負け組ゆとりの語り場

社会に取り残された男が日々を語る

正直今のネットに飽きてきたor冷めてきた奴wwww

ネットつまらなくなったよなぁという懐古厨になってしまうが、なんというか単に自分は飽きているんだろうなという結論に行き着く。

自分のネット歴を計算すると小学校の頃にパソコン室でネットを始めて、その後自分専用のPCを手に入れたということになるので、既に今の中学生の一生分の時間が経っている。

 

冷静に考えて中学生の年齢丸々ネットで過ごしていると、もうあらかたのことは知っている事になるわけで、そりゃ飽きが来て刺激が無くなるよなぁとなってしまう。

 

ネットをやり過ぎたし、ある意味一番楽しかった黄金期の時代を経験したからこそ今が物足りなく感じるのかもしれない。

結局10年以上ネットをやってきて行き着いたのが、その冷淡さや浅さであったり、薄っぺらさであることに気付く。

インターネットのバーチャル空間が面白い人々であふれた、現実とは隔離された広大な空間に思えていたのは錯覚でしかなく、実は現実の延長線上に存在するものに過ぎない。

大して面白い人がいるわけでもないし、自分のよき理解者がいるわけでもない。

濃密な空間に思える物は全て表面上で、同じ空間にいるという一体感など虚構に過ぎない。どうせ冷たい他人同士が仲間であるかのような感覚を持ったところで何も残らないのが現実だ。

ネットに暖かい人はおらず、実はお互いが冷やかに見ている空間に過ぎない。

 

自分自身もうネットで見るものも無くなってきたというか、単純に自分の感性が衰えただけなのかもしれないが、もう刺激を得られるものは無い。

大抵の時間はお酒を飲みながらyoutubeを見て過ごしており、それもほとんどが海外の動画だ。かろうじて自分にとって新鮮味を感じるのが海外コンテンツであり、日本のコンテンツで見ているのは実質ジャニーズぐらいしかない。

女性アイドルに関しては完全に韓流にシフトしているし、サッカーも日本代表を応援するのは今回のロシアワールドカップが最後になるかもしれない。それ以降は海外サッカーさえあればいいという感覚になっていくだろうし、アニメやゲームも熱量を感じるものは少なくなっている。

もう今更ポケモンをしようとも思えないし、何か究めるならば語学だという考え方になっている。

 

今感じるのは言葉の壁で、外国語がもっとできるようになれば海外のネットが面白くなるだろうと感じている。単純に日本のネットに飽きたというか、そろそろ見限りをつける時期に来たのだろう。

面白い物はもうないよなぁというよりも、自分の感性と合わなくなっている。

ネットで大きなことを出来ると信じていたのは自分が単純に青い夢を見ていられた時期だからだ。現実には何かすごいことが始まるわけではないし、冷めた人が白い目で見ているだけに過ぎない。

 

ピクシブやニコニコ動画、ツイッターも露骨に衰退していて、もう今はユーチューブ一強状態になっているなと感じる。面白い個人サイトが反映していた時代は終わっているし、個人が何かやろうとすることに対して冷淡だよなぁと感じることの方が多い。

 

そのユーチューバーも昔のように個人がやっているというよりも、もう大手事務所に入っているような実質芸能人になっており個人の力で何かするという時代でもなくなっている。個人の創作や活動に夢を見れた時代はもう終わっているというか、今日日情熱を持った人はあまりいないし、それを応援する風潮でもないなと思う。

 

今のユーチューバーやソシャゲが面白いと感じる人は楽しいのかもしれないが、自分のように日本のユーチューバーはうざいと感じる人にとっては面白くない。

逆に海外のユーチューバーは面白く、言葉の壁さえ超えればもう一度楽しめるのではないかとも期待している。

 

そもそも普通に芸能人やテレビのほうが面白いと再評価しており、かつて「テレビは時代遅れ、これからはネットの時代」と思っていた頃の自分とは真逆の発想をしている。

テレビの権力がまだ大きかった時代は逆らっていたが、ネットがもうこれだけ普及すると逆に特別な空間ではないことに気付く。

一般化と均質化が進んだ結果、似たような物しか作られなくなった。

定型文でしか会話ができない人が増えたし、そもそもスタンプやいいねのように省略化されたコミュニケーションで済まされる時代になっている。

ネットってもっと面白い方向に大きくなっていくのだと思っていたら、訪れたのは違った未来でしかなかった。醜い現実が存在するだけでしかなく、むしろリアルの方が深みがある事に気付く。

 

これは自分のような懐古厨の考え方で、今のネットに適応できている人は大勢いるだろう。

前述のように単純に自分がもう10年以上もネットをしているからこそ、大体のことが想像がつくし現実を悟っているのだ。

 

衰退論になってしまうがいろんなオンラインゲームが活況としてた時代は終わり、どこも過疎化が押し寄せ、それほど明るい未来にはなっていかない。

個人サイト、個人の創作は全部ユーチューバーになっていくし、ゲームは全部がソーシャルゲームという最適解に行き着くだろう。

いろんなジャンルである程度テンプレ的な最適解が見つかっていて、皆それをして表面上の一体感を得ているだけの時代になった。

ネットユーザーの個人それぞれに凄く個性があって面白いと思っていたのは幻想で、ごく普通の一般市民の集合体に過ぎなかったとも言える。

結局整備されすぎると均質化されるという話であり、なおかつ自分もそこに染まっていく。

 

そしてそろそろ一旦区切りをつけて、現実にシフトしていこうかなと最近の自分は考えている。社会に取り残されたがそれでも自分は抗う、とか言ってないで普通に現実社会に溶け込んでいこうかなと思っている。

もうネットに期待しても大して面白い事にはならないだろうし、結局世界は変えられない。分相応の人生を生きるべきというか、普通の奴になれよという話なのだろう。

 

いろんなことを見尽くしてきたがゆえに、もう新鮮味はそこにはない。

今でもネットは無いと困るし、なんだかんだで好きではあるが昔ほど執着心があるわけでもないという事に気付く。

自分が何か新しい物を見つけようと思わなくなったし、見つけても想像の範囲内に過ぎない。新しく面白い物が作られていない、もしくは新しい物は作られているが自分の感性には合わない。

 

そういった諸々の事が積み重なって、今の自分には刺激は無いのだろう。

世の中冷めている人が増えたと言っておきながら、一番冷めているのは自分だ。

単純にネットで長く暮らしすぎて、感性が劣化したし自分の範囲内に面白い事は起こり得ないことに気付いた。


「あの頃」という存在もしない幻想は時を経つほど美化されるが、同時に現実はつまらなくなっていく。この反比例の現象に自分は苛まれているのかもしれない。

実はもともとネットというのは大したものでもなく、そこまで期待しすぎるものでもなかったのだろう。

満州国が五族協和の新時代を作っていくユートピアになると本気で信じていた人は純粋すぎたわけで、現実には瓦解して悲惨な末路を迎えただけにすぎなかった。

ネットはそんなユートピアでもなんでもないし、素晴らしい人々が大勢いる約束の地でもない、それが真実だったのかもしれない。

note.mu

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