負け組ゆとりの語り場

社会に取り残された男が日々を語る

ヒカキンは最近の子供たちにとって貴重な情報源になっている

何もかもがネットやユーチューブ中心の文化になっていく現代が良い時代なのかそうではないのかはわからない。

生まれた時からネットが存在しているネットネイティブ世代にとって、ネットが無い時代というのは想像がつかない世界だろう。

 

自分のように新しい文明として固定回線でネットに触れつつも、まだスマホは存在せずガラケーが主流だった時代の人間は当時のネット環境を懐かしむ。

ネットの普及が現代人を幸福にしたのかはわからないし、最近のネットはつまらなくなったと言いつつも生まれた時からそれが普通の世代にとっては、もう老害の意見にしか聞こえないのかもしれない。

 

昔ながらのネットのノリの良さも失われて、まぁこういうことを語っても仕方がないかと寂しく思う自分だが、その一方で過度に昔のネットを美化することも良くないし、今のネットはそれはそれなりに必要なインフラだという視点も持っている。

特にユーチューバーから伝わる文化というのは今の若い世代にとって重要であるし、インフルエンサーという存在は社会に必要な物だと言える。

 

ユーチューブでもゲームの昔の環境を語る人は必要であるし、ホビーやおもちゃを紹介する動画は貴重だと言える。

例えば遊戯王のようなTCGで「昔このカードが強かった」という話を語って、そのコメ欄に「そんな時代があったんだ」という反応がある現象はコンテンツ文化を語り継ぐうえでは必要な事だろうと思う。昔はそういったことはサイト文化で継承されていたのかもしれないが、動画の方が多くの人が見るし文章を読むよりも動画を見る方が映像もわかりやすく示されているし、話し声のトーンもつたわってくるしで理解しやすいというのはある。

 

プラモデルや玩具のようなアナログのものも、画像よりは動画の方が臨場感が伝わるのは事実であり、それで興味を持つ子供たちが増えるのならば否定はできない。

雑誌やカタログを見て想像していた時代から、ネットで個人が持つ実物が伝わるようになり、動画で更に詳しく見れるようになった。それ自体はもちろん良い事だろうし自分自身もそうして情報を得ることは多い。

 

生き物などを解説した図鑑だって昔の物を見れば写真があるだけマシな方で、単なるイラストなんてこともざらだった。今では英語で調べるスキルさえあれば、世界中のあらゆる生物を高画質で見られる時代だ。

テレビの動物番組、それも一週間に一回あるかないかのような番組でやっとみられた海外の生物も今では毎日高画質で見ることができる。こういった時代に幼少期を過ごしていれば自分は生物学者になれていたのではないかと思う事も無くは無い程に、今の学習環境は充実している。

 

それは高度な学問だけに限らずカジュアルな文化でも同じで、昔の映像なども当時のフィルムを持っていた人が個人で投稿することで世代を超えてアーカイブスとしてみることができる。それは日本だけでなく海外に関しても言えることで、自分自身他国のポップカルチャーなどはほぼユーチューブで知ることが多い。

 

またユーチューブが情報源になるという意味では現代の社会構造とも関連している。現実問題として、世代間が断絶して横の繋がりが失われていく時代に、貴重な繋がりがユーチューバーになっているのかもしれない。

 

かつての時代であれば、学校の先輩や地域コミュニティ、職場、そしてマスメディアを通じて得ていた情報も現代では得られにくくなっている構造がある。

少子化もその典型で、兄弟や姉妹がいないので上の年代から伝わってくる情報もないし、同世代も少ないので情報が停滞しているという可能性は十分に考えられる。

実際に自分の地元の小学校はほぼ廃校寸前で、生徒数自体が少なくその少人数の中だけで出回る情報というのはかなり閉鎖的であるように見える。その一方で生徒数が多いからと言って、そういう学校程他の学年との関係が希薄で自分のクラスの中だけで更には少人数のグループだけでつるむという状況もあり得る。

 

