負け組ゆとりの語り場

社会に取り残された男が日々を語る

社会人が創作活動をする上での難点について

ネットっていろんなタイプの人種というか社会階層の人がいるんだなと言うのが面白くて、創作界隈でもそれぞれの事情を抱えていることが多い。
その中でも最近面白いと思ったのが「仕事を辞めたり求職したりして時間ができたことで、久しぶりに絵を描き始めたら自分が本当に好きなことを再発見した」というパターンだ。

 

就活をして社会人として長らく過ごしているとそんなスキルは必要とされず、社会に埋没した人間として様々な社会人的な規範やマナーを要求されるようになる。
そんな慌ただしい日々の中で心と時間の余裕を失っていき、疲弊し自分の本当に好きなものを忘れて「社会人」として世の中に適応していく。
いつの間にかあれだけ子供心に好きだったものへの情熱を失っていき、絵や小説、漫画を書かなくなっていく。

 

特定の個人というよりもネットには意外とこういう人が多く、クラスに2,3人は絵を描くのが好きな人がいるという現象に似ているかもしれない。
自分はネットの創作活動がもっと盛り上がって発展していってほしいと思っている立場であるし、何もかもプロ化されたハイレベルな物だけが全てではないと思っている。
民間芸術、民芸品、民俗学のようなもので末端の個人が作り上げるアール・ブリュットのような世界観に惹かれている。

 

それぞれが個人のセンスで本当に好きだと思う物を作っているところに真の芸術は現れるのではないか。

だから自分が最初何気なく鬱気味になり退職し、しばらく失業保険や貯金をやりくりし惰性の日々を送っているという人を見かけたとき、その人が昔やっていた絵を再開した時に衝撃を受けた。
「そうか日本の世の中にはもっとこうして埋もれた才能がある」というか、磨けば光るセンスに溢れた人がまだいくらでもいるのだということに感銘を受けた。

 

この実例は本当に氷山の一角でしかなく、学生時代に趣味で授業中に落書きをしているような創作欲求は今もこの社会にありふれている。

求職して時間ができてちょっとまた絵を描いてみようとなって、SNSにあげてみてそれほど広まっていくわけでもないけど、ちらほらと誰かが見てくれれば自分の絵は世の中に出ているという実感を得られる。
こういった体験はまさに一人で絵を描いていたらクラスの誰かの目に留まって、面白いじゃんと言ってもらえる感覚に似ているかもしれない。

 

元々ネットに絵をアップするというのは本質的にそのぐらいの感覚だったはずなのに、いつのまにか商業の延長線上の存在になって今日に至る。
というよりも最初はその領域で十分に楽しいのだが、いつまでもそうしていられる時間は続かず現実とも戦っていかなければならない。

 

例えば休職期間中に久しぶりに絵を描き始めて創作の楽しさを再確認したからといって、いつまでもその時間は続かない。
きっとその人がまた社会人に戻ったたら絵を描く時間も情熱も失われ、また終わりなき日常に生きていく使命を強いられるだろう。

徐々に絵を描くという感覚を取り戻し、ネットで見られているという実感に喜びを覚えて自分のスタイルを試行錯誤し工夫していく。そして描き上げた絵は、個人のセンスが思う存分に発揮されたものだった。


社会人としてやらなければいけないとされている行為に苦しみ、退職を選ぶことになった人にもこれほど本来は面白い要素が備わっていた。

どうも今の日本社会というのはこうした原石を、多様性を否定することによって潰し続けてきたように思う。

 

中には社会生活の中で懸命に時間を見出して創作に励んでいる人も存在する。
時間的に融通の利く職種をやりながらも、小説を書いている人も存在しているというケースも多い。
しかしこういった人もいつの間にか、社会のブラック労働やハラスメント問題について広めることが日常になり、社会人として創作をすることよりも日常との戦いが現実の課題になっていく。
それほど日本社会で自分の好きな活動を続けるシステムは整っておらず、社会人になれば「もう遊んではいけない大人=社会人」となっていく。


こういった「社会人になって以降合間を見つけてネットで創作活動を始めた」というケースはこれから増えていくはずだ。
しかし自分自身大学生という時間が有り余っている時期からネットで投稿を始めたという実例に対して、社会人や離職者として始めた例に対しては非常に難しいと言わざるを得ない。
社会人になって小説を書いているという人の話を自分は時間を割いて読もうとは思わなかったし、休職してイラストを描き始めた人のSNS上でのイラストは面白いと思ったもののこれからいつまでも続くという予想はできない。

 

創作の現実の厳しさを知っていると、こういった社会人になって以降創作を始めた層が本来大人の世界の中で押さえていた才能を発揮することに期待したい一方で、そう簡単ではないという現実もある。
他の業界に例えるのであれば、昔やっていたゲームに大人になってから復帰した人がそう簡単にその世界で上り詰めていくのは難しいという話に似ている。

 

自分としてはこういった新規層を応援したいし、それでもっと個人創作文化が盛り上がって活気づいていってほしいという思いもある一方で、もうそういった風潮ではないという現実もわかる。
日本全国に昔は絵を描いたり物語を空想していた少年少女というのは無数に存在する一方で、社会に適応することが求められたり、創作には創作なりの世界があるという現実もある。

 

本質的にいえば学生時代に遊びとして続けていたことを大人になってもやっていくかということで、自分としても「続けてください」としか言いようがないのが現状だろうか。
創作の萌芽としての社会人になってからの活動再開、こういった新しい流れが加わってくることによって今の創作界に従来とは異なる刺激が入ってくるべきだ。
昔は絵が得意だったけど社会の中で生きていくにつれてそんなこともしなくなったという事例はもったいないし、本当はそういった層がどんどんと新しい風を吹かせていくべきだと思う。
本当に自分の好きなセンスを発揮して新しいことをやっていくという新時代の芸術運動が巻き起こるとするならば、それは一度社会の強制力によってそれを辞めさせらた人々から沸々とわきあがってくるエネルギーや衝動を発端にするのではないだろうか。

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