1人で家でお酒を飲んでも思い出には残らない
自分はお酒を飲むときほぼ一人で飲んでおり、人と飲んだ思い出はいつの事だったかというほど遠い過去になる。
しかしいざあの時お酒を飲んで楽しかったなと振り返るとなると、人と飲んだ時や外出して家以外で飲んだ時のほうが圧倒的に多い。
家で1人で安酒を大量の飲むことは即自的には楽しいが、思い出に残らないどころかむしろ後悔の方が残る。
「すぐ使えるものは、すぐ使えなくなる」という言葉があるがまさにその典型が自宅での独り酒だ。
すぐ得られるようなものはすぐ失う、お酒を飲んで楽しくなったとしてもそれはあっという間だ。そしてそれを終わらせたくないがために結局飲み過ぎて後悔する。
とりあえず家にいる時気分が上がらないので飲もうという発想では何も楽しくはならない。
逆に人と飲まないまでも、遠くに外出してその先で飲んだようなお酒はよく覚えている。訪れたことが無い街に辿り着き、そこのどこかの居酒屋やバーなどで飲むお酒はいつか懐かしくなる時が来る。
これはお酒に限らず、例えば近場で食べるマクドナルドよりなぜか遠い場所で食べたマクドナルドのほうが思い出に残っているのと同じ理論だ。
苦労や手間というのは一見無駄なように見えて、実は思い入れを深くするためには欠かせないプロセスだと最近自分は気づいた。
例えばゲームでも「簡単に勝てる方法」と「難易度の高い方法」で勝ったとき、どちらが嬉しかったり後から思い返してそのプレーを覚えているかというと当然後者になる。
サクサク勝てるような方法よりも、なぜか苦労して決めたような物の方が喜びは大きい。
同じジャンルではあるがタイトルによって入手難易度が異なるようなアイテムがある。過去作と最新作で違う場合もここには含まれる。
そういった場合なぜか苦労して時間をかけて入手難易度が高い方で手に入れた物の方が思い入れが深くなる。
もう手に入れたのはずいぶん前なのに未だにあの思い入れがあり、むしろ苦労していた期間が懐かしくなる。
昨日家で1人で飲んだお酒の味は覚えていないが、バイトが終わった後に飲んだワンカップの日本酒の味は今でも覚えている。早朝に終わるような仕事で、コンビニのイートインスペースで電車が来るまでの待ち時間をお酒を飲みながら過ごしていた時のことが今では懐かしい。
逆に家というのは落ち着きはするが変わり映えのしない光景なので、その時楽しいだけで何も覚えてはいない。
楽な物は楽だけど楽なだけ、すぐ使えるようになる物はすぐ使えなくなる。
他にも例えばスポーツの試合テレビで簡単に見れるしネットでも今の時代はハイライトや過去映像などを手軽に見ることができる。
しかし実際のライブでの観戦をわざわざ時間をかけて見に行くと、普段は見逃すような何気ないプレーの凄さに気付くことがある。
ネットでいくらでも見れるスーパープレー集よりも、生で見るこういった一瞬の普通のプレーのほうがいつまでも感動する。
問題視されている漫画村で暇つぶしに読むような漫画よりも、一週間に一回買ってもらう単行本や、毎週楽しみに買う漫画雑誌で読む話の方が結局は思い出に残るのだろう。
ネットでいろんなものが簡単に見れる時代に、面倒なプロセスは徐々に軽視されつつある。自分は漫画村だけでなく、1クールだけで簡単に見れるような日常アニメにも批判的だがこういったものは味気が無く残らない。
まさに一人で家で飲むお酒のような物で、本当にその時だけの即自的な快楽でしかない。
自分はわざわざラーメンを並んでまで食べる人達のことを中々理解できないが、遠くまでいって並んで食べたラーメンの味は10年後も懐かしい思い出として残ってもインスタントラーメンは何色食べても明日には忘れているのだろう。
その一杯のラーメンのために様々な物語があり、その物語は食べ終わった後に時を経てむしろ懐かしく大切な思い出になっていく。
すぐ手に入る物は確かに早いが、良くも悪くもその時だけのものでしかない。
苦労や努力、手間を美化するべきではないと思っていたが、やはり何か一工夫すればその分返ってくることは多いことに気付く。もちろん必ず全ての苦労が報われるわけではないが、何もしなければ何もないというのはやはり事実だ。
近場の散歩は思い出にならないが、クタクタに疲れるまで遠くに行ったときのことは今でもよく覚えている。
面倒なことはしたくないというのが人間の心理だが、面倒なことをした方が良いこともあるし無駄に思えることに実は隠れた意味があることも多い。
変わり映えの無い日々を更に変わり映え無い物にしているのが家での1人酒だ。
変わり映えが無いからこそお酒に頼っているとも言えるし、お酒に頼るから変わらないとも言える。
すぐ飲めるお酒は結局のところすぐ酔い終わってしまい、その後には後悔しか残らないのだ。