負け組ゆとりの語り場

社会に取り残された男が日々を語る

正直大人になると彼女より金が欲しくなるよな

ガチの底辺になるともはや彼女や恋人よりもまず金や生活の安定が欲しい。日々を生活するだけで精いっぱいのその日ぐらしの底辺に落ちぶれると、彼女は欲しいがそれよりまず金が欲しくなる。

人間いざという時に必要なのは衣食住であり恋人はいなくても最低限の生活はできるのだ。ガチの底辺は彼女を作る努力すらする余裕がないし、仮に無理して作ったところでどうその関係を維持できるかということが問題になる。

 

まずは一にも二にも生活費であり、生活が全て。その余裕の次に来るのが恋人である。恋人というのはある程度余裕ができてからでなければ楽しめない嗜好や贅沢といった存在である。まずはどうにかこの生活の苦境を打破できなければ彼女どころではない。今の時代結婚どころではないというが、それ以前に彼女どころではないのが自分の生活でありまずは生活の安定が欲しい。

デートをするにしてもお金が必要で、今とにかく自分は少ない予算を最低限の生活費以外に使いたくないのだ。何とも悲しい人間だが、それが底辺の実態である。

逆に金を出してくれる彼女だったならば喜んで彼氏になりたいが、そんな人はいない。お金はあるけど孤独なおばさんのヒモになれるならなりたいが、それを探すのも結局大変な事である。

そんな都合よく見つかるはずもなく、まずは現状生活の体制を整えてから彼女探しは現実的な選択に入ってくる。正直今はそれどこれではないのが自分の生活の実態だ。

 

ただ逆に言えばそれが言い訳になっているともいえる。

「がんばれば作れるけど、今は生活のことで精いっぱい」とどこかで逃げ道を作って、挑戦を恐れている現実もある。

ちょっと前までは作りたくて仕方がなかったが、今は「それどころじゃない」という都合のいい言い訳ができて「欲しい欲しい」という焦燥感は無くなっている。

そうやってどんどん言い聞かせているうちに時は過ぎてしまうのだが、一度底辺に落ちぶれると今日を意識低く過ごせればいいやとその日酒で紛らわすだけの生活が続く。

彼女を作る努力も生活を変える努力も全て先延ばし、徹底的なまでに先延ばしの習慣が身についてしまっておりなかなか脱却することができない。

「今俺には別の問題がある」と言い聞かせることで、逆に言えば「彼女がいなくても今はいいんだ」という安心材料を作ってしまっている。

金と異性というのは大人にとっては頭を抱える問題だ。

金の問題も異性の問題も心配せず恵まれた暮らしをしてみたいものである。

この問題を打破したければ努力するしかないのだが、努力する気力もわかずその日暮らしを惰性で過ごすことが板についてしまっている。酒を飲めばそういう問題もどうでもよくなって、今意識低く過ごす事の快楽を優先してしまう。その結果気づけば長いときが過ぎてしまっている。そろそろ打開しなければならないのだがなかなか結果がついてこない現実もある。一応すべての努力を放棄しているわけではないのだが、その努力がまだ結果を出せていないというのが今の自分だ。

まるで何もかもうまくいかない、そして底辺に定住してしまう、今負のスパイラルに自分は陥っている。何にも恵まれない哀れな存在である。