負け組ゆとりの語り場

社会に取り残された男が日々を語る

もう充実感とかいらないから楽に生きたいと考え

人は何のために生きているのかと考えれば考えるほど虚しくなる。

これまでの自分は手に入りもしない充実感や昂揚感を無駄に追い求めてきた。

ただいつの間にかそこにはたどり着けないことに気付き、心身ともに疲弊し上手く行かない現実に苛まれてきたのだろう。

 

いろんなことが面倒に感じる、例えば虚無感を満たしたり昂揚感を得るために飲むお酒だってよくよく考えれば、飲むまでも飲んでいる時も飲んだ後もやることが多い。

特に今日だって飲み過ぎた後は二日酔いが大変で、そこまでして昂揚感を得ようとして何になるんだろうなと馬鹿みたいになった。

 

もう人生の充実感とかいらないし、どうせ手に入らないんだし、もういらないかなと思うとすっきりする。無様に横になっている時、一瞬もう孤独は嫌だから誰か一人に愛されたいという考えがよぎった。

ただその後少し寝て、また目が覚めたら、いやもう充実感とか充足感とかそういうことを求める心理自体が無駄だなというか徒労だなと気づいた。

恋愛にしても結婚にしても、みんな理想は手に入らないで昨今は諦めている人の方が多い。

一時の幸福感のためにやることが多すぎるし、いつ消えるかもわからない。

実際婚活して現実悟って諦めの境地に辿り着いたみたいな人な人は増えてるし、もう孤独でもいいし、夢もかなわなくていいし、諸々どうでもいいから楽になりたいという考えになったほうがすっきりする。

 

自分の行いが誰かに認められる事を目指すとか、何かで1位になるとか、何かの能力を高めるとか、他人との比較や競争も現代の疲労感の一因なのではないか。

もっと言えば世の中が明るい方向に向かって行ってほしいとか、希望にあふれる時代になってほしいとかそういうのはもっとどうにもならないだろう。

世界を変えるとか思ったところで、世の中が自分の理想通りに変わるなんてことは無い。

 

じゃあ現実を諦めてネットを面白い理想空間にしようというのが昔の考えだったけど、これも実際にはかつてのネット民が思い描いていたほどのユートピアにはならなかった。

そのために自分もいろいろネットで活動をしてきたけど、正直自分を見ている人はもうROM専ユーザーと無課金ユーザーばかりで、これ以上いい方向に向かっていく気もしなくなってきたし、この状態が続きそうなら全般的に活動を縮小傾向にしていこうかなと考え始めている。

なんというか本当に楽しんでみてくれてるのかなぁと不安になるというか・・・

ネットで何かをしても楽しいという実感が最近は少なくなってきたし、人生全てにおいて夢見たところで無駄だよなぁということが増えてきた。

自分に限らず昨今SNS疲れをする人も増えてきてるし、ユーチューバーとか目指したところでもう今後はセミプロ基準が求められるようになっていく。現実どころかネットですら夢に溢れていた時代は終わろうとしている。

 

日本経済だってGDP3位で中国に追い抜かれたとかいったところで、もう落ちていくのは避けられないのだから、むしろ30位ぐらいでいいやという考えになったほうが楽だ。

日本に限ったことではないけども、学校教育の段階から、通学、授業、宿題、人間関係、部活、下校、受験、学校行事などと、忙しいことを疑問に思わない人間に改造させられていく。

大学に関しては日本の方が諸外国の大学に比べ、卒業が用意で遊ぶ時間が多い傾向にはあるけど逆に卒業して、社会に入っていけばこれまた一気に忙しくなる。

 

こんな忙しい生活を何十年続けた先に何が待っているというのだろうか。

忙しい事やハードなことを苦に思わない人向けに社会は作られている。

アスリートやアーティストのように自分の好きなことを実現できて、それで忙しいならば充実感に満ちた人生になる確率は高いが、一般の人間となるとそうはいかない。

 

それこそ今後AIに人間のやることを代替させて、人間はなるべくやることを減らすという方向に向かったほうがいいのではないか。その社会の実現のためには充実してバリバリ生きていく事よりも、楽に気ままに過ごすことがいいというタイプの人間が増えたほうが良いような気もする。

手に入りもしない充足感を一般の人間が無理して目指すよりは、楽に生きたいという本音をもっと大事にしてもいいのではないだろうか。

 

充実しているように見える人生も実はやってみれば本当にハードスケジュールで大変だということが多い。必要最低限のものだけは手軽にそろって、何もしなくても良い世の中の方が、不安は感じなくて済むしかえって充足感も得やすくなるように思う。

 

無理に充足感も昂揚感燃える必要はないんだからお酒は飲まなくてもいいと考えたり、幸せになる必要はないんだから婚活に翻弄されることも無いと諦めたりしたほうが、むしろ幸せなのではないか。

何もしなくていいというのは特別な楽しみがあるわけではない。

ただし楽ではあるしそれがむしろ幸福なのではないか。

「これでいいのだ」ではないけど、世の中無理に追い求める必要もない物の方が多いし、自己実現は誰だってできる物じゃない。そもそも現代人は理想の自分を求める傾向が強すぎたのかもしれない。

近代以前は個人という概念は今よりも希薄だったが、それで不幸だったかと言えばそうでもない。

根拠なき不安や、何かもわからず満たされない思い、それらはきっとこれからも続いていくだろう。

充実した人生を求めるという答えのない旅の果てに理想郷はまってはいない。

大きな幸せというよりも、一つだけ好きな街を見つけられて、一冊だけ好きな本を見つけられて、余生を静かに暮らせればそれでいい人生だったじゃないかみたいな生き方の方が本当の幸せなのかもしれない。