負け組ゆとりの語り場

社会に取り残された男が日々を語る

一周回って「バブル時代」が今かっこいいものになりつつある

流行は一周するものだなと改めて感じるのが昨今のバブル再評価ブームだ。

近頃バブル時代にスポットライトを当てた物が増えたり、バブル時代の流行に対して好意的な見方が増えているように思わないだろうか。

例えば音楽やファッションは今むしろバブル時代の物がかっこいいという扱いをされており、10年前はちょっと時代遅れてダサいものだったことと比べて変化しつつある。

 

これは流行の現象に良くあるパターンで「少し古い物が一番ダサいが、かなり古くなればレトロや古典として評価される」という話に近く、バブルもようやく"一昔前"から歴史の中の出来事になったと言える。

 

正直な話自分も00年代の頃は「バブルは古くてダサい」と思っていたし、世の中の風潮としてもそういう認識だった。10年ちょっと前の物というのは新しくもないし、凄く昔の物というわけでもなく中途半端なので一番軽視されがちなところがある。

そこからバブル景気の時代が歴史の中の出来事になって20世紀の文化の一つとして再評価されるようになったというのが昨今の傾向だ。

ちょっとダサイ一昔前の事として取り上げられていた段階から、一つの時代として語られるようになったともいえる。

 

例えばバブル時代の有名な曲で荻野目洋子の「ダンシングヒーロー」というのは今再ブームのような状態になっており、確かに今聞いてもこの曲はかっこいい。

ファッションも一昔前は古く感じた物が今では一周回ってかなりかっこよく見えるようになっている。

ある意味全力でかっこいいことをしようとしていた時期があの時代だったので、それが今になってやっぱりかっこいいなと再評価されているのではないか。

 

バブル時代は日本経済が絶頂期にあり、東京23区の地価だけでアメリカ全土で買えると言われたり世界の企業ランキングのトップランキングを日本企業が独占していた日本の黄金期でもある。

バブル時代の線引きはどこからどこかまでとするかは経済の視点で見るか文化の視点で見るかではやや異なってくる。バブル崩壊後も文化としては劇的に1年で変わることも無いので大体80年代後半から90年代前半までは似た様な文化だと言えるだろう。

 

そんな華やかな時代の文化で言えば象徴的なグループはジャニーズの光GENJIだろう。

最初自分は光GENJIを見た時今のジャニーズと比べてちょっとダサいなと思っていたことがあるが、今その時代背景を考えるなんて先進的だったんだと再評価している。むしろバブル時代絶頂期のトップアイドルだと考えると瞬間最大風速ではジャニーズ史上屈指の華やかさがあったとも言える。

 

自動車で言えばHONDAのプレリュードがまさにステータスとして人気を集めた時代であり、その伝説は今も語り継がれている。今は高級車はもはや手が届かな過ぎて憧れる事すらなくなっている時代であり、特定の車種が若者の憧れになるという現象すら存在しなくなっている。

 

ガンダムで言えば一番その時代の雰囲気を感じさせるのは新機動戦記ガンダムWだろうか。1995年放送なので時代は少しバブル時代とは離れる物の、本気でかっこいいことをやろうとしていた時代の名残は一番ガンダムWに反映されているように見える。

バブル時代の特徴は当時としては本気でかっこいいことをやっていたものが後から見ればダサかったりちょっと変だったりするというところにある。

そして今の時代にその変な部分やダサい部分が一周回ってもう一度かっこよく見えてくるようになったというのがここ最近のバブル再評価ブームの理由なのではないか。

 

物心ついたころから日本が不景気だったゆとり世代は子供のころはダサいと思ってた昔の文化も大人になって華やかな時代に対する憧れの目線で見るようになる。

そして実際にリアルタイムでバブル時代を経験した世代は今とは違って華やかだった時代に思いをはせて懐かしんでいる。

流石に太陽の塔のや大阪万博の70年代や学生運動や政治の季節の60年代は遠い過去だが、直近の華やかな時代として今バブル時代が注目を集めやすいようになっている。

バブル時代に青春を経験した世代がちょうど社会の中核になって来ているというのもこの背景には存在するかもしれない。例えばお笑い芸人の「平野ノラ」はバブル時代を題材にした芸風で人気を博している。

 

少し古い物が一番ダサく見える現象は、近い時代であるがゆえに今の基準と同じように比べてしまうからかもしれない。

そしてその境界線を越えて本当に古いものになったとき時代を分けて考えるようになることで中立的な評価ができるようになる。

バブル時代も一昔前のちょっとダサくて金に狂乱していた醜悪な時代という評価から、これだけ日本経済や日本そのものが低迷すると「あの時代幸せだったね」という評価になってくる。

 

例えば自分の住んでいる町にも90年代までは経営していたようなリゾートレストランのような建物の廃墟がある。

これが実際に繁盛していた時代に思いをはせると「こんな田舎まで華やかだった時代すげぇ!」と想像せずにはいられない。

単なる映像や記録としてみるだけではなく現代にあてはめて想像すればその時代の価値が理解できるようになる。

 

そもそも10年前の00年代ですらまだ活気はあって子供は大勢いてそれが当たり前だった。その時代よりもさらに華やかという意味ではもはや想像すらできないかもしれない。地域によって異なるが急速に過疎化が多い隠せないほど深刻になり始めたのが00年代の後半に入ってからだろう。

それまでは「減っている」だったものが「そもそもいない」に変わったのがこの10年の変化だ。

 

まだ00年代の前半までは「日本はまだ普通に凄い国」だという感覚はあったが、中国に経済大国としての地位を追い抜かれてから日本人の感覚は大きく変化したように思う。

よく中国人や韓国人が「日本人が近隣諸国を批判して自国を上げるようになったのは自身が無くなってきたから」と評することがある。

どれだけ強がっていても内心近隣諸国に普通に追いつかれていることに内心日本人は気づいてしまっている。今の日本に自信が持てなくなっているというのも少し前の華やかだった時代を懐古したり再評価したりする要因になっていることは否めないだろう。

今も日本が劣っているとは思わないが、昔のようにアジアでは日本一強どころかアメリカに迫ってた時代に比べるとどうしても自信は揺らぐほどに今の日本は低迷しているのは事実だ。

 

そしてこのバブル再評価が華やかな時代を求める渇望に変わればまた日本も良くなるのではないか。

戦後の経済成長にしても富や発展を求めて華やかな先進国を夢見たから成長した部分がある。日本という国は停滞すれば一国でやって行けるような国ではないのであっという間にこれまでの地位から転落してしまう。

やはり華やかな未来を求める情熱が戦後日本史を彩ってきた。

自分自身もその一人だが今の日本人はあまりにも低迷を日常の景色として受け入れすぎてしまっている。

「停滞」「衰退」が日常風景になりもはや何とも思わなくなりつつある日本人が、もっと日本は華やかだったんだという事を知るきっかけになるのであれば80年代の好景気はもう一度大きな役割を果たすことになるかもしれない。

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