負け組ゆとりの語り場

社会に取り残された男が日々を語る

なぜ最近の若者は「反体制」ではないのだろうか

学生運動を体験した全共闘世代と呼ばれる人の話を聞くとよく「その頃はデモに参加することがかっこよかった」と話すことがある。

新左翼活動に参加した友人が消えることも日常茶飯事で、また長淵剛も「ロックは反体制であるべき」というようなことを語っている。

 

しかし今の若者はむしろ現政権を支持している人の方が多く、それが「最近の若者はなんで今の政権を支持するのかわからない」とテレビ番組のコメンテーターから不思議がられることさえある。

 

今の時代になぜ革命を起こせないかと言えばそれは若者に情熱が無くなっている事だけが原因ではなく、いわゆる頭の良い人たちは基本的に現体制を支持しているからである。

例えばビジネス雑誌プレジデントの読者が評価する歴代総理大臣で、反体制勢力が批判していた総理はことごとく上位に入っており優秀な人は基本的に現政権支持に回ることが多い。

つまり能力を持っている人達はある程度体制側に入ること出来るため、反逆する必要が無い。

自分はどちらかというと革命を起こしていくべきだと考えている立場だが、能力がある人たちは体制側にいるので革命勢力は烏合の衆にしかならないのが現実なのだ。

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また反体制や何かに逆らうということ自体が今の時代やや"暑苦しい"ものになりつつある。

例えば今の若者で長淵剛に共感する人はあまりいないだろう。

機動戦士ガンダムでも昔はジオン公国が好きで、シャア・アズナブルの男としての生き様に憧れる人が多かったが今はむしろ連邦やアムロ・レイに共感する人の方が多い。

日本人には敗者の美学があり、負けた勢力に美意識を見出すことが多いが最近は結局体制が勝つということをナチュラルに理解している人の方が多くなりつつある。

世の中そんな熱くなってもどうせ上手く行かないのだからという事なかれ主義が基本的なスタンスになってきているのだ。

 

時代が変わり今は体制側はそこまで敵視するものではないという考え方になり、実際に自分も「現政権に反発してる人達元気だなぁ」と考えている。

反原発デモしてる人や、わざわざ沖縄まで行って反米軍基地デモをしている人を見るとどこからそのモチベーションが湧いてくるか不思議になるし熱くなれる人は羨ましくもある。

逆に左派に限らず、保守系まとめサイトのコメント欄で周辺国の批判をしている人を見ると執着心凄いなとも感じる。

 

自分の知っている大学の反米極左教授がいるのだが、だいぶ高齢なのに今も反米への高い情熱を維持している。

今の若い世代からするとなぜそこまで反米に熱心になれるのかわからないのだが、「何か大きなものに逆らっている昂揚感」というのは時として生きるエネルギーにもなる。

村上龍の『オールドテロリスト』という小説は高齢者がテロを起こしていくというストーリーなのだが、「老いても維持できるのは怒りという感情だけだ」という台詞がある。

まさにそれが本質で、未だに反体制デモや反米活動、反原発デモをしている人はことごとく高齢化しており、若者でそんな熱い事をしている人はあまり存在しない。SEALDsも結局解散し、安保に勝てないと悟りどこかに消えて行った。

オールド・テロリスト (文春文庫) [ 村上 龍 ]

 

ある意味「反体制」という物が若者の間ではすでにダサいものになっており、何かに逆らっていくようなストーリーはあまり受けることが無い。

初代ガンダムは地球連邦とジオン公国と二つの対立軸だったが、21世紀に入って初代のリメイクのような形で作られたガンダムSEEDはそのようなストーリーになっていない。

最初は連合とザフトの戦いなのだが、いつしかオーブやラクシズという新勢力が現れ、いまいちZAFTにジオンのような魅力は無い。

ガンダムファンにだけを見てもジオンを見て育った世代と、ザフトを見て育った世代では反体制への美学が異なっている。

確かに「コードギアス反逆のルルーシュ」のように巨大勢力に逆らうような話はあるのだが、そこまで広く受け入れられているとは言えず一部の厨二病のような扱いになっている。

 

