負け組ゆとりの語り場

社会に取り残された男が日々を語る

かっこいい高級バーに憧れがある奴wwww

お酒への情熱が自分の一番の情熱だと気付き、この憧れを更に喚起しようともしている。

一度情熱や憧憬を失ってしまえばなかなかもう一度それを取り戻すことは難しい。

 

お酒を惨めに飲んでただ悲しくなるよりは、もっと華やかな憧れに変えていき生きる原動力にしていく方が良い。それは今は安い車しか持っていなくてもいつか高級車に乗るんだという高度経済成長期の頃のような憧れにも近いだろう。

最近のオタク趣味が充実してきて大人が子供の趣味をずっと楽しめる時代になって来ているが、年齢相応の大人の憧れを持つことも大事なのではないかと自分は考えている。

子供っぽい大人が増えたというのは散々議論されてることで、自分もその一人ではあるが大人めいた趣味にもやはり興味がある。

 

昔の情熱ある若者は「いつか雰囲気の良い高級バーで飲みたい」という憧れがあったに違いない。

ジャニーズの大御所である近藤真彦の『アンダルシアに憧れて』という曲の世界観や、漫画アカギの戦後昭和の雰囲気が自分は好きで、その頃の酒場かっこいいなという憧憬を抱いている。

 

本当に柄の悪い人が集まって酒に荒れて殴りあうなんていう光景が、あの頃の血気盛んな若者たちの間では日常茶飯事だったんだろうなと考えるとワクワクせずにはいられない。

自分も含めて自分たちの世代が大人しいからこそ「その頃のエピソードすげぇ」と思う機会は多い。

昭和の映画に出てくるような酒場のシーンは今見てもかっこいいし、そういう場所が今も日本どこかにあって欲しいなとも思う。「昭和の頃のダンディな大人かっけぇ」と思うのは、例えば少年隊の東山紀之の飲みエピソードはスケールが大きい。ジャニーズは良くも悪くも昭和の雰囲気を残しているところがあるのも魅力だ。

 

それが今やそもそもお酒を飲まない酒離れの若者が増えて、飲んでいる人も安くて度数の強い缶チューハイを選ぶようになっている。

大人がかっこいい大人らしいことをしなくていい時代になり、ゆるい雰囲気に向かいつつあるからこそ今と違う時代に憧れているのかもしれない。

 

バー

しかし実際、いざ自分がバー巡りや酒場をはしごしても案外自分の落ち着く場所や理想の場所が無いことに気付くんだろうなぁと思う。

本当に落ち着くのはもっと庶民的な暖かい居酒屋や、場末感のある客入りの悪いもはや趣味でやっているような個人経営のようなところだろう。

 

実際東京の凄いところにあるような高級でおしゃれな酒場に行っても、自分が思ってるような客層でもなければ自分と気が合う人もあまりいないんだろうなという気がしてくる。むしろおじいちゃんおばあちゃんしか来てないようなカラオケついてるようなところの方が落ち着くだろう。

仕事帰りのおじさんサラリーマンの聖地みたいなところのほうが実際には居心地が良い。

 

そもそも現状の自分では行けないだろうし、今後も行けるようにはならないだろう。

そして幸せの青い鳥と一緒で地方の片隅から、壮大な物を想像している今の時期が実は一番幸せなのかもしれない。こうやって「どこかに凄い自分好みのバーや飲んだことも無いような美味い酒があるんじゃねぇかな」とか「そこには凄い人が着てるんじゃないかな」と想像しているときが本当の理想で、実際それ以上のものは無い可能性の方が高い。

無いとわかっておきながら探すことが大事なのだろうけども、結局理想は自分の中にしかないことのほうが多い。あるいは理想が存在したとしても自分の手には届かないかのどちらかだ。

 

例えば有名なクリスマスソングを作詞作曲した人が実は雪の降らないカリフォルニア州出身だったみたいな話や、山口百恵の「ああ、日本のどこかに私を待ってる人がいる」というような話なのだ。

想像が最高ならばあるもので補うことが結局は一番理想に近づけるのかもしれない。

知らない人の方が典型的なイメージでベタな想像をしやすいのだろう。

 

それに「いい雰囲気でお酒を飲んでいる」というのは大抵の場合どれもなんらかの作品であることが多い。

それこそカイジの例の地下チンチロ編のシーンにしても、アカギの昭和60年代の闇に降り立った天才のようなナレーションのシーンも漫画の世界の話だ。村上龍の作品でも登場人物がよくお酒を飲んでいてそのシーンの描写は絶妙で今も思い入れがある。

 

高級バー

こうやって一人でお酒を飲みながら想像しているときが理想に最も近いのだ。

ネットを見ながら理想の空間や仲間をイメージして安酒を飲んでいるときが本当は一番楽しいのかもしれない。

これも自分の理想は自分で作るしかないみたいな話で、自分で小説でも書いてそこにそういったアングラな雰囲気のヤバイ酒場を描くのが一番なのだろう。本当に自分好みのものは体験にしろ作品にしろ、部屋のような空間にしろ自分で作るしかない。

 

そしてそれを自分が数年後また読んで「こういうこと想像してたわ」と懐かしくなる。文章だからこそその時によって想像が違って幻想的に感じる。

自分が大好きな外山恒一のアングラバー巡りの記事にしても、実際は体験しておらず人の話だからこそ自分の好みに着色して想像ができる。

そういう意味ではお酒で楽しい雰囲気が、ヤバイ危険な雰囲気というのを想像にしろ自分の体験にしろ求めていくと言うのは人生の生きがいになるかもしれない。

 

懐かしいと言えば高級バーとまではいかなくともちょっと小さめのバーに行ったときのことは今でも自分の中で時が経つほどに幻想めいてきて華やかな思い出のように感じることがある。本当に小さな寂れたワンルームの酒場で薄暗い上に最初自分しか客がいなくて、結局いつもの常連客がもう一人来ただけだった。

あの場所がまだ経営しているならもう一度行く事がささやかな目標かもしれない。

そしてそういう体験記をいつか自分が読み返して懐かしむために人生の中で何度書けるか、それが自分の生きていく目的なのだろうと思う。

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