負け組ゆとりの語り場

社会に取り残された男が日々を語る

ガンダムオタクにはなぜ面倒な人が多いのか

元来オタクというのは少々面倒な人々であり、どうでもいい拘りに熱くなり激論を交わす人々であった。しかしオタクの一般化と共に徐々に面倒なオタクは少なくなり、ライトな層が拡大してきているというのが現代の流れでもある。

「精鋭たちが作り上げるアングラ文化」のようなものは徐々に失われつつあるだろう。

「すっごーい!」とアニメファンがわかる共通のフレーズを使って表面的な一員感や同胞意識を味わいたいだけであり、もう難しい物を考えるような面倒なタイプのオタクは絶滅危惧種になりつつある。

オタクと言えば面倒な奴らばかりだった時代から、社交性や協調性の高い層が増えてあまり深く語らない方がオタク社会でも行きやすい時代の中でも行きやすい時代になっている。

 

しかしそんな時代にもかかわらず相変わらず古き良き面倒なオタクが多いジャンルがある。それはガンダムシリーズである。

ガンダムファンはむしろガンダムが世間的に流行らなくなったことで逆に本当に好きな既存層だけが残り、密度は非常に高くコアな議論を交わすファンが多い。ガンダムファンが書いているコメントなどもマニアックなことを書いており、本当に良く見ている人や考察している人が多い。

オタク全体で言えばにわか化したが特定のジャンルは実はかなりマニアックでコアな人が多いという時代にもなってきている。これはVIPやまとめ民が浅くなって2chがアングラではなくなったが、専門板に行けば相変わらずコアな人が多いのと同じ理屈である。

 

ガンダムファンは確かに面倒で嫌味で、それぞれこだわりが強いがそれがある意味昔のオタクらしい文化を形成しており、こういう文化が少なくなった今むしろ貴重な存在になっている。本当にマニアックでコアなジャンルやコミュニティを探している人ならば今ガンダムはおすすめだと言える。

ネット全体がリアルの延長上の浅い物になった今、逆に精鋭が残っているガンダムのファン文化は面白い。

 

ガノタ「俺はお前の嫌いな作品叩くよ」
ガノタ「でもお前が俺の好きな作品を叩くのは許さないしマナーが悪い行為だ」
本来ガノタというのは面倒な物でオタク界は過激な奴らがいる方がいい。軟化したのはオタクとは言えないしどうでもいいことに熱くなるのがオタクである。

アイドルアニメと比べてファッションオタクも少なく、今ガンダムファンをやっている人は本当にガンダムが好きな人が多い。

ラブライブアイマスは「オタク仲間からすごいと言われたいがために過激なことをやっている」という人が多いが、ガノタナチュラルにヤバイ奴が多い。

オタク仲間からの承認目的で承認欲求を満たすためにオタクをしている人はあまり多くなく、それぞれが持論やこだわりを熱く持って勉強熱心な人が多い。

ガノタが好きじゃない、ガノタコミュニティは息苦しく堅苦しいという人もいるが、本当のオタクはむしろこういう面倒な人が多いコミュニティが好きなのではないだろうか。居心地のいい空間は逆にオタク文化として物足りないし、「こいつらリアルじゃヤバい奴だろうな」というぐらいの人が多いジャンルの方が面白い

小難しく語り他人の意見を排斥する、そこで引き下がらず今度は自分も逆に新しい持論を展開する。こういうニュータイプ同士のバトルのようなものがガンダムコミュニティの魅力だともいえる。

 

更にガノタはその中で細分化しており様々な派閥が存在する。

自分はガチガチのアナザー厨であり最近の宇宙正義至上主義には反対という立場をとっている。しかし実際にはW,SEED,00の信者であり、AGE以降は認めないどころかしきりにAGEを叩くという立場でもある。

こういった内部の宗教対立のようなものがガンダムファンの文化であり、それぞれが仲良くなり統一されることは無いだろう。むしろ戦国時代のように常に争い合っているから面白いのだ。それを敷居が高くて入りにくいという人もいるが、敷居というのは逆に自分で作ってしまっているともいえる。

