負け組ゆとりの語り場

社会に取り残された男が日々を語る

いざ冬が終わりそうになるとまた寂しくなる

2月も中旬になって小春日和の暖かい晴天の日が増え始めると、そろそろ冬は終わりゆくことを感じる。暦はまだ2月だがここ数日比較的暖かい日が続き、どこかではフキノトウが芽生え始めているのではないか。

 

もう寒さの頂点は超えてこれ以上寒くなることは無く、温かい春へと向かっていくだろう。

まだ冬季五輪開催期間中ではあるが、オリンピックが終われば冬という雰囲気は過去のものになり、暦も3月になり春へと変わっていく。

 

自分の体感でしかないのかもしれないが冬のピークは2月の前半で、後半はそれほど寒くは無い。前半が寒すぎたがゆえに後半が暖かくも感じるのだろう。夏の8月も同様で半分を過ぎると自然と涼しくなっていく。

しかしこうやって季節の変わり目になるとあれほど忌々しく感じていた暑さや寒さが名残惜しくなることもある。

 

今年の冬は何と言ってもとにかく雪が凄かったし、寒波がずっと上空で停滞していた。

やっと雪が降り終わり晴れたと思ったらまた寒波がやって来るということの繰り返しで、とにかく天気が悪く陰鬱な寒さが続いた。自分の精神状態もだいぶこの陰鬱な天候に左右され、中々晴れやかな気分に離れなかった。

特に自分の場合暖房器具の無い底辺生活をしているので寒さは地獄のようなものであり、「寒いからやる気が出ない」ということばが誇張抜きで事実だった。

お酒を飲み過ぎて気分が悪くなると布団にくるまりながらひたすら虚しく寒さに耐え続けるしかなく、空を見上げれば陰惨な灰色の寒波がどんよりと続き尚更気分は明るくなれなかった。

冬

しかしいざこうして冬が終わりに入ると、厳しかったがゆえに名残惜しくなり寂しくもある。しばらくは過ごしやすい温暖な季節が続くが、どうせまた夏がやって来る。

 

もちろん冬が終われば外での行動はしやすくなるので、外出に前向きな希望を見出すことはできる。

とくに夜間に歩いてコンビニに行くと言う事はしやすくなるのでそれは個人的に楽しみな事の一つだ。

夜の冬の寒さは尋常ではないので歩いて夜道を帰ることになれば悲惨極まりない。

そのため自分は唯一の日常の楽しみである外での一人酒を冬はする機会に恵まれない。歩いてゆっくり行く事も含めて楽しみなので夜出回れないほど寒いとどうしても、家で過ごすということが増えて尚更精神的にふさぎ込み暗くなっていく。

だから暖かくなるのは嬉しいがどこか一抹の寂しさもないわけではない。

松任谷由実の「春よ、来い」という名曲も冬の寒さの中で聞くからしみじみとするが、いざ春になって聞くと冬の寒さがむしろ懐かしくなる。

 

またなんだかんだ言ってこの冬は思い出があったので、もう終わるのかと思うと拍子抜けする。強敵に感じられた今年の冬ももうクリアしたので逆にもう戦う物が無い気がしてくる。

 

楽しかった思い出というのは年末の歌番組や年の瀬の雰囲気のことであり、新年の計画をいろいろ考えていた時は希望に満ちていた。

歌番組のスペシャルが続き、好きなアーティストが出演するといい意味で忙しく日常の中に特別な日があるような感覚になることができる。クリスマスをアイドルを見て過ごしたことも今となっては懐かしい思い出だ。

 

今年の新年はお正月感が無いと書いていたのももうそんな前かという感覚になり、新年になって2か月過ぎようとしていているが特に自分の中で変化は感じられない。

オリンピックはもう半分過ぎようとしていて開幕式であの不気味な人面鳥が出たことも既に懐かしい。ちょうどその頃一時的にネットを使えない時期があり、テレビと本だけで過ごしていたことも今となっては数少ない思い出の一つだ。

 

そしてその五輪も季節と共にもうそろそろで終わりを迎える。

ここから怒涛の早さで夏に向かい気づけば半年を過ぎているだろう。

冬季オリンピックの年はサッカーのFIFAワールドカップとセットだ。

冬季五輪が終わり、そこからチャンピオンズリーグの決勝ラウンドが本格化していくといつの間にか決勝が終わっている。そしてワールドカップが始まっている。

前回大会はソチ五輪とブラジルW杯のセットだったが今年は平昌とロシアのセットだ。

冬季オリンピックが終わる事には冬の祭典が終わったことに虚無感を感じる人も現れるだろう。

今年の冬の終わりがいつも以上に寂しいのは五輪があることももしかしたら理由の一つなのかもしれない。

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