負け組ゆとりの語り場

社会に取り残された男が日々を語る

酒は飲むけどタバコは吸わない←合理的な判断だよな

自分のここ最近の楽しみはもっぱら酒を飲むことである。ブログを書く時もたいてい酒を飲みながら書いているし、そうでなければ何もかもテンションが上がってこない。アルコールが入っていなければ世の中のすべてがつまらなく思えるし、逆に酒が入ることでポジティブな希望が湧いてきていろんなことが楽しく感じられるようになる。

人生の希望は酒であり、唯一の楽しみといっても過言ではない。

 

酒は素晴らしい、格安で世間では大金を払わなければ得られない楽しみもえられる。酔う事で物事の満足への基準が下がるため底辺の人間には欠かせない物である。

焼酎とスルメを組み合わせればスルメの極上の旨味が倍増する。これはノンアルコールで高級寿司を食べる喜びと変わらないだろう。どんなに高価で美味しい物でも酒がなければただの美味しい物で終わるが、酒があればどんなに安い物でも美味しく感じられる。

また旅行に行くことなんて貧乏底辺の自分はできないが、酒を飲んで旅系のテレビ番組や、動画、ブログを見るとそれなりに楽しかったりする。酒を飲んでいない時はそこまで面白くなくても、酒を飲めばいろんな満足への基準が下がりそれなりに楽しめる。

それゆえに結局努力をしなかったり、「この程度の生活でいいや」と意識低く満足してしまい負のスパイラルから逃れられないのだが、「まぁそれはそれでいいや」と底辺に定住してしまってもいる。

 

しかしそんな底辺のアル中でも唯一避けているものがある、それはタバコである。

自分がタバコをやらない理由は複数ある。

・喫煙者の身内が苦労している

・移動手段および行ける場所が限定される

・周囲に迷惑がかかる

・これから規制や増額が避けられない

・女性受けや子供受けが致命的に悪い

・一度深みにはまると抜け出せない

・健康も容姿も劣化する

・快楽は酒で十分足りる

まず喫煙者が身内にいるため、その苦労話を何度か聞いていることが前提となる。子供のころから自分はタバコ嫌いに育ったしタバコのデメリットを聞かされていた。典型的な父親が喫煙者ならば子供は禁煙者になるというパターンである。

また近年は電車だけでなく新幹線、飛行機なども禁煙になってきており路上も禁煙の場所が多い。そのためどこかに行くにしても我慢しながらいかなければならず、結局自分の車で移動するか、家にいるかになってしまう。そして喫煙者の車には誰も乗りたがらないし、家にも来たがらないだろう。特に女性や子供からの評価は致命的に悪い。

結婚相手の条件としても今や「タバコを吸わない人」という条件は多く、男性からであっても非喫煙者からの評価は最悪であり自分自身喫煙者と非喫煙者ならば後者の方との付き合いを優先したいと考えている。

 

またこれから規制や増額の傾向は一途をたどり、既に飲食店で禁煙が施行されるようになり、これから真っ先に増税されるのはタバコだろう。よく「タバコを吸わない人はつまらない生活をしている」と言われるが実際の所タバコを吸わない分かなりの金額が浮き、行ける場所も行く手段も、行く相手も喫煙者と非喫煙者では天と地の差がある。

一番最悪なパターンは貧乏でありながら喫煙者というパターンだ。自分の身内がまさにそのパターンでありタバコを吸うために他の生活費を削っている状態である。

行ける場所も行く相手も、行く手段も、そして使える手段も限られことはむしろ人生を楽しむ手段を狭めているように思うし、現代の若者が喫煙をわざわざ選ばないことは必然だと言える。

タバコがかっこよかった時代ならまだしも、今の時代「危ないタバコやってる大人な俺かっけー」と考える若者は教育水準の高い場所で育ったとは考えにくい。今の世の中で普通に生きててタバコが数々のデメリットを度外視してでもかっこいいと思える環境はレアになっているだろう。

 

また「タバコを吸わない人間はつまらない論」も、酒もたばこもギャンブルも一切やらない相手には通じるが「酒は飲むけどタバコは吸わない」という立場の人間には通じない理論だろう。今一番人生を楽しもうと思えば「酒は飲むがたばこは吸わない」というのは一番効率がよく、むしろ酒に特化するぐらいの方がいいともいえる。

酒もたばこもやらないならば「真面目過ぎる」という批判にも一理あるが「酒はやるがたばこ流行らない」という人を「真面目」だと批判することは無理があるのではないだろうか。

実際女性でもタバコは鬼のように嫌いだが、お酒はむしろ好きという人が多く、そういう世間の風潮に合わせるならば「酒は飲むがたばこは吸わない」というパターンが最も合理的であり「真面目過ぎず馬鹿すぎず」という程よい立ち位置にいる。

 

この状況で酒だけでなくたばこまで手を出すならば馬鹿だが、逆に酒すら飲まないのは真面目過ぎる。まさに攻守最強が酒は飲むが煙草は吸わないというパターンである。

飲食店ではむしろ利益のために酒類を提供している場所が多く酒はフリーであるし、煙も出さないためタバコほど迷惑がかかることは無い。むしろ食事の席ではアルコールをたしなむ人は多く話は盛り上がるし食事との相性もいい。

その一方でタバコは禁止されている場所が多く、どんなに美味しい食事でも我慢しながら食べなくてはならずわざわざ一服するために席を離脱しなければならない。またタバコ代も非喫煙者ならば酒代や食事代に上乗せすることができるためグレードが上のものを選べるようになる。女性や子供では喫煙者との同席を嫌がる人も多く、合理的な判断をするならばやはり吸わないほうがいいと考えられる。

 

ただこういうと「何もかも合理的な判断や正しい判断ばかりでつまらないのではないか」という反論もあるが、本当に合理的な判断をしているならばそもそも酒すら飲まないだろう。実際に自分の友人でもタバコはもちろんの事酒もやらない人がいるが、さすがにその生活は自分には耐えられない。人生には多少なりとも非日常の快楽が必要だ。

そうやって合理的な判断を破って酒までは行く、しかしタバコまで行くのはもはや現代の状況では限度を超えているという判断だ。

「多少馬鹿はするが、そこまでは行き過ぎない」という攻守最強のやり方であり「真面目過ぎず馬鹿すぎず」という判断をしている。

そして現代の若者を見ても現に非喫煙者は増えており、お酒を飲む人はまだ数多くいる。酒は飲むがたばこは吸わない、これが今多数派を占める最先端の考えであり真面目過ぎず馬鹿すぎずという丁度良い生き方なのではないだろうか。