負け組ゆとりの語り場

社会に取り残された男が日々を語る

底辺名言「ストロングゼロは人生が辛ければ辛いほど美味しい魔法の水」

皆さん今日も元気にストロングゼロ飲んでますか。

もちろん自分もこの魔法の水を愛飲しているヘビーユーザーである。

もはや今時の底辺負け組にとってそれは必須アイテムといっても過言ではない。

現代人にとって高度数のアルコール飲料はもはや福祉になって来ており、「ストロングゼロ文学」と呼ばれるジャンルまで登場している。

 

そのストロングゼロ文学にこのような名言がある。

「ストロングゼロは人生が辛ければ辛いほど美味しい魔法の水」

これは非常に上手い表現だと言わざるを得ない。

逆に言えばストロングゼロがまずく感じるというのは、人生が充実している恵まれた勝ち組なのだ。

 

よくこういった底辺が飲む酒に関する話になると、必ずと言っていいほど「あんな酒は飲めたものじゃない」と自分は良いお酒を知っているアピールをしてマウントを取ろうとする人がいる。

 

しかし真の底辺になるとそんな美味しいお酒を飲んでいる余裕などどこにもないわけで、必然とこういったストロングゼロや氷結9%のようなものに手が伸びるようになる。

中にはよくわからないメーカーの格安の物もあり、下にはさらに下がある底辺の魔境が広がっている。

ストロングゼロ文学

人生が辛ければ辛いほど美味しく感じるというのはまさに今の社会の闇を表しているだろう。

底辺系のブログやツイッターなどを見ていると高確率でストロングゼロの話題が語られており、現代人にとって唯一の癒しがこういった高濃度アルコール飲料になっているのだ。

ジュースと同じような値段で簡単に深く酔えるようなお酒が変えるのならば皆この即自的な快楽を求めるようになってしまう。別の言い方をすればそれぐらいの幸せしか手に入らないような夢も希望もない世の中になったと言える。

 

格差社会が深刻化し、勝ち組と負け組の差が浮き彫りになる時代、唯一自分に寄り添ってくれるのはお酒だけなのだ。

勝ち組はわざわざこんな悪酔いするようなまずいお酒など飲む必要はないだろう。

しかし人生が辛くなればなるほど、この魔法の水に藁にもすがるような思いで頼らなければならなくなる。誰も手を差し伸べてくれない時、ストロングゼロは天使の微笑みでこの悪魔の水を飲ませてくる。

 

ストロングゼロの味は確かに悪魔じみている、本当は良くない物が入っているだろう。

しかしそんな悪魔の水も、人生が辛くて寂しい時には天使の水に見えてしまう。

 

つい最近こういったストロングゼロ文学について知ったが、まさかこれほどの一大ジャンルにまで成長しているとは驚いた。

「ストロングゼロは誰かと席を並べたり、向き合ったりして飲むような酒ではないという気がする。あれは孤独を枕に飲むものだ。」

「胃にジャーッって流し込んだとき将来への不安が少しだけ緩和されるような気がする。」

これらの表現はまさに文学のワンシーンに出てくるほど上手くまとまっていて読みごたえがある。

お酒を飲む人はいわゆる陽キャ的なうぃ~系が多そうなイメージがあるが、実際には1人で虚しく飲んでいる人方が今は増えているのではないだろうか。

ストロングゼロしか楽しみが無い若者だけでなく、中には孤独な老人も今はこういったチューハイを飲むようになっている。

若者は人生に希望が無く、高齢者は社会に居場所が無く終わりゆく人生が不安で仕方がない。そういう諸々の悲しみを一時的に癒してくれるのがこの魔法の飲み物だ。

 

他にも「友人との喧嘩や上司との確執を全て忘れさせてくれる」「最高のおつまみは孤独」という闇深い名言が多く、ブラック社会を象徴している現象と言える。

 

キャプテン翼がボールは友達ならば、底辺の孤独な負け組にとってはストロングゼロが友達である。

ストイックになり自分に厳しくし上を向いて人生を変えていこうとする人と、脱落した自分を容認する人の二種類に分かれる。

社会のレールから外れてしまい競争から取り残されてしまったとき、もう全てがどうでもよくなり安酒に溺れる。

ストロングゼロにしても氷結にしても飲み始めの時は本当に最高だが、大概の場合飲み過ぎて死にたくなるほど後悔することになる。

本当は飲まない方が良いだろうし、飲まずにいられる人は自分の恵まれた人生に感謝しなければならないだろう。

 

アルコールの高度数化は酎ハイに限らず、最近はビールにまで波及していて度数が8%になったというようなコマーシャルも流れている。

ストロングゼロは天海祐希がイメージキャラクターを担当しているが、さすがに彼女のような大女優はもっと高級なお酒を飲んでいるだろう。天海祐希が居酒屋で飲むイメージとは裏腹に、実際にはもっと孤独で貧乏な人が愛飲しているのが現実だ。

 

カクテルにしてアルコールを追求するならば、単にペットボトル入りの甲類焼酎を飲むとまずいのでストロングゼロと割るという方式も面白いかもしれない。

そうすればアルコール度数10%代を突破するストロングゼロが完成するだろう。

 

ストロングゼロ文学というのはある意味、不幸自慢や傷の舐め合いに近い部分もある。

別の言い方をすればそれぐらいしか楽しみが無い時代であり、頑張っても無駄な時代になっているのもこのブラック社会の現実だ。結局人生は才能ゲーであり、勝つ人は生まれながらに決まっている。持つ者はどんどん幸せになり、持たざる者は更に不幸になっていく。

その意味で勝ち組の星に生まれた強い人には縁がないお酒であり、負け組の星に生まれた弱い人間にとっては最低限の福祉なのかもしれない。

底辺への競争 格差放置社会ニッポンの末路 山田昌弘/著