音でもあり、人気のために描くことは結局続かないし虚しい。

また「うちのキャラクター知ってください、応援してください」と頭下げて営業して回るのもそれはそれで虚しい物がある。

 

結局人から評価されることや認めてもらう事、好きになってもらう事は非常にハードルが高い。

時として自分の意志に逆らってまでしなければならないことがある。

基本的に皆、他人に興味がなく自分が一番かわいい。もちろん全員がそうではないし、自分自身世の中の人のことを全て冷徹な目線で見ているわけではない。

 

しかし、そこまでして頑張って他人に認めてもらうことが重要なのだろうかという考え方も必要で、いい意味で自分を一番優先することが考え方の転換として必要になってくる。

他者からの評価から解脱し自由の翼を手に入れ、自分の好きな事だけをひたすらやる、その境地に達するとこれまで見えてこなかった自由な世界が見えてくる。

 

「自分の最大のファンは自分」であり、自分を喜ばせるために描いた物の方が結局は本当に評価してもらえる。自分が自分の為だけに作るという究極の「内需」であり自己満足でもある。

日本経済が実は外需や輸出よりも内需や国内消費に支えられているように、オリキャラというのは究極の内需型の「自己消費型コンテンツ」になる。

自分しか知らないオリキャラが人気になっていくのが難しいのは当たり前だと割り切って、徹底的に自分の為にだけにやるのが実は一番最終的な満足度も高い。

 

反応が欲しければ最新作の漫画でも描いて営業をしていればいいわけであって、あえてオリキャラを選ぶというのは評価されにくいという宿命を受け入れてでもやることなんじゃないかなと自分は思う。

そしてその自己満足の積み重ねがいつか花開く時が来るかもしれない。一つ一つの過程は自己満足であったとしても、最終的な結果は大きく評価されているかもしれない。

今黙々と一つの過程を超えていくことが大事な事であり、即自的な結果ばかり求めていては何者にもなれない。

 

最高に自己満足をエンジョイし、自給自足状態を楽しむ。

「評価依存症」から抜け出すことができれば、オリジナルキャラクターほど楽しい物もない。結局版権絵を描いてで少し閲覧数が増えたところで生活もほとんど変わらず、その絵を描かなくなればどこかに去っていく人のコメントに依存していても仕方ないのである。

それよりは「最大のファン」である自分を一番大切にする、それがオリキャラを描いている人が大事にする事なのではないだろうか。

インターネット上にはオリジナルキャラクターを描いている人が多く存在するが、少しでもそういう人の参考になれば幸いである。