負け組ゆとりの語り場

社会に取り残された男が日々を語る

ネットの人間関係ってめちゃくちゃ儚いよな・・・

先日久しぶりにピクシブにイラストを投稿したが、そのことで特にコメントもないし、投稿していなかった期間も当然ながらコメントもなかったのが現実である。

自分にとって投稿していなかった期間はとても長かったが、他人からすればそんな時間どうでもいい期間に過ぎない。

これまでも長期間投稿しないことは何度かあったが、その時も結局「また投稿して欲しい」「最近投稿少ない」みたいなコメントもなかったし、そもそも自分が投稿していないことに誰も気づいていなかった。無名な人間への扱いはやはり厳しい。

改めて自分という人間はネットにおいて矮小な存在だと気付かされた格好だ。

ネットで人に心配してもらえるのはファンがいる有名人だけである。

 

それでオンラインゲームで似たようなエピソードを思い出した。

物凄くオンラインゲームに熱中していた人がいて、そのチームの仲間は本当に信頼できるメンバーだと思っていて絆があると思っていたらしい。本人としてもそのチームが自分にとって居場所のように感じていたようである。

その人が何かの用事で一週間ログインしなかったとき「ものすごく心配されているんだろうな、久しぶりにログインしたら暖かい声かけてもえらえるんだろうな」と期待していたら、いざログインしたとき「一週間いなかったんだ」とさりげなく言われてしまったらしい。実は誰もその人がいなかったことに気付いていなかったのである。

その結果その人は「オンラインゲームの人間関係ってこんなものか」と冷めてゲームをやめたという話だ。

 

結局インターネット上でしばらく不在だった時に心配してもらえるのはネットの有名人だけで、大部分は無名の個人に過ぎない。オンラインゲームやSNSのコミュニティなども無名な個人の集まりに過ぎず無名の中から無名の人間が一人消えたところで誰も気づきはしないのだ。所詮ネットの他人はNPCにすぎずその内AIに代用されても誰も気づかないであろう。むしろAIのほうが自分にとって都合のいい存在になる時代がやってくるだろう。

自分も含め多くのネットユーザーが自意識過剰になっているが、実際はどうでもいい赤の他人でしかないのだ。

 

そもそも自分だってネットの人間関係をどうでもいいと思っている一人だ。

要するにネットというのは「自分に対して興味を持って大事にしてほしいけど、自分は周りにそこまで興味を持たないし大事にしませんよ」という人の集まりに過ぎない。

ピクシブでもよくオリキャラのタグで「描いてもいいのよ」みたいなものがあるが、あれは「自分のオリキャラは誰かに描いてほしいけど、自分は誰かのオリキャラを積極的に描きませんよ」という話で、皆自分が受け身でも大切にしてもらえるほど価値があって偉いと思っているのである。

 

またネットの人間関係はリアルの人間関係に輪をかけたように冷たく浅い。

自分たちは密な関係やコミュニティだと思っているが、実はすぐに散ってしまうような儚い物でしかないのだ。

 

たとえばこのはてなブログでもはてなスターというものがあるのだが、自分はこのはてなスターを採用していない。昔は採用していたが結局これは「僕あなたにスター押しましたから、あなたも僕のブログみてスター押してくださいね」という話に過ぎない。社交辞令のようなものでうわべだけで承認し合っているのである。

このスター集めて自分は人気者だって思ってるはてなブロガーの人は多いが、実際それを集めるのは毎日どうでもいい他人のブログを見て人脈築きあげた末に手に入る物で至極どうでもいいのである。

以前自分のブログに毎日はてなスターを教えくれた人がいて自分も「お返し」はてなスターを返していたことがある。しかし一度自分は面倒になったこともあって試しにその「お返し」をやめてみたら、案の定その人ははてなスターを押してくれなくなったし読者登録まで解除していたのである。

ツイッターやインスタグラムのようなSNSでもこういった関係は良くあるだろう。「いいね!」を稼ぐこと=自分の価値を上げる事、自分が人気者であることの証になっているのだ。

 

結局ネットの人間関係というのはそういうものにすぎない。

皆見返りが欲しいだけ、自分を見てほしいから誰かに仕方なく興味を持っているのである。「自分はこんなに多くの人に興味を持たれていますよ」というアピール合戦でしかない。本当に面白いから見ている人というのは実は匿名の人やROM専ユーザーが多い、だから自分はそういった自分にはわからない匿名ユーザーを重視するようになった。

自分も実際本当に面白いと思ってみている人のものは反応をせずROM専で見ていることが多く、無理に維持した人間関係はある時一瞬で崩壊するのである。

 

逆にリアルの関係は常連の店にしばらく行かなかったら結構心配してくれたり、久しぶりに言ったら店員さんだけではなく、同じ常連客も結構歓迎してくれたりするのである。ローカルな喫茶店のコミュニティは確実にネットの表面上の関係より密なコミュニティであり、新しい客との出会いがあったり、自分がいない時は結構店員さんと他の常連客の間で話題にされていたりもする。

ネットは1年いなくても誰も気づかないが、リアルは1週間いないだけで気付いてくれる。ネット時代だから逆にリアルのありがたさに気付くこともある。

 

ネットの人間関係がなぜ面倒なのかというと、ある時マナーを怠ったら急に関係が悪くなるというところに原因がある。

信頼のおける友人同士では無礼になっても問題ないが、ネットの場合基本的に所詮他人でしかないためある時急に波が引くように去っていくのである。それゆえに自分は最近ネットの関係すら最低限にしている。

 

そもそも人間というのは悲しいことに付き合う人間は選んでいるのである。

自分だってその一人で、自分にとって面白くない人間やつまらない人間に興味を持とうとしないし相手も自分のことをつまらないと思ったら連絡してこなくなる、ただそれだけのことである。

実際リアルの人間関係でもその空間にいたから仕方なくつるんでいるというだけであって、その人と一緒にいる必要がなくなれば自分にとってどうしても必要な人以外とは疎遠になるのである。

芸能界のアイドルグループでも仲良いもの同士で組まされたグループというのは稀で、仕事で仕方なく一緒にいるというグループは多い。「クラスにいたら絶対仲良くなかったようなタイプ」とお互いのメンバーを評するシーンはよく見かける光景だ。そのグループという枠組みがあるから絡んでいるだけで、その枠組みがなくなれば赤の他人になる。

 

実際自分も中学高校と当時は仲のいい仲間もいたが、今実際に付き合いがあるのは中学時代のメンバー1人ぐらいで何か連絡を取り合う機会があっても以前のように戻ることは無く結局関係は再開しないということが多い。

しかもその友人も同じく昔ゲームや学生時代仲良かった人とも連絡を取っておらず環境変われば人間関係は変わってしまうのである。人間関係は環境に依存するのだ。

学校コミュニティやゲームがあったから関係が成り立っていたわけで、その枠組みがなくなればお互いに必要としなくなる。

 

自分はピクシブで築いた人間関係も儚く消えたし、友人はオンラインゲームで築いた人間関係が儚く消えた。

結局のところ最後に残るのはリアルの中で更に気の合う人間関係だけなのである。

ネットの人間関係は結局「承認の交換」であり、自分がコメントしたら向こうからコメントが返ってくるし、向こうからコメントが来たら自分もコメントを返すとそれ以降その人はコメントをまたしてくれるようになる。

しかしこれを一度やめたり、面倒になって頻度が少なくなるといつの間にかネットの人間関係は風化していく。何かでもめればその関係はもう修復できないし、修復する必要もなく新しい関係を築けばいい。お互いいなくなっても困らない存在でしかないのだ。

結局人間関係の維持というのは労力が必要な大変な行為なのである。

それを苦に感じず楽しくて仕方がないという人は続くし、それが面倒だと思ってしまう自分のようなタイプは最低限の人間関係に縮小していくことになる。

 

不思議なもので人とかかわることが楽しくて仕方がないという人と、一人の時間が重要だと考える人の二種類がいる。前者の人は人間関係の維持が「労力が必要な行為」だと思っておらず自然にやっているが、後者のようなタイプは人間関係は労力をかけて頑張って維持するものだと考えているのである。

 

自分は典型的な後者で「結局人間関係って承認の交換じゃん」とひねくれて考えてしまうタイプなのだ。これが自分が昔から友達が少ない理由で、来てくれる人にも冷たくしたり、その暖かさに気付かなかったりして典型的な人間関係が下手なタイプである。

しかも友達が欲しいともあまり思っていなくて、むしろ面倒なことだとさえ思っている。友達と常にいないといけないとも思ってないし、一人行動が好きだし、誰かといないといけないという価値観もない。

外出する時も基本一人で、その友人すら誘う事は稀である。

外に出て誰かに話しかけるというパターンはあるが、誰かと常に行動するという事はあまりしたくないタイプだ。

 

別に人間関係や交友関係を広げられないというわけでもないし、それを維持できないというわけでもない。ただ面倒なのである。要するに他人にそこまで関心がなく、「自分のことが好きな人が好き」という受け身な人間なのである。

積極的に広げていこうとすることもあるが、それはどうしても必要な時だけであり簡単に言えば必要性を感じないの一言に尽きる。

面倒だし必要もないし、別に今で満足してるしという話である。

出来ないわけではなくしないと言いたいのだが、同時に「人間関係の維持を労力のかかる行為だと感じない」ということも才能なのだなと思う。その才能に関しては自分にはない物だろう。人間関係を維持するスタミナが自分にはないのである。

 

人から見ればつまらない人間に見えるし、実際につまらない生活もしている。

そしてそれでいいと思ってしまうところが自分が成長していかない原因なのだという事もわかる。しかし人間とは不思議なもので「面倒だ」とか「動きたくない」という負の感情を優先するタイプの人っている、そして自分がそのタイプだと言うだけの事である。

人脈増やしたほうが面白くなることもわかるし、成長の機会も増えるし刺激があることは間違いないのだが、今の所そこまで情熱がないしこれまでそうやってきたからそれに慣れてもいる。

新しい人間関係って必ずしもうまくいくわけじゃなくて、そこに挑戦しようとしないタイプでもある。すでに仲良い奴と独特な身内のリズムで話すことが心地よいから、わざわざノリが違う奴と新規に関係を築こうとも思わない。むしろ既に関係の深い人間といつも通りいつもの流れで話すのが楽しいのである。

物凄く人間関係を増やして充実した人生を送りたいと思う時期と、最低限の範囲でいいやと思う時期があって、今自分には後者の時期が来ている。

 

完全に思考が「いつも同じ昔ながらの菓子パンを買うおじいちゃんおばあちゃん」みたいいなっていて、いつもの仲間といつもの議題を話して、そしていつものゲームをやって、いつも見てる芸能人やスポーツ選手をチェックして、いつも同じサイトを見る、これが自分の生活リズムになっているのだ。

新しい物を知ろうとしたり新しい人間関係を築くのは、現状に満足せず新しい物を得たいからである。

現状にそれなりに満足しているならばそれはそれでいいのである。

そう言いながらも海外留学を考えているのだが、これはどうせ新しい物を得るなら完全に天と地が入れ替わるぐらいの新しい物を得ようとしているからである。むしろそれぐらいでなければ興味が持てない。

現状日本においてはそれほど新しい物に興味がないし、新しい良い物を手に入れるには労力とマネーがかかるのである。その労力もマネーもない上に、いつものものでそれなりに満足しているからいつものことをやるのだ。

 

更に言えばこういった人間関係の維持に冷めた理由が、「人間関係ってそこまで一生懸命になって維持しなければならない程大事なのか?」という哲学的な問いに行き着いたからである。

1日中空き時間があればいろんな人にLINE返信して、人間関係の維持に躍起になっている人を見るとリア充だなと思うよりも、大変そうという感想しかでてこない。嫉妬とか羨ましいとかではなく、単純に自分に同じことは出来ないし絶対大変だと思わずにはいられない。これも人間にも二種類いて毎日人と接しても苦にならない人と、一人の時間がなければ苦になる人の二種類がいる。

 

逆に言えば前者は人と一緒にいなければ苦になるし、人間関係に人生の幸せを求めるタイプって「自分が好かれて自然と人が寄ってくるタイプ」なら確実に幸せだけど、「人が寄ってくる魅力は無いけど人が恋しいから頑張って人間関係維持してるタイプ」は結構辛いのではないかと思う。

本当の人気者は前者で、自分は人脈があって人気者だと思いたがってるの後者になる。

無理して作った人脈や人間関係ってあまり価値がないと思っていて、そういうのを無理に数だけ増やして誇ったところで本当は孤独なんじゃないだろうかとは思う。

ちなみに自分は「人が寄ってくる魅力もないけど、人が恋しいとも思ってないタイプ」であり人脈作る才能は無いけど人脈作れなくてもそれなりに満足しているというタイプなのである。

少なくとも自分は交友関係が多いことに充実感を感じないし、「こいつそこまで好きじゃないし、向こうもそこまで自分に興味持ってないんだろうな」って人と無理やり人間関係維持しても多分何も生まれないし価値は無いと思っている。

そういう時はバッサリ関係断ちきったほうがいいし、上述のように人間って付き合う相手選ぶようにできてるしそのほうが幸せなのである。

 

「こいつ面白くないな」って判断して人間関係削減して、更に「お前面白くないな」って思われて人間関係減って、最後に残ったのが結局中学時代の気の合う仲間だけだったというのが自分である。自分から連絡しなくもなり、向こうから連絡されなくもなった結果最低限の人間関係しか残らなかった。

しかし自分はそれで幸せだと思っている。

「人気者でなければならない」「友達や知り合い多いほうが偉い」という強迫観念から解放されたとき、本当に必要な人間だけが身の回りに残る。

もちろん失って惜しい人間関係もある。

もう少し気を使えていればとか、もう少し自分に魅力があればと後悔することはある。しかしそれを公開しても仕方がない。必要になればまた新しく人間関係を築けばいいのである。もしかしたらこれから物凄い人と友達になれるかもしれないし、今の人間関係だけが全てではない。花は散ってもまた咲くように人間関係は儚いが、それゆえに移ろいゆく。

今は今の人間関係に満足しているし、その時に仲間でいたい人と一緒にいればいい。社交辞令や見栄は捨てて本当にいたい人とだけいる、そんな人間関係のほうが幸せなのではないだろうか。