負け組ゆとりの語り場

社会に取り残された男が日々を語る

ハルノートを受け入れていたらどうなっていたのか

日本の歴史のターニングポイントを考えたときにハルノートの通知は良く語られることである。戦争回避はどのあたりまで引き返せば可能なのかということもよく議論され事実上の最後通牒ともいえるハルノートは開戦を回避する最後の機会だったとも言われている。

 

ただこのハルノートは実質降伏勧告ともとれ、日本が日露戦争以降積み重ねてきたすべてのものを破棄することは日本の世論としても不可能な部分があった。実際日比谷焼打ち事件のように国家の利益に関する分野で妥協すれば当時の血気盛んな日本国民から攻撃を受ける可能性もあり、選挙が存在する民主主義国家ではそう簡単にできない事でもある。

また2.26事件のようなことも起きておりこの時代政治家が狙われるという危険性は今以上に大きかったのだ。逆に国際連盟脱退時の熱狂的な歓迎のように、大国に妥協しなかったときは英湯として迎え入れられる状態にあった。

 

こういった状況で受け入れていればよかったと結果論で語ったところで、当時の理論でいえば天と地が入れ替わってもできないような事だったのかもしれない。

ハルノートを受け入れていれば戦争を回避できた、しかし当時の日本の情勢でそれは不可能だった。その上ヨーロッパではドイツが快進撃を続けてもうこの際うるさいアメリカやイギリスを倒してしまえばいいという流れになっていくのはある意味自然なことかもしれない。

 

また受け入れたところで当時の日本に残された道は限られておりいずれ行き詰まっていただろう。その中で既存の体制を完全に変えてしまおうというドイツのような勢力が現れたときその方向に乗っかろうというのは当時としては明るい未来のように思えたかもしれない。

実際世界恐慌が起きて世界がブロック経済化して植民地を持たない国は本当に厳しい状況になっていた。その中国利権に関しても国際連盟を脱退して孤立してABCD包囲網があって、援蒋ルートから大量に物資が送られなかなか中国との戦争が終わらない状況にあった。

しかも中国にいる日本の民間人が何度も危険にさらされるようなことがあり、とにかくこの状況を打開しなければならなかった。更にアメリカ政府にはソ連のスパイも紛れ込んでいたり、アメリカ政府に対するロビー活動で中華系住民からの根回しもありアメリカの対日感情は非常に悪化していたという裏事情もある。

そこでアメリカがハルノートを突きつけてきて日本としては服を脱いで土下座しなければならないような状態になったというのが歴史の流れである。

 

ただハルノート関連の交渉中にもアメリカ側も妥協したり譲歩する案が提案されてもいてもう少し粘り強く交渉していれば戦争が回避できた可能性はあるだろう。

ただこれはこれまで何度も言われてきたように「交渉下手」な日本人ではなかなか解決できなかった、そしてその結果開戦へと至ってしまった。

自分は戦前の文化にも素晴らしい物があると思っているし、空襲によって損失した建築物には美しい物もあったと思っている。それゆえになんとか開戦を回避できていたらとおもわずにはいられないし実は満州国は撤退しなければならない中国には含まれていないとも言われている。

満州国を何とか死守して、アメリカとの協議を進めて大陸の利権を分け合う方向に持って行けてれば開戦は回避できたのかもしれないが、それができたら苦労しないという話である。満州は日本の生命線である」と言われた時代に、満州の放棄は大日本帝国の衰退を意味するものでもあった。

 

結果論で言えばそもそも早いうちに「大日本主義」から「小日本主義」に舵を切って、内需の拡大や国内の開発を充実させるべきだったのかもしれないが、コンパクトな国家運営がトレンドになるのは戦後であり当時の価値観はまだ列強が領土を奪い合う時代でもあった。

結果論を言うならば台湾、朝鮮、南洋諸島、そして満州で我慢しておくべきだったのかもしれない。仮にその領土を今も維持できていれば日本は産油国だったし、北方領土樺太、千島列島、竹島なども奪われていなかった。国内旅行で台湾やパラオに行けた時代があったのは歴史の浪漫である。

 

ただ人間欲張り過ぎて失敗しすべてを失うことがある。実際自分も似たような体験があり、何かを得た状況や追いつめられた状況に陥ると判断能力は鈍るのである。結果が出揃った後世の時代に冷静に判断して、昔が間違っていたと言うのは簡単だ。

 

