人生のワクワクする楽しみが年々少なくなっていく感覚
この先続いていく人生に希望を持って生きていくにはやはり何らかの楽しみが必要だ。
人生に意味は必要ないとしても、楽しみが無ければ張り合いがない。
別に個人の小さな人生に大層な意味なんて必要なくて、楽しければ良いのだが、その楽しみが年々少なくなってくる。
ここ最近の自分はとにかく何らかの楽しみを探そうとしているのだが、人生は上向くどころかむしろつまらなくなってきている気がしてならない。
なんというか長いよなぁ人生ってという果てしなさに駆られる。
今でさえつまらないのに人生100年時代をこれから、おまけに衰退していく世の中でどう楽しんでいけばよいのだろうかと考えると途方もない。
先に何も楽しみが待っていないような感覚に陥ると、急に人生は虚しく感じる。
自分の人生に限度も見えてきたというかある程度現実を悟り、夢も情熱も感じなくなっていく。
希望通りの人生にはならなくて、これから現実の社会を生きていかないといけない感覚はどうしようもなく虚しい。
いつまでも好きな事ばかりしていられないというか、大人になっていかないといけないんだろうなという現実がそこにはある。
もうそろそろ現実を生きる大人になることを目指して、惰性で生きていくだけの人生が続くのかと思うと、楽しかった時代の終わりが悲しくなる。
例えば世の中にある娯楽やコンテンツは徐々に面白くなくなっていくというか、自分が楽しめない側の人間になっていくことが増えた。発売が楽しみなゲームやプラモデルも少なくなり、新作が楽しみなアニメや漫画なども減っていく。
コンテンツがつまらなくなっていくというよりも、現実社会を忙しく生きるうちにそんなことしてられなくなって、終いには興味もなくなっていくというのがそのメカニズムかもしれない。
10代の頃の自分と違うのは「毎週楽しみにしているアニメ」がなくなったことだろうか。正直今リアルタイムで追いかけているアニメは無く、かといって今更過去作を見る気にもなれない。
自分好みのアニメは作られなくなるし、そもそもバーチャルユーチューバーの時代になって来ているし、テレビ番組もまさにユーチューバーの時代にシフトしている。
従来型の文化が徐々に変化していき、次の文化が育て行く事自体は歴史の流れで繰り返されてきたことだが、それが必ずしも面白い方向に向かうとは限らない。
じゃあ代わりに現代のネット文化が面白くなってきているかと言えば、そうではないように思う。自分が好きだったころのネットの雰囲気と今は違うし、それを変えようとしたところでもう抗えない時代の流れがある。
20世紀型の文化が残りつつも、ネットが少しずつ普及して来る00年代の文化からもはやネットがリアルに逆転するテン年代の文化になった。
その00年代の文化もバブル崩壊以降華やかな文化は徐々に下火になっていく。
80年代の雑誌文化がなくなったとか大型テレビ番組が少なくなっていくとか、失われた20年で景気が低迷して派手な車やバイクに憧れる時代でもなくなったとか、日本人は海外旅行や留学に行かなくなったとか、そういうことを上げればキリが無い。
その時代までは遡らなくとも、ネットはフラッシュ動画や2ちゃんねるの時代から、まとめサイトやニコニコ動画の時代になり、そしてもうユーチューブの時代になったなと感じる。
現実とは違うバーチャル空間であると錯覚できた時代のネットと違い、もう今はいろんなことがリアルの現実前提となっている。
ネットにしか居場所が無い人こそ、現実への反発で新しいことをやる人が多かった時代から、むしろ現実における信頼度や信用のほうが大事な時代だ。
アニメも「制作側が露骨にネットのネタを意識したものは寒い」と言われていた時代から、もはやバーチャルユーチューバーのようにネットで直接やる物が受けるようになった。
便利ではあるがもう完全にネット前提の社会になったし、ネットも現実前提になった。
ネットが学校には見つからない秘密基地のような遊び場だった時代は終わったのだろう。秘密基地作りなんて馬鹿なことしてないで、現実の学校生活を生きていかないといけないことに気付いていく。
実際秘密基地を題材にしたゲームの設定が最近の子供たちの事情と違うので、通信アプリで指定した場所に集合するという物語になったいう話もある。
子供は学校のLINEグループで、大人は会社のグループに縛られる世の中だ。
ワクワクしなくなったという意味では、ネットが対抗していたテレビもいざオワコンになると物寂しい気がしてくる。
現代人のライフスタイルが多様化してテレビというメディアも時代に合わなくなっているのだろう。実際一時テレビを再評価していた自分も、ここ最近やはり見るのが面倒だしそもそも面白い番組もないなという感覚になっている。
