負け組ゆとりの語り場

社会に取り残された男が日々を語る

BTSラップモンスター「歴史を忘れた民族に未来は無い」←いい言葉だよな

芸能人の過去の発言が取りざたされて、時間を超越して問題になることはしばしばあり、時として国際問題に発展することがある。

この度、韓国のヒップホップグループである防弾少年団、BTSがちょうど徴用工問題というタイミングもあって荒れに荒れ、揺れに揺れている。

その上ミュージックステーション出演が控え、紅白の出場も確実視されているので、炎上しない方がおかしいという状況だ。

次回のMステが天王山であり、このまま紅白に向かうのか、それを阻止するのかという攻防戦が繰り広げられている。NHKとしては受信料支払い拒否を回避するために、BTSの出演を取り下げるのではないかとも予想されており先行きが読めない。

 

まず徴用工問題については「当時の韓国政府」が賠償金を徴用工に支払わなかったことが今になって掘り返されている。

これは当時、韓国が朴正煕(パク・チョンヒ)の独裁政権下にあり国際的に輸出できるまともな産業が無い状況で、やむを得なく日韓基本条約で得た資金をもとに産業化に走ったという背景がある。

朴正煕に言わせれば、個々人に保証するよりも、その資金を元手に国家全体を発展させた方が長期的には国益になるという判断だったはずであり、今の民主主義や人権の理念を適用する余裕が当時の韓国にはなかった。

いつ北朝鮮が南進して来るかわからず、国力も北側が勝っていた時代に選択の余地などなかったのだ。

「民主主義は待ってくれ、今は国民が食う事が先だ」として朴正煕は西側諸国では稀有な程に長期の開発独裁を敷いた。

確かに強権的な側面はあったもののそのおかげで今日の韓国の発展した社会があるのだが、当の韓国人はこの歴史を忘れてしまい、民主化運動世代の声が大きくなっている現状がある。

 

この度、防弾少年団について問題になっているのは主に二つだ。

・RMの「歴史を忘れた民族に未来は無い」という発言

・ジミンの原爆Tシャツ

 

まず一つ目に誤解されているのが、「歴史を忘れた民族に未来は無い」という発言が日本に向けられたものであるという認識だ。

これはスポーツの日韓戦などを見ていると度々目にする言葉だが、これは自国民に対する戒めのような意味合いが強く反日的な発言ではない。

ようするに「朝鮮という国は弱かったor外敵に立ち向かう勇気が無かったから外国に取り組まれることになった」ということを自戒し、「韓国は強い国にならなければならない、そうでなければまた同じように滅亡する」というニュアンスに近い。

 

「日本は過去の歴史を反省しなければ滅亡する」という内政干渉だと勘違いされているが、どちらかというと日本という巨悪に滅ぼされた韓国を、再び負けないようにするために鼓舞する意図で使われている。

 

その認識の上で自分は思うのだが、「歴史を忘れた民族に未来は無い」という言葉は日本人こそ真摯に受け止めなければならないのではないかということだ。

日本が先の第二次世界大戦で敗戦したことは、まさしく国の滅亡だが、主な要因として外交力と国力の欠如があった。

これは朝鮮が日本に取り込まれた理由と同じで、弱肉強食の国際社会では弱い物は必ず強者によって食い物にされる。

日本に外交力や交渉力、先見性、大局観のようなものがあればそもそもアメリカとの無謀な戦争などしなかったはずだ。無実の市民も、純粋な思いで国家に貢献しようと思っていた誇り高き軍人も、爆撃によって焼失した歴史遺産も消えることはなかった。

 

朝鮮だって同じだ、高宗と閔妃の二人が王朝の外交をかき回し混乱させ、近代化より政権の維持に固執しなければ自国で発展する可能性はあった。

事実として福沢諭吉も認めた金玉均という開化派も存在したわけであり、近代化の可能性は存在した。

 

皮肉なのはこの歴史を忘れた民族に、日本人と韓国人のどちらもなろうとしていることだ。

BTSのラップモンスターは自分自身ファンの一人でもあるが、第一にこの発言自体数年前の物で10代の時の物だ。自分自身の10代の時の政治思想や歴史認識を振り返ってみても到底まともなものではないし、現時点でもそうだろう。

人間というのは考え方も変わっていくし、成熟し成長していく。一瞬の過去の発言だけでその人を判断し、更にその民族全体を判断することがあっていいのだろうか。

あの時何となく言ったということだけで、個人の人生全体が判断されるともはや誰も発言できなくなる。

ラップモンスターの発言も全体を見れば「独立のために身を捧げてくれた先祖への感謝を捧げましょう」という意味合いで、日本への批判のニュアンスはそれほど強くない。

それをいうならば日本も神風特別攻撃隊に出陣した人々を賞賛することがあるわけで、どの国にも自国の歴史観というものがある。

 

「歴史を忘れた民族に未来は無い」という言葉自体は、発言する側にも受け手側にもよって多彩な意味を持つ。

しかし抽象的な意味合いとしてこの言葉を見た場合、示唆に富んだ言葉であるように思えてならない。

韓国の場合、近代における日本の統治については厳しく攻め立てるが、過去を振り返れば中国、モンゴル、そして同胞だったはずの北朝鮮にも侵略されたことがある。

「光復節」として彼らが祝う、日本からのいわば解放記念日もアメリカがもたらしてくれたものだが、今ではそのアメリカに対しても反米になろうとしている。

 

原爆の問題に関しては日本人としては当然、快く感じるわけではないが、敗北の象徴としてこれほど響くものは無いのも現実で、「なぜ落とされたのか」という歴史を忘れてもいけない。

 

韓国の歴史、そして抗日ドラマなどを見てみると日本はとても大きな意味を持つ。

ある意味現代の韓国史は日本からの独立をストーリーの序盤にしており、その悪役としての存在感は日本人が思っている以上に大きい。

アメリカに負けた日本は、朝鮮については領土の一つだったし多民族国家の中の少数民族だという認識だったし、時としては気づかない程に市民生活に溶け込んでいた。

一方で韓国人が思い描く自国の近代史は、日本と戦ったという独立闘争の歴史であり、良くも悪くも日本は欠かせない。

 

中国、モンゴル、北朝鮮からの侵略は忘れるのに日本の事は忘れないという矛盾点も確かに問題ではある。独立運動によって現代の韓国が発足したわけではなく、核爆弾の二発とソ連の対日参戦によって大韓民国は現在まで存続している。

 

しかし日本人がここで「朝鮮人は原子爆弾を製造する科学技術力を保有していないどころか、大日本帝国の二等皇国臣民だった」と悦に浸ってよいのだろうか。

原子爆弾を自力で製造することができなかったのは朝鮮人だけではない、日本人も製造できなかった離れ業だ。

日本軍も確かに原爆の製造に着手していたものの、それはドイツに及ばずウランの採取に悩んでいたレベルであり、そのドイツですら間に合わなく敗戦した。

そして戦争が長期化した日本軍はドイツの降伏後も戦いをつづけ、原爆投下後も戦いを続け本土決戦まで想定していた。

ソ連の対日参戦がなければ確実にこの国は竹槍と火縄銃で連合軍に地上戦を挑んでいただろう。現在主要な観光地となっている国土も沖縄戦と同じようになり、それこそ朝鮮戦争で焼け野原になった北朝鮮や韓国のように消え去っていたはずだ。

歴史を忘れた民族に未来は無い、その言葉は見る歴史によって意味合いは違うだろう、しかしこの言葉自体は何も間違ってはいないように思えてならない。