「これがものすごく好きだ」という人がリアルでは無駄な執着心をある特定のものに持つのがオタク文化であり、それぞれがマニアックな趣味を持っていても良いし自分独自な立場を作り上げてもいい。

むしろ100人いれば100人違う意見があるのが面白いわけで、みんなが言ってることをそのまま言う、みんなと同じことをそのまま言うというのは元来オタクには向いていない層である。

 

それぞれの思想が凝り固まって、選民意識があるからオタクというのは面白いしそれぞれが持論を語り合うから文化が発生する。

W,SEED,00ばかりみて宇宙世紀をあまり見ないどころか敵視する自分のような特殊なポジションもあったほうがいいと思うし、最近は宇宙世紀ばかりになりすぎているようにも思う。あえて宇宙世紀を見ないで異端を気取る勢力が存在してもいい。

サッカーもすべてのリーグを見てる人はいなくてスペインリーグばかり見てる人もいればプレミアリーグばかり見ている人もいる。マニアックなリーグのマニアックなチームや選手のファンもいて、それはガンダムの中のマイナーな作品の中の更にマイナーなキャラクターやモビルスーツが好きな事とも似てる。

 

自分の「好き」に正直になって、それぞれが独特のこだわりを持つ事が大事であり、一つのジャンルの中に様々な多様性が存在することがガンダム文化の魅力ともいえる。それぞれが独自のガンダム観やガンダム哲学を持っているから面白いのである。

精鋭化の弊害として「自分はまだ語るレベルにないのではないか」という人もいるが、レベル関係なしに積極的に多くの人が語ってもいいと思うし、哲学や思想をこねくり回すようなタイプの方がファッションオタクよりはよほど面白い。

 

しかし最近オタクの世界でも面倒なことを言う人は少なくなってきており、オタクと言えば平均的に賢かった時代は急速に終わりを迎えつつある。オタクの文化が逆に一般化してきて、ジャニーズやサッカーのようなメジャーな文化のほうが逆に古来の意味でのオタクらしい人が増えてきている。

例えば最近の日常アニメやラノベアニメを語る人より、サッカーのバルセロナを熱心に語る人の方が今の時代コアなオタクが多くなってきている。日常アニメのセリフを定型文で語り合って一体感を味わう人々よりも、最新の戦術を熱心に突き詰めて研究したり分析したりするサッカーファンのほうがむしろオタクっぽくなってきているし、今の時代アニメがカジュアルな文化になりつつある。

声優ファン、腐女子、アニメファンのほうが浅くなりジャニーズファン、サッカーファンのような人々のほうが濃くなるという逆転現象が起きている。今の時代確実に腐女子よりジャニオタの方がファッションではないコアな人が多い。

オタク文化だったものが一般化し、一般文化だったものがオタク化してきているのが現代の潮流でもある。

 

その状況の中でにわか化の一途をたどるアニメでありながらガンダムはアニメ界の流れに逆行するようにむしろコア化してきている。いいオタク文化とは面倒は人が多い文化であり、オタク度合いが高い事=世間的には面倒な人が多い事でもある。

 

話が様々な方向に脱線した脈絡のないトークだが、そういったいろんな思索を積み重ねることで次の考察に生かされてくる。考察したり思索をすればするほど自分の中のオタク度合いがあがる、至高のレベルが高まる、そういった謎の修行を続けているのが本来のオタクでもある。

誰も最初からハイレベルなことを語れるわけではない。世間的にはどうでもいいことを無駄に突き詰めて考えていくことに楽しさを見出すのがオタクであり、世間的には面倒な人になるだろう。

しかしそういった面倒な人がオタクの世界では面白い。

オタクというのは厭味ったらしいぐらいの方が良いのであり、個々人の理解されにくいこだわりを突き詰めることが文化でもある。ガノタにとってガンダムとは政治問題でもあり宗教問題でもあるのだ。

elkind.hatenablog.com

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