それは戦前、新聞や雑誌が国民的なメディアとして共通項だった時代が終わったのと同じで、テレビも役目を終えていくのだろう。
以前ほどオリコンランキングの権威がなくなって、歌番組が流行を作り出すという文化やそれを見るという習慣も無くなった。
かろうじてミュージックステーションは日本全国で見られているという感覚はあるし、実際SNSでも話題にはなる。ただかつてのような豪華さは薄れてきているし、似た様な話で言えばお笑い番組も少なくなってきている。
現代のネットに適応できるものだけが生き残るという意味ではゲームもテレビも、そしてネットそのものも同じだ。ソシャゲやDLCに適応できなかったタイトルは続編が作られず終了していくし、テレビもSNSでの参加を重視する番組が増えた。
もちろんネットの普及や現実との連動が全て悪いというわけではなく、ネットのおかげで人気が下火だった業界や競技が活気づいたというケースも存在する。
これも二種類あって例えば将棋のようにエンタメ方面に楽しみ方をシフトした場合と、対戦ゲームやTCGのように競技性に重きを置いた場合がある。
あくまで自分の意見ではあるが、ネットの攻略情報で競技性を加速させたゲームはことごとく面白くなくなっているように思う。ポケモンや遊戯王のように地方ローカルで盛り上がっていた時代の方が、ガチでやること前提でもう子供が参入できなかったり、攻略情報調べること前提のストーリーになったりしているよりは楽しかったはずだ。
そういった競争型コンテンツは結局トップ層についていけないで離脱する人や、対戦に疲れる人、そして参入障壁が高いと忌避する層が続出して、最終的には一部の人しかやっていない閉鎖型コンテンツになってしまう。
また人間の性質として自分がかつて経験するものにしか興味が無いというのもあるのではないか。ゲームでいえば自分が子供の頃にやったタイトルを大人になっても続けてるだけのことが多いし、アニメも自分が見ていた頃の作風の方が好きだという人が多い。
味覚と一緒でいろんなものに対する好みも幼少期に確立された物が、三つ子の魂百までという言葉のように変わらないのだろう。
だからこそ新しい趣味の発見というよりも、自分がかつて好きだった感覚を取り戻すという方向で行く方が良いと自分は考えている。
これからの時代に期待するというよりも、自分が好きだったものをもう一度見つける方が面白い。
無理にユーチューバー見るより古い番組を見たほうが面白いみたいな話で、もう今のゲームに期待するよりレトロゲーをやった方が良いだろうし、特撮でも見て昔のおもちゃをリサイクルショップやオークションサイトで探し回ったほうが楽しいのではないか。
実際古い時代、とはいっても2,30年前ぐらいの本の方が面白かったりするし、歴史などのように今は無い時代の物の方が想像する楽しみがあったりする。
それらに影響を受けて今の時代にリメイクするような形で、自分好みのものを作るという手法も存在する。
事実、TCGなどでも古い時代のカードを買い集めて当時のルールでデッキを再現するというのがかなり流行るようになっているようだ。最先端の環境について行こうとするとどうしても高額になるし、復帰したところで特に対戦するわけでもない場合や、民度の低いプレイヤーばかりだとなると現役勢であることに魅力は無くなる。
もういろんなものが上向いていかない時代に、未来に期待するのは無駄に思えてくるのも事実だ。確か新たに拡大していくジャンルも無いわけではないが、感覚的についていけないこともある。例えばスマホが普及したからと言っても完全に普及しているわけではなく、ネットを見ないで過ごす人は意外と多い。
またあらゆるジャンルに共通しているが、流行という物は繰り返される。
リバイバルブームだとか、かつての年代のモードファッションだとか言われるように終わったように見える物も、またどこかで戻ってくるかもしれない。
そもそも最先端の流行というのはそれまでになかったものを無理やり探し出しているだけで、本質的にはそこまで面白くないことも多い。
結局ベストセラーの食品がいつまでも美味いという意味では、多分これからもコカコーラやチーズバーガーは変わらない。
人間はこれまで知ってる範囲内のもので十分と言われれば寂しく感じるが、別に探したところで何か新しい物があるわけでもない。あったとしてもそこまで面白いわけではないし普及しなければ意味がない。
新しい技術や新素材が開発されたところで、市場の原理でそれが普及しないなんて現象は世の中に溢れている。
「新しい物はそう簡単に出てこないので、これまで好きだったものへの情熱を失わず、どれだけ楽しみを持続させられるかが大事」
脈絡のない話だったけどもまとめるとそんな感じだろうか。