昔は反体制がトレンドであり、政治熱が冷めて行った後の時代でも校内暴力や暴走族、更に言えば反抗期のようなものがあった。

今の若者世代にとって反逆は一部の厨二病の憧れる事であり、そこまで争いに興味が無いという人の方が多い。

アニメの嗜好も戦う事や争う事よりも、悪いキャラは出てこない仲良しグループの日常を求めるようになって来ている。

今のアニメで嫌な性格のキャラクターはなるべく出てきてはいけないし、同じアニメファンの中で対立することも避けられる。つまり何かの危険を冒したくはないし、仲よくしときたいというのが、今のトレンドでそれはLINEグループやタイムラインを荒らさないほうが嫌われないという感覚に近い。

 

林修が「小池百合子が"排除"という言葉を使ったのはまずかった。現代人は極度に仲間外れにされることを恐れる。」という解説をしていたのだが、体制側にいることが居心地がよく浮いた人間になりたくないというがもはや本音なのかもしれない。

アイドルグループも仲の良さが重要になり、仲が悪い事はそのグループの人気に関わる時代だ。アニメもアイドルも仲良しグループの仲の良さが最重視される時代であり、「LINEグループ化現象」がどこにおいても進んでいる。

 

実際自分も革命熱や政治熱のような物は減衰して来ており、男性ホルモン自体が少なくなってきている。

「危険思想の持ち主が最近少なくなって寂しい」と言いながらも、自分自身がそこまで熱心に戦いを求めなくなった。

男子の女子化が進んでおり、男性ホルモンが徐々に少なくなってきているとも言える。

実際ゆとり世代の自分からすると路上で目が合ったら喧嘩していた時代の話は信じられないし、哀川翔が原宿の竹下通りで抗争していたエピソードは素直に凄いなと感じる。

学生時代一回も肉弾戦の喧嘩をしたことが無いという男子がもう完全なる多数派になっており、今の時代仲が良いことが至上価値として育てられている人の方が多い。

そういう時代にそりゃ反体制になるわけがないのは至極当然の事なのかもしれない。

SNSで日常アニメ見て分かりやすい短いセリフを実況する事に癒しを求める人が増え、もはやLINEグループの身内ではぶられないことを最優先するという時代になっている。

 

これは今自分が勝手に考えた定義だがもはや「ゆとり世代」というよりも、更に「LINEグループ世代」という層が最近は登場している。

自分はギリギリ高校時代はLINEというのが無かった世代なので、正直なところLINEグループを気にするということを10代で体験することはなかった。

今はそれがナチュラルな世代になって来ており、こういう世代からもはや反体制分子が育つことはありえないだろう。

自分のようなゆとりも相当大人しいが、今の日常癒しアニメや親近感ユーチューバーを見て育っている世代は、更に何かに反発することに魅力を感じないのではないか。

ゆとり世代、LINEグループ世代、そして更にあと数年で「ヒカキン世代」という層が登場する可能性もある。

 

反体制に熱心な人は年齢的に高齢化して来ていて、若者の方は精神的に高齢化してきている。

若者が若者らしくなくなっているというか、夢を見ず冷めた人が多くなってきている現実はある。今の日本は高齢者の方が元気になっており、怒りだけが彼らを突き動かしている。

 

逆に若者の間で壮大な夢を持っている人はちょっと暑苦しがられるというか、意識高い系に思われてしまうようになって来ているのかもしれない。

長淵剛は暑苦しいし本田圭佑はちょっと意識高い系だという認識が今の若者の考え方なのではないか。

チェ・ゲバラがかっこいいと思う感性を持った10代はもう絶滅危惧種だろう。

イスラム国に憧れて川崎国を作った連中は今の若者の中では相当レアな部類で、沖縄の成人式で暴れてるような連中も普段はまともな社会人をして反体制活動をするわけではない。

 

育つ時代の背景や雰囲気が違うとどうしても人間というのはその影響を受ける。

政治的激動が日常であり、任侠もの映画や不良映画が流行ったり反体制がトレンドだったりした時代と今のLINEグループとSNSの時代では全てが違う。

ガンダムが1stからSEEDになり、そして今はもはやガンダムを見ない時代になった。

これが時代の思潮の変化を表しているように思えてならない。

良いテロリストのための教科書 [ 外山恒一 ]