負け組ゆとりの語り場

社会に取り残された男が日々を語る

ネットの個人創作は漫画村の登場でオワコンになるのか

社会問題と化している漫画村の問題は議論されることが増えているが、自分の意見としては絶対的に反対という立場ではない。

「漫画村が無けりゃ漫画なんて見ない」という意見は一理あり御最もで、今の時代貧困が蔓延しており漫画を手軽に買える時代ではなくなっているのも事実だ。

 

真の問題はそこから波及する価値観の変化にある。

確かに漫画村が無ければ漫画を読まないという層は何の問題もない。

しかしこれまで購入して読んでいた層が買わなくなるというのは大きな問題だ。

お金を出して購入している従来の層が、タダで見ている人々がいると馬鹿馬鹿しくしくなるのは当然だろう。これはかつてゲームや音楽で起きた問題と同じだ。
ただでさえ貧困が蔓延している時代に、一度タダを覚えると人間は戻れなくなるということを漫画村の存在は示している。

 

そして漫画村の登場によって打撃を受けるのは何も漫画家だけではない。

これで結構大きなダメージを受けることになるのが、ネットに存在する個人創作なのではないかと自分は考えている。

プロが書いた正規品がこれだけ簡単に見れるとなるともはやアマチュアが書いた作品に需要は無くなるのではないか、更に絵に対してお金を払うという価値観が無くなれば業界全体に夢が無くなるのではないかという問題が発生する。

誰も議論には乗ってくれないかもしれないが「激論、これからの創作どうするの」というテーマで話していきたい。

この漫画村の問題を考える前に自分は漫画家志望の人がその存在に脅威を感じているという話をインターネット上で見た。

ヒットしなければ路頭に迷い、ヒットしても漫画村に流されて終わりだということを嘆いており、それに対して「売れてから考えろ」「金儲けの事しか考えてないのか」という反論が寄せられていた。

また「無料で公開してグッズ収入を得るべき」「単行本で買う層を確保するべき」といった具体案も寄せられており、今後の漫画文化を大きく変えていく黒船が来航したと言っても過言ではない事態になっている。

 

絵を描く立場としては「金儲けの事しか考えてないのか」というのは非常につらい言葉である。どうしても見ている立場としては、絵描きは敬虔に制作活動に励み、趣味で好きだから描いていてほしいという思いがある。

しかし絵を描いている人にも人間としての生活があり、お金儲けをしたいというよりも創作に集中できるだけの最低限の生活費だけは欲しいというのが本音だ。

その生活費を得る事すら理解されず否定され、修行僧や修道女のように敬虔に絵を描くことだけが求められるならば絵描きはやっていけなくなるだろう。

 

漫画村の登場というのは真の意味では絵に対してお金を払うという価値観を崩壊させたとも言える。

これはかつて音楽で起きた、ミュージシャンはライブやコンサートで収益を得るという方向に舵を切ったが、絵の世界でこういったビジネスはなかなか難しいのが現実だ。

 

漫画村だけでなくYoutubeのような動画サイトの登場によって他に無料のものがいくらでもある時代に、もう購入して支えてくださいと言ったところで誰も見向きはしなくなるだろう。

その結果多くの人が絵の世界から撤退せざるを得なくなる。

そもそも貧困が蔓延しておりお金に余裕がないこと自体が問題なのだが、絵の場合ますます収益を得るという行為は理解されなくなっていくはずだ。

どうしても絵は好きで描いているべきという価値観が根強く、「同人イナゴ」という言葉のようにお金儲けのために絵を描くことは忌避されることが多い。

 

個人的には好きなものを描いているが、それだけでは続かない現実もあるということは理解されにくい側面もある。
自分で生産したコンテンツを売るというのは画家が昔からしてきたことではあるが、これからその考え方はもう通用しなくなっていくだろう。

「絵師」だと言われて華やかに持てはやされているような人は一部で、実際にこの世の中で絵で生活していくことは本当に難しい。

 

介護職のような物で中々給料は上がっていかないし大変で夢も無い、そして社会的地位も低いというのが現実だ。

介護職の人がありがとうの一言をやりがいに何とか頑張っているという事を語るが、絵の場合そういったことも稀なことが多い。

実際にピクシブのようなイラスト投稿サイトでコメントがあるのは、投稿者同士が交流しているだけのことが多く、第三者から応援の言葉が寄せられるという事は滅多にある事ではない。

