負け組ゆとりの語り場

社会に取り残された男が日々を語る

20代負け組のこれからの人生プラン

いわゆる底辺系として直面するのが、その孤独感であり、理解されない事へのもどかしさである。

もはや今の不景気の時代では底辺が世の中には溢れているのだが、20代やゆとり世代の悲惨さというものは注目されにくい状況にある。

 

20代ならばまだ人生をやり直せるだろうし、可能性にあるだろうと思う人もいるかもしれない。

自分だって「10代の負け組です、人生オワタ」なんて言ってる人を見ればまだ全然可能性あるぞと思ってしまうだろう。

しかし人には理解されない当人なりの苦しみがあり、それぞれの難しさがある。

 

学生など実際はブラックであり、大人以上に環境は変えづらいだろうし無給でひたすら厳しい環境に居続けなければならない。華やかな青春という理想像とは裏腹に、学生の方がむしろブラックな環境で懸命に生きているはずだ。

そして今の日本ではゆとり世代に対する風当たりが強く、社会に出れば最近の若者はこれだからと批判され、親からも社会からも理解されない。

 

欲を言えば同じような境遇にある人と、お酒でも飲みながらダラダラと現状について語り合いながら今後の人生について語りたいし、今の状況をお互いに肯定し合いながら未来への展望を語り合いたい。

しかし中々そうやって親しげに語りかけてくれる人はいないし、時々反応があるかと言ったら嬉しくない批判の事の方が多い。人の温かさや優しさを求めている時にかぎって、冷たく陰湿な人々が世の中には多い。

それでも自分よりもっと辛い言葉を浴びせかけられている人や、更に嫌な環境にいる人がいると思えばわがままを言っていられない。

 

社会のレールから踏み外れた人間が、されこれから人生をどう歩んでいけばいいのかとなるとこれは非常に迷う。

20代の負け組がどういう状況なのか例えるとするならば、それは「戦時中」に近い。

どう考えてももうアメリカに勝てない敗戦間近の状況であり、下手に可能性があるかのように感じるからこそ達が悪い。いっそのこと降伏文書に調印して、真の負けを認めれば開き直れるのかもしれないが、まだ戦時下にあるというのが気分が落ち着かない理由だ。

 

更に自分の場合、地方在住の孤独な底辺であり、同じような底辺仲間とオフ会を開催して話し合うという事も出来ない。自分がある意味で尊敬している底辺ブロガーの先輩とも言えるべき、そしてここを始めたきっかけとなる方がいるのだが、その人は定期的に底辺仲間同士でオフ会を開いていて羨ましく感じることがある。

 

やはり年齢や境遇の近い人同士で悩みを話し合えると落ち着くし、それが居場所になるのだろうが、東京近辺や鉄道網が発達している地域でなければ中々それは難しい。

底辺仲間同士のネット上の繋がりがあることが、とてもうらやましく感じるが中々今の自分にそういった状況は作れない。

何も変わらない日々が続き、かといって何かを始めようという活気づいた思いも沸いてこないし、応援してくれる人や共感してくれる人もいない。

 

一度社会のレールから外れた人間が今後どういった人生プランを思い描くかという事に今の自分は悩んでいる。

自分なりにできることを模索しているというのが今の自分の状況だが、なかなか身近な人々からは理解されることなく、白い目で見られているのできつい状況にある。

何もやっていないような冷淡な目線で見られ、自分なりの努力は評価されにくいし、同じような目標に向かっていき励まし合う仲間にも恵まれない。

まさに孤軍奮闘であり、孤独の中での葛藤が日々続く。

 

気分は中々晴れやかにならない、だからこそ安直にお酒に頼ってしまい後悔する。

閉じこもりたい、逃げたい、何も考えたくない、そんなネガティブな思考から朝が始まる事以上につらいことは無い。

 

しかしそれでも自分よりもっと辛い環境にいる人のことを思うと、こんなことには甘えていられない。

自分のようなゆとり世代の底辺負け組の人、もちろん他の世代であっても社会から排斥された人々が少しでも、落ち着けるような憩いの場を作っていきたいというのが元の始まりだ。

自分だって嫌なことを言われて落ち込むし、精神的に荒んで何を考えているのだろうと反省することもある。

 

本当に嫌な人間になってしまっている自分が情けない。

無能であることや駄目な事が中々許されず、ただ見下されるだけで許容されることも無い、自己責任論の強い社会に息苦しさだけが募る。

そして何もできない自分がもどかしく、迷惑をかけている人々に対して生きていても仕分けないと何度も考える。

理解されることも無い虚しさ、もう一度やりなおしたいという思いに対する社会の冷淡さと非情さ、その孤独感に苛まれる。

 

それでも前を向くしかないので、ここ最近の自分は「仕事を選ばない」ということをモットーにしようとしている。

女優の有村架純がなぜ生き残ったのかといえばそれは仕事を選ばなかったからに他ならない。

有村架純と言えば自分と生年月日が近く個人的に親近感を抱いでおり、なおかつ尊敬する存在だ。

連続テレビ小説「あまちゃん」で共演した能年玲奈に比べ、当初は主役ではない印象が強かったが、今では紅白歌合戦のメインパーソナリティを務めるほどに成長している。

 

有村架純を見習うのであれば、その仕事を選ばずなんでもやるという胆力であり、一生懸命生きる姿そのものだ。

自分と世代が近いと言えば防弾少年団というHIPHOPアーティストグループも仕事を選ばず懸命に生きている。

元々HIPHOPを目指していたのに、今ではアイドルだけでなく、もはやダンスで評価されるようになっており本人たちも今では一番ダンスを厳しく求められると口にしている。

その上、吉本新喜劇のような番組にも出演するし、バラエティ能力も求められる。

更に言えば彼らは韓国人男性としての運命に逆らえずいずれ徴兵される運命にある。

 

またグラビアアイドルの武田玲奈も、書店を巡っていると相変らず表紙を飾っている姿を目にする。

その理由はなかなか恥ずかしそうなコスプレでも仕事選ばずにやるからだ。

かつては咲-saki-の実写化にも出演していたが、その仕事を選ばない姿勢が業界で評価されているのだろう。

 

かつて自分がやっていたバイトでも様々なタスクを求められていたが、なんだかんだで仕事を覚えて言われればやっていた。

 

人間その状況下に置かれれば適応力を発揮するのだ。

やればできると自分に言い聞かせて、とにかくなんでもやってみようという前向きな思いを今の自分は何とか引き出そうと懸命に自分に言い聞かせている。

プロフェッショナルの流儀のテーマソングではないが、あともう一歩だけ前に進もうというのが今の自分の最大の目標だ。