負け組ゆとりの語り場

社会に取り残された男が日々を語る

なぜ大学を中退した自分が今更海外の大学を目指すのか

自分は日本の大学を中退した人間だ。

中途退学者であり、実質の所高卒だ。大学に通っていたことなどどうでもよく世間的には高卒と同じ扱いである。

憧れの大学生活の末に残ったのはただ何の特技も魅力もない惨めな高卒の人間であり、それゆえに自分は負け組の底辺に落ちぶれた。

なぜ大学を卒業できなかったかと言えば、ほとんど大学に行っていなかったからである。面白くない大学、希望と違う大学に嫌気がさし結局単位が取れず必然的に退学の道に進みその後社会にうまく馴染めないという黄金パターンである。

就職を前提として高校に通っていた人は同じ高卒でも技能があり、早く就職しているため社会に上手くなじめている。

自分はもう数年遅れで差をつけられてしまい、高校卒業と同時に就職した人には途方もない実社会でのキャリアの差をつけられてしまっている。大学に進んだにもかかわらず時間を浪費し、結局肩書は同じ。しかも数年の決定的な差がつけられている。

当然ながら無事大学を卒業した人とも差があり、高卒、大卒を問わずかつての学友に大差をつけられてしまっているのが自分の現状だ。

 

そんな状況で社会にも将来にも希望を感じられない日々を過ごし、酒に溺れ最低限の生活ができればいいと自暴自棄になっていた。

何をやってもうまくいかない、認められない、夢を持てない、いつしか自分はこの社会からつまはじきにされたのけ者になっていた。

どうでもよかったし一刻も早く消えてなくなりたかった、将来が灰色にしか見えなくなったのだ。

 

そういう時自分は趣味であった外国語の勉強を「何か将来のためになれば」と漠然と始めることにした。自分にとって社会で通じる唯一のスキルは語学だったからだ。そして今回は英語ではなく第二外国語スペイン語を極めることに決めた。結局好きな言語が一番伸びるからという理由である。

またスペイン自体にも憧れがあり、今までの生活環境とは完全に違う新しい世界に飛び込みたかったのだ。とにかくこの社会から逃げ出したかったのかもしれない。

 

そこで自分はスペインでの生活や仕事について考えたのだが、「どうせなら果たせなかった4年制大学の卒業をスペインで目指しても良いのではないが」というアイデアを思いつく。

最初は何気ない漠然としたアイデアだったのだが徐々に現実的に考えるようになり、3,4年後の「渡西」を計画するようになった。スペイン語を極めることも勿論だが今度こそ面白い大学生活を送りたいし、ちゃんと卒業したい。

スペインの地で学問を究める、そのことに希望が湧いてきたのだ。

 

また欧米人は日本人ほど年齢を気にしないということもメリットの一つだった。

正直自分がここから数年受験勉強を始めて、学費をためたところで「いい大学」と「学費や生活費」を両立するならば最低あと数年はかかる。来年すぐというわけにはいかないのが現実であり高校時代の勉強などほとんど覚えていない。

そんな中今更日本の大学に行ったところで何浪もしている立場でしかなく、10代も来るような大学の中で疎外感にも似たものを感じるのではないかという危惧もあった。

そしてそこから最低4年かけて日本の大学を卒業したところで空白期間のあるただの大卒にしかならない。

日本の文化で考えたとき、こういった人間はただの行き遅れでしかないのである。考えすぎかもしれないが日本ではどうしても年齢とは重要なファクターだ。周りが意識するというよりも自分が意識するという方が近いが、いずれにせよ自分はそういう空間に今更希望を感じれないのである。

 

また学歴の面を考えたときにMARCHなどはいくらでも日本中にいて、早慶、旧帝のような高学歴層ですら実は世の中にありふれているのだ。現実的に自分の能力や学力を考えたときそこにすらたどり着かない可能性もある。

結局その他大勢にしかなれず、「日本の生活」という想定の範囲内の生活しか待っていない。

そういった「平凡」な将来を考えたときにまるでモチベーションや希望もわいてこない。

「3年後絶対に東大を目指す」ということですらどうでもよく感じてしまうのだ。東大卒ですら実は無数にいるのである。本当に唯一無二の人生を目指そうと思ったとき、日本社会ではただの高学歴ですら埋もれる。

そしてその高学歴にすらなれないし、今更目指す気にもなれないのが現実だ。

日本で大学生になるという事にそこまで魅力は感じない。

自分の年齢のすべてを日本で生活してきた自分にとって、良くも悪くもある程度予想がつく。それが自分に実際にできるかどうかはともかく本当に未知のことはそれほどなく刺激がない。

つまり途方もない労力を投じて目指すほどの夢でもないというのが現実的な認識になりそれほどやる気が沸かない。

自分にとって二度目の受験生活には新鮮味も感じないのである。今更数年遅れで今まで誰もがやってきたようなことを送るほどの情熱はもう自分の中で枯渇している。それだったら普通に日本で使えそうな資格試験でも目指して現実的な就職先を探す方がまだ希望が持てる。

 

しかし海外の大学となれば別。そもそも海外生活という未知の世界があり、良い意味でも悪い意味でも予想がつかない。まるで高校生のころのような新鮮な憧れがあるのだ。

ある程度県外での生活を知ってしまった自分にとって今更県外や日本での生活はある程度予想が付き、多少グレードが上がったとしてもものすごく新しい事ではない。

漠然と「県外」とか「大学」という事に未知ゆえの憧れを持っていたあの頃のような情熱はもうないのである。

 

だがこれが「海外の大学」となれば別であり、高校生の頃のようなモチベーションで挑める。元々大学関係なしに欧州での生活に漠然とした夢があり、そこに更に大学進学というもう一つの夢を加えることができるようになった。同じレベルの大学ならば海外の大学や海外生活経験という肩書でも重要なものになるし、逆に海外でも自分は希少価値のある存在になれる。良いか悪いかはともかくレアな存在になれる、とにかく自分はその他大勢に埋もれたくないという強い思いがある。

 

今の所これはできたばかりの青写真に過ぎない。

途方もない漠然とした夢である。

しかしそういう漠然とした大きな夢を抱く情熱すら失っていたのが最近の自分であり、人生を諦めかけていたのだ。そんな人生を諦めかけていた自分にとって久しぶりに新しい夢ができた。

スペイン語なんてつい数日前勉強し始めたに過ぎない、この状況で自分は途方もない夢を見ているのである。

しかし40近くになって何も持たずに渡米したピース綾部のような人もいるのだ。

正直自分はスペイン語なんて一切話せないし、綾部の英語力のほうが自分のスペイン語力よりはまだ高いほどだ。

 

しかし人生チャレンジするのに遅いなんてことは無い。

人生一度は無謀なチャレンジャーになるぐらいの方が楽しい。

むしろ海外挑戦を視野に入れる年齢としては今の自分は早いかもしれないし、そもそも一生日本から出ずに人生を終える人もいる。一度きりの人生一度は海の向こうでチャレンジしたい、その挑戦を考えたときにむしろ自分は早く夢を決めることができたほうかもしれない。

何もない場所から、終わった場所から夢を見る。

夢さえあれば不可能はない。