負け組ゆとりの語り場

社会に取り残された男が日々を語る

本田圭佑のプロフェッショナルの流儀が楽しみすぎる

今度また本田圭佑がプロフェッショナル仕事の流儀に出演するらしく、これで確か3度目の出演になる。

放送は5月14日なので今から楽しみにしている自分がいる。

本人も公言している通り、今回のロシアワールドカップという最後の戦いに向けて「ラストミッション」というのがテーマになっているようだ。

 

ワールドカップ後は引退するのか、Jリーグに復帰するのか、それとももう一度欧州に挑戦するのか、それともアメリカに行くのかは分からないし、東京五輪にオーバーエイジ枠として参加する可能性も無いわけではない。

そもそも今のメキシコ、パチューカを選んだこと自体衝撃であり良くも悪くも何をするかわからない存在として常に自分の憧れであり続けた。

 

思えば2010年の南アフリカワールドカップからずっと追い続けてきた存在なので、すでにもう8年の月日が経とうとしている。ブラジルワールドカップの惨敗からも4年であり、本当にいろんなことがあったなと感慨深い。

 

実はというと今の自分の「本田圭佑熱」のようなものは以前ほどではなくなっていて、本気で憧れているというよりも惰性で見続けているような部分がある。

ある意味自分にとって原点とも言える存在だった。

ただ今の状況になって、今だからこそむしろ本田圭佑のこれまでの言動を参考にするべきなのではないかと考え直している。

 

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例えばプロフェッショナル仕事の流儀に本田が初めて出演した時は、確かまだロシアリーグ時代で中々移籍できず、半月板損傷というキャリア最大の危機に直面している時だった。

極寒のロシアに幽閉され、なおかつ絶望的な怪我とも戦いビッグクラブ移籍とも言える不可能とも思える夢をファンですら諦めかけていた。

あの時の「悲壮感」にも似たものは、スケール感は違うかもしれないが今の自分にとって近い状況にある。

今思えばあの時の本田の悲壮感は半端ではなかったし、そこから復活を果たし実際にACミランへと移籍する。

 

しかしこのACミラン時代も決して順調にはいかず、本田のキャリアは不遇の時の方が多い。そもそもサッカーというスポーツ自体、試合中にボールを保持して活躍している時間は限られていて大抵の時間はもどかしく、相手ボールを追いかけまわしているだけに過ぎない。

無駄とも思えるようなプレッシングを懸命にやったり、激しくフィジカルコンタクトを行ったり、中々パスがこなかったりと、そもそもチャンスに恵まれず出場できなかったり、怪我と戦っていたりと楽しくない時間の方が多い。

 

活躍している時や楽しい時の方が少ない、ただそのわずかなチャンスを狙って日々努力するという典型のような選手がまさに本田圭佑だ。

「サッカーの神様はいると信じている」

「神様どれだけ俺に試練あたえんねんと思うけど、時々ちゃんとご褒美をくれる」

「まだビッグクラブに行けると信じてますね」

「サッカーで心が折れたことは無い」

「自信しかない、自信が無けりゃやってられないでしょ」

「この状況にいるのは世界で自分一人しかいない」

「才能が無いから辞めろと言われたらどれだけの人が一瞬で夢を諦めなあかんねん」

「サッカーは一試合で天と地が入れ替わる」

うろ覚えではあるが、今思えば深いことを言っているなと思う。これだけ批判されたサッカー選手は過去に存在しないだろうし、今もネットを見れば本田関連の話題にはすぐ批判的な意見が飛び交う。

 

情熱があった頃の自分は本田の奮闘する姿や発言をよく心の支えにしていたなと思うし、逆に今ではそれらを忘れかけている。

 

本田圭佑はとにかく未開拓な地に挑戦するチャレンジャー精神があり、新しいことに対してよく「楽しみですね」とか「ワクワクしてますね」という言葉を使う。

不安な時ほど楽しみだと言い聞かせることも大事だ。

今の停滞している自分を打破するために、環境を変えようという計画を立てていて、それこそいきなりメキシコのパチューカを選んだような挑戦をしてみたいとも考えている。

不安の方が大きく中々踏み出しきれないが、そろそろ本田圭佑を見習って意識高く前を向いて行こうという思いもある。何のために8年間も本田を追い続けてきたのか、あれほど憧れていたじゃないかと、最近くどいほど自問自答して伸びしろを探している。

 

本田圭佑の何が面白いかと言えば、何を考えているかわからず予想がつかないところにある。とにかく逆境の中でそれでも前を向き、考え続けるタフな精神力に刺激を受ける。

 

本田はもっと大変な状況でやっている、本田ならこういう時どう考えるか。

 

おそらく今回のプロフェッショナルの流儀では序盤、ACミラン最終シーズンの殆ど試合に出られない状況や日本代表からも遠ざかっているどん底の状態から始まるだろう。

ミラン時代初期の頃はまだ試合に出場して批判されていたが、終盤はほとんど試合に出ることなく不遇時代を過ごしていた。

代表からも遠ざかり、そもそも今回のロシアW杯は出場が危ぶまれていた。

 

よくここまで盛り返した裏には凄まじい努力があったに違いない。

もちろんここまで持ち上げられて、ワールドカップ本戦で醜態を晒せば日本サッカーの歴史上最も叩かれるだろう。

それでもそのリスクを引き受け、むしろその状況を楽しんでいるように見える。

プレッシャーを自分で自分にかけることはよくアスリートがすることだが、今だからこそ本田圭佑のその意識の高さを見習うべきなのかもしれない。