ヒカキン

上級生の文化や流行に憧れるという時代から、そもそも上級生がほとんど存在しないという時代になれば、その代役はユーチューバーしか存在しない。

日本で最も有名なユーチューバーであるヒカキンは1989年生まれなので、ちょうど今の子供たちにとって「良いお兄ちゃん」という立ち位置にあるのだろう。

地域の中に、ちょっと年上のお兄ちゃんやお姉ちゃんが存在して文化の情報源になっていた時代という物が少子化と世代間の断絶によって失われてきている。

 

上下関係の代名詞である部活動ですら最近は学年が違えばそれほど関わりが無いと言うところも増えているし、違う世代に対する抵抗感というのは大きくなってきているように思う。

実際のところ自分も最近の10代のことはよく分からないし、TikTokがなぜ若者に受けているのか悩まずにはいられない笑

自分と同学年なので勝手に親近感を抱いている指原莉乃が、「最近の子たちがTikTokの撮影で盛り上がっているのを傍から見ているおばさん」と自虐していた心理に非常に共感をするし、そもそも指原自信2ちゃんねるにVIP板が登場する前からのネラーだ。

 

そんな指原がSNS使いこしているし、これまた同じ年代のきゃりーぱみゅぱみゅは若者のカリスマだ。

そういうところを見るとなんだかんだで女子の方が若い文化への適応力は高いのかなと、もはや老害になりつつある自分としては虚しくなってくるし、その上の世代はもっと今のネットにつまらなさを感じているだろう。

指原莉乃の本音は聞いてみたい一方で、昔のネット文化から上手く現代に適応しつつ昔ながらの感覚も残しているという巧さも尊敬する。

 

きゃりーぱみゅぱみゅに関しては、有名人ですらゆとり世代は堅実なんだなというのを最近テレビ番組でみた。内容はバブル時代の申し子である西川史子と、高級バッグを買いに行くというものだったのだがとにかくきゃりーぱみゅぱみゅは母親の教えで金銭感覚に堅実で、世界に知られるアーティストでありながら結局やっと買ったのが2万の小さなバッグだった。もしかしたらそういう演出なのかもしれないし裏では豪遊しているのかもしれないが、いずれにせよ堅実な庶民感覚が親近感アピールになるという時代の感覚を今の若者世代は持っている。

 

そして今のさとり世代は、そのゆとり世代より更に堅実になっているというか夢を見ない世代になっていて、東日本震災以降に物心がついている世代だとなおさら停滞している日本が普通であると認識している。

まだゆとり世代ならまだ華やかだったころの日本文化を何とか知っているからこそ現代社会に対するもどかしさもあるが、生まれた時から停滞していることが普通の世代にとってはもはや疑問にすら思っていないのではないか。

 

こういう状態が普通のことになっていくと日本って本当に発展しない国になって、失われた20年が30年になっている今の状況から更に失われた40年を超過する時代が到来するように思えてならない。

 

その意味で少しでも昔のことを語り継いで、世代間の断絶を無くしていくという意味ではヒカキンのような存在は必要なのかもしれない。

若者が上司の飲み会の誘いに応じなくなったと言われて既に久しいし、自分自身上の世代と飲食を共にするという機会は身内以外にないし、それも長らく遠ざかっている。

上の世代とのつながりがユーチューブしかないというが本当に到来している、そしてネット社会になって昔の文化の失われやすさというのも感じずにはいられない。

ネットしか違う世代の物を知る手段がない上に、そのネットの情報すら実は儚くすぐに消えていく時代というのは危うく儚い物だ。

 

ユーチューブ前提の文化になった一方で、そのユーチューブの動画なんて実はすぐ削除されて1年も残らないなんてことは多い。SNSなどの投稿も、1年もしないうちにもうアカウントを残していないなんてのは有り触れている。

ネットサービスの寿命はどれだけ長くても10年、あるいは20年という時代に果たしてどれだけのものが継承されていくのか。

古くは洞窟に壁画を残した人類や、文字を開発して歴史を記録して行ったり、映像技術を開発して行ったりした先人が存在した。そのように現代人は語り継ぐこと、保存していく事、横とのつながりを増やし発展させていく事の重要性をもう一度認識しなければ、今の時代というのは一瞬の歴史として忘れ去られていくように思えてならない。

平成もいよいよ終わろうとしている、この時代が未来の教科書では何も語ることが無い時代として表記されているならばそれは寂しいことだ。

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