それに加えてあの時代最大の要因がやはりドイツだろう。

あまりにもドイツが上手く行き過ぎて「勝ちムード」のような雰囲気が出てきたことで日本の軍事関係者、外交関係者の親ドイツ派が勢力を伸ばすようになった。山本五十六のようにアメリカを知り尽くしている人がいたにもかかわらず、ドイツとの同盟を模索する勢力が力を伸ばしていった。フランスをわずか一ヶ月で降伏させたときは衝撃だったに違いない。

これも実体験なのだが電車が出発寸前だったのでとりあえず良く確認せず乗ったら目的地とは別の方向行きだったということがある。

「間に合わなそう」「急がないといけない」と感じたとき人間の判断力は鈍る。電車の乗り間違えに限らず日常でこういう経験は多くあるのではないだろうか。

日本は行き先の違う電車やバスに乗ってしまったのである。アドルフ・ヒトラー車掌の電車に乗ってしまったことが運の尽きだったのだ。

 

さすがの日本も単独で米英とことを構えることは無かっただろう。

ドイツが早期に敗戦していれば日本もやっぱりやめとこうとなったかもしれないし、そもそも日独伊三国同盟自体烏合の衆だった感は否めない。結局持たざる者同士が同盟を結んでもそれほど力にはならず、むしろお互い戦火を広げるだけの結果となってしまった。

よく言われることだが結局ドイツが真に同盟を模索するべきだったのはソ連であり、独ソ不可侵条約をなぜ破棄してしまったのかというのは最大の謎である。

ただそもそも我が闘争に書かれているようにゲルマン民族の東方への生存権拡大が公約でもあり、ドイツ側から仕掛けなくても結局ソ連側から侵攻していた可能性もある。

結局あの時代どこの国も対立する運命にありよほど外交交渉に長けた天才が各国に現れなければ開戦は回避できなかったのだろう。

 

仮に当時に戻ってハルノート破棄を阻止できていたら、または日独伊三国同盟の締結を阻止できていたら歴史はどのようなものになっていただろうか。 はっきり言えるのはあの時代世界経済は最悪の状態にあり、日米開戦をしなくても既に日中戦争が行われていた上にジリ貧であることは半ば確定していたということだ。

仮になんとか今日まで日米戦争を回避できていたとしても領土は却って負担になり、治安も良くなく大国との戦争の脅威におびえ、民間技術の発達もなく貧しい状況で軍事予算だけは湯水のように使われて生活は向上していなかったかもしれない。

更に中国との戦争も解決できず植民地の独立運動も過激化し、徴兵されて派兵されてそこで命を失っていたかもしれない。

財閥や身分制度もあって、浪漫だけでは語れない実情もやはりある。

 

戦後日本がこれだけ技術が発展したのも、予算や人材が民間技術に投入されたからであり例えば戦後航空機の開発が制限され事で航空技術を鉄道方面に使うことができた。それが今でいう新幹線である。

アメリカと仲良くして領土は最小限にして、技術や予算を民間のものに使うというという時代が訪れ、むしろ日本の経済力は飛躍的に向上した。

戦前のGDPランキングにおいて日本は最盛期でも世界10位ほどだったようである。戦後2位の時代が長く続き、今でも3位を維持している。そう考えると戦後のやり方は間違っていなかった。

戦前は浪漫ある時代だったと情景を思い描くことができるのもある意味今の日本だからできる事なのかもしれない。

 

大日本帝国がどうなっていたか、その究極の完成形を見てみたいという思いもあるが現実にはあの時代輝かしい未来が待っていたとは考えにくい。

大日本帝国が続いていたら今の日本の戦闘機はどうなっていたのか、文化はどうなっていたのか、都市の雰囲気はどんなものだったのか。その浪漫は当然あるし、戦前も間違いなく良い物がある。大日本帝国満州国の完成形には浪漫がある。

 

ただ時代や世界が不幸な方向へと向かう大きな波にさらされていたのである。

時としてどうしようもない大きな流れがやってくるのだ。地球に氷河期がやってくるように、あの時代どうしようもない経済の悪化が訪れていた。その荒波にいろんな国が呑み込まれてしまった。一国の努力だけではどうしようもない流れがあったのだ。

そういった悪い流れの極致がまさにハルノートの通告であり、最後は戦争になってしまった。現代人がこの歴史から学ぶことがあるとするならば、今度悪い流れが訪れたときに同じような結末を迎えないようにする事なのではないだろうか。

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