負け組ゆとりの語り場

社会に取り残された男が日々を語る

大人数アイドルってもうオワコンじゃね?

先日音楽番組のスペシャル放送を見たのだが普段見ないようなグループを見ることができていろんな楽しみや発見があった。

その中でも特に思ったのがもう「学校のクラス」をイメージしたような大人数アイドルはそろそろシステム上限界に近づいているのではないかということだ。

 

とにかく今の時代あまりにもアイドルが増えすぎていて本来ならばステージに立つべきではないような人まで学芸会のノリでステージに立ってしまっている。

それがレベルの低下を招いているのではないかと最近考えるようになっている。

 

例えばAKB48系列の最新グループで言えばNGT48があり、最近よく音楽番組で見かける機会がある。その一方でSTU48は全く見かけないし、SKE48とHKT48はどこかに消えてしまった。かろうじて関西としての特色があるNMB48は今も見かけるが、それ以外は地域色もそれほどなくNGT48にとって代わられるただけのようなものでしかないのがほとんどだ。

どこかが人気になればどこかの人気が無くなるという事を繰り返して、とにかく新しい物を作っては古いものを犠牲にしていくという自転車操業や焼き畑商法のようなことをやっている。

 

NGT48の人気が上がればそれはHKT48やSKE48が人気が下がりオワコンになっているという事でしかないのだ。

特にSKE48はもう完全にオワコンで愛知県や名古屋でのローカル人気もボイメンに奪われているという有様だ。全盛期のSKE48を知っているだけに今の落ちぶれたSKEには涙を禁じ得ない。

HKT48も若さやフレッシュさが売りだったが新しくNGT48が出てくれば結局変わりはいくらでもいるということになる。乃木坂46も欅坂46に取って代わられかけており、数年後はSDN48のように消えていてもおかしくは無い。

 

大人数アイドルの最大の問題点はとにかくとにかく振り付けのレベルを下げざるを得ないと言うところにある。

「このメンバーで頑張っていこう」という団結心も生まれず、振り付けのレベルは全員が平均的にかろうじてできる物でしかない。NGT48の振り付けを見ていると本当に学芸会で適当にダンスを踊っているようにしか見えない。

口パクは当たり前で衣装も似た様なものばかり、そして振り付けも全員でなんとなくクラス会や文化祭のように踊っているだけで完成度が低い。

 

今までのアイドルファンは顔やキャラしか見てない人が多かったのでその推しメンの子がただ出演しているだけでもうれしかったという文化があった。

自分自身もかつてはそういう目線で見ていた時期があるので理解できなくはない。

 

ただ何度もこういうのを見てるとそろそろ飽きが来てさすがにNGT48までは興味を持てないという感情になっている。

W松井がいたころのSKE48はいわゆる本店のAKB48との比較構図があって魅力的に思えたが、そこからNMB,HKT,NGT,STUと版図を広げていくともう似た様な商法を繰り返していることに気付いてさすがに食傷気味になってきた。

おそらく欅坂46の次はまた新しい坂道シリーズが数年後作られているのだろうが、もはや興味を持つ気にもなれない。わざわざ覚えても数年後は古くなっているしメンバーもいなくなっている。

そして普通の女の子を応援しても虚しいことに気付いた人が増えており、こういったアイドルは以前ほど勢いを失っている。

AKB48の全盛期時代は神7と言われ一時はもはやオタクだけでなく社会現象にまでなった。最初はオタク文化の一つだと扱われていたが本当の全盛期の時にはリア充やスポーツ選手ですら「神7の中なら大島優子はタイプ」と言っても恥ずかしくない風潮があったし、板野友美は従来のアイドルオタク層とは異なるヤンキー層にも受けていた。

 

しかしいわゆる"支店"系の姉妹グループ以降、黒髪率が高くなりより清楚なオタク向けのアイドルに特化されていき一般支持を失っていくようになる。 

結局この手のグループは20人のいろんなタイプの子がいるというわけではなく1人、2人とその他大勢のバックダンサーという構図になってしまっている。詳しい人は分かるのかもしれないが所詮はその辺の素人でしかなく、素人ができるレベルのパフォーマンスしかできないという弊害にもなっている。

神7や選抜メンバーのように大体のメンバーが知られているというかつてのような現象はもう起きないようになって来ており、勢いのある欅坂46も実際にはほとんどメンバーが知られていない。

そのためわかりやすい1人だけを中心にして簡単にできるようなダンスやパフォーマンスしかできないのだ。

 

 

逆に女性アイドルでも少人数のグループはそれぞれのメンバーに見どころがあるし、メンバーもファンも愛着を持ちやすい。

昨今のクラスを再現した大人数アイドルに比べると感覚が麻痺して5人や9人というのは少なく思えるかもしれないが、それは同時に全員に見どころがあるという事であることに対して、20人もいれば一人を引き立てる十数人が同じことをやっている構図にしかならない。

実質的に活躍しているメンバーの多様さで言えばむしろ少人数で固定しているグループんの方が多いほどだ。

 

大人数アイドルは振り付けも1人以外は全員同じで個性や変化が無い。

48や46のような大人数アイドルは少し飽きればファンだけでなくメンバーまでもが離脱する構造がある事に対して、少人数アイドルはパフォーマンスにも多様性がある。

 

男性アイドルでもジャニーズなどはメンバー構成が厳格で追加メンバーすらも基本的にはタブーになっている。また海外のアイドルもこういった大人数でわちゃわちゃしたような学芸会のノリは少なく、本当のプロフェッショナルな集団であることが多い。

 

こういったわちゃわちゃした大人数アイドルは最初は「いろんな可愛い子がいる」と自分のタイプの子を見つけることが楽しいのだが、その内それが疲れてくるように感じ始める。

またいつも映るメンバーは決まっているし、ダンスのパフォーマンスも集団で簡単にできるようなものが多くとにかく飽きてしまう。

NGT48も数年前にHKTやSKEで見た物ばかりでメンバーもいよいよ顔の区別がつかなくなってきたし「覚えても無駄」という感覚を持つようにもなってきた。所詮