 

とにかく好きで絵を描き自分の世界に没頭し、お金も承認も求めるなというのが世論であり現実としては絵描きに対しての風当たりは強い。

声優が容姿まで求められるようになったように、今の時代絵描きには人間性までが求められるのだ。

敬虔に絵の道を追求し、無償で奉仕する聖職であってほしいという理想がそこには存在する。

 

そしてここにきて漫画村の登場だ。

漫画村自体はいつか規制されるだろうが、また似たような抜け道が作られ、いたちごっこに終始するだろう

そして何より絵や漫画は無料で読むものだという価値観が根付いてしまった以上、かつてのような夢があった幸福な時代には戻れない。

 

漫画村という巨大帝国の登場はまるで、大型ショッピングモールや人気チェーン店の登場に近い。

地域の商店街がイオンに潰され、個人経営の喫茶店がドトールによって廃業に追い込まれるというようなことが今後頻発していくだろう。

ただでさえ閑古鳥が鳴いている個人創作の世界は、もうこれが完全なる決定打でありとどめとなるかもしれない。

もう個人創作に夢は無いというのが多くの絵描きの本音なのではないだろうか。

オリジナル作品やオリジナルキャラクターに憧れて始めた世界も、漫画村という巨大帝国には勝てない。それは商店街や個人経営の店舗が資本主義に抗えない現実と似ている。

本当はやりたいことを我慢して仕方なく人気取りのための絵を描くか、そもそも絵を描くこと自体諦めるかしかなくなるだろう。

絵を描いている人の多くは、本当は自分のオリジナルの創作を極めたいと思っているが現実にはそうさせてくれない。

 

課金型コンテンツはソーシャルゲーム、余暇時間の使い方は漫画村とYoutubeというライフスタイルが確立された以上、もうネット上の個人創作に居場所は無くなり絶滅危惧種になっていくだろう。

それどころかもはや漫画にすら夢は無くなり、漫画家を志すような人は減っていく運命にあるだろう。

現代の世の中がつまらなくなっている根源はどこも予算が無くなり、限られた財源で作れるものしか生み出せなくなったからだ。お金という現実に夢は勝つことができないというのが残酷な真実だ。

 

創作をどうしていけばよいのかというのは、これからの農業をどう改革していけばいいのかというような話にも近い。

大量生産の輸入品が非課税でが入ってくる時代に、個人農家がどう対抗すればいいのかというようなテーマだとも言える。

個人経営の農家が生き残っているケースには「付加価値」を確立している場合が多く見受けられる。

高級レストランに珍しい食材を提供するというような話で、これからの個人創作は需要は少ないが一部の人には響くという物を目指す時代になっていくのではないか。

あるいは居酒屋チェーン店にはない魅力を持つ「入りにくい居酒屋」や「会員制のバー」のような存在になり、規模ではなく質で対抗する時代にしていくしかないだろう。

大多数のネットユーザーは分かりやすさや手軽さを求めてユーチューバーを見る時代に、同じような手段で対抗していくことは難しい。

キッズ層向けだと完全にユーチューバーに負けるため、一味違った理解しにくく、深くて高度な作品を目指していくべきなのかもしれない。

 

しかしピクシブも実際には人気作品の版権物や、成人向けのイラストが受けるサイトと化しており、もう個人創作の場所でもなくなっているのが現実だ。

考えれば考えるほど袋小路であり、「個人創作に未来は無い」という結論に行き着いてしまう。

チェーン店にはないような温かみを目指しても実際には閑散とし、廃業に行く付く結果にしかならない。

少数の人しか見てなくても採算は取れるという状況にするしかないが、何かに課金する購買意欲を持つ人はソシャゲに行ってしまっている。

絵で収益を得るという考え方はもはや今の時代において悪だとも言えるため、文字通りオワコンになりつつある。

ゲームも運営の維持には課金が必要ということは理解され、当初は批判されていたが今は課金が定着してる。
創作も好きなだけでは現実的には続けていけないということを理解してもらうことが必要になるだろう。

 

現実的な生活が始まり、時間とお金に追われ、そして情熱を失っていく。

それはある意味で淘汰だと言えるかもしれない。

商店街が衰退しシャッター街になったように、これから創作の夢を志す人は減っていくのではないか。

そこにあるのは華やかな夢ではなく、現実との葛藤なのだ。

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