負け組ゆとりの語り場

社会に取り残された男が日々を語る

なぜガンダムSEEDは今見てもなお面白いのか

ガンダムSEEDシリーズがもう10年も前の作品と言われたときですらもう数年前であり、今や「種が10年前なんて」と言っていた時代ですら遠い過去のように感じる。

そしてそれにもかかわらずガンダムの話題になったとき未だにSEEDシリーズは話題に出されることが多い。ガンダム00ですら既に風化しつつあるためガンダムSEEDシリーズが直近の大ヒット作となっているのが現状だ。

別の言い方をするとガンダムが本当に世間的にヒットして大きな流行を巻き起こしたのはSEEDシリーズまで遡るという事だ。そう考えるとガンダムシリーズはなかなかヒット作を出せていないように聞こえるが小規模なヒット自体は多くなんだかんだでその規模を維持し続けている。

なんだかんだいってグッズの売り上げの規模で考えれば巨大コンテンツである。

そして10数年に一作、10年後も語り継がれるようなシリーズを世に送り出すことができるのであればそれは優良コンテンツだともいえる。

 

前置きはこの程度にして、やはりSEEDシリーズは今見ても面白く語ること自体は多い。コーディネーターとナチュラルの対立は現在移民が増えた先進国の状況を反映すると人種対立の問題とも考えられるし、あれほどスケールの大きい巨大な戦争を描いていたコズミック・イラの世界観は「戦争している感」があった。

よくSEEDシリーズが面白かった理由として語られているのが「大規模な戦争をしている感」「悲惨な戦争が行われている感」という類のことである。

今もなおあの物語が語られるのはリアルタイムに見ていた視聴者が、今も覚えているほどの「擬似戦争体験」に近い物を味わっていたからかもしれない。

特に子供の時SEEDを見ていた人や、10代の時にあの作品を見た世代は「凄い戦争やってるなぁ」と感じたのではないだろうか。難しい考察や知識を踏まえてみたとき様々な問題があることも事実だが、とにかく昨今のシリーズにはない「陰惨さ」や「広大さ」があったように思う。

ガンダムSEED自体初代のオマージュであり、宇宙コロニーと地球の連合国家という対立構図を模倣して作られている。そう考えたときに結局ガンダムというのはこの構図が最適解であり、大規模な軍隊同士がぶつかりあい、世界を巻き込む戦争をその世界観で起こすことができているのは巨大国家同士の対立という舞台装置があるからなのかもしれない。

 

そういったスケールの大きい舞台装置があるからその中の個人としてのキャラクターも存在感が際立ち、大きな物語の中の登場人物という壮大さに視聴者は惹かれていたのかもしれない。若いときにはそういった大きな物語の中で活躍するヒーローやヒロインに憧れるのである。結局ガンダムは巨大な戦争を正規軍同士が行っている状態が一番面白いのであり、それゆえにSEEDは宇宙世紀と張り合えているのかもしれない。

 

この時代に未だに話題に上がるのは凄いことであり、多くの人がキャラクターやモビルスーツを覚えているし、名シーンがある程度共通項として共有されている。

そしてアンチにしろファンにしろSEEDを語ることについて楽しんでいる。批判、批評、礼賛、懐古、考察、何をしても楽しいのがSEEDである。

 

当時の思い出を語るのであれば、あの時代ガンダム「大人びいていて背伸びしてみるアニメ」という雰囲気があった。小学生ながらに、中学生や高校生が見ていそうなアニメを見たいという思いがありガンダムSEEDは過激なシーンも含めてそういった好奇心を掻き立てていたのかもしれない。

そういった「雰囲気」がガンダムには必要であり、昨今子供向けに子供に合わせたものを作っているが本来ガンダムの役割は「子供ながらに背伸びして難しいアニメをみる面白さ」を提供することである。

 

実際に大人であるかはともかく、大人っぽい作品としてガンダムにはこれまで価値があった。今の時代不必要に子供に合わせようとしすぎているのではないか。子供はそういった子供向けに対して敏感になる。

中高生が理解できない哲学書を読むのと一緒で、子供もまた小難しい話をやっている良くわからないアニメを見たいのである。

今思えばかなり過激なシーンを放送したり、タブー視されるような問題を取り扱っておりよくあれが放送で来ていたなと思わずにはいられない。今ああいったものを放送すればいわゆるモンスターペアレンツにクレームを入れられるかもしれない。

 

今の時代とにかく健全なものが求められ、クレーマー有利な時代になっており作り手としても難しい物があるのが現実だろう。「健全化ファシズム」の中で再びガンダムSEEDのような作品を世に送り出せるかどうかは難しい。それゆえにガンダムSEEDが世間的なヒット作としては最後になる可能性がある。

健全性を求め何もかもを規制していき安全な物ばかり提供する時代から本当に面白い物や価値のあるものが生まれるかどうかはもう少し様子を見なければならない事だろう。

 

かつてのガンダムには「問題作」を作るぐらいの気概があり、過激な作品、大人びいた作品としてのブランドイメージもあった。今そういったことを言えば笑われるかもしれないが本来ガンダムが必要としているのはそういった要素なのではないだろうか。

軍事問題、政治問題、人種問題にもガンダムSEEDは切り込もうとしていた。もし再びSEEDと同じことや、それ以上のものを作り出そうという気概があるならば自分は再びガンダムファンとしてこのコンテンツを応援したいと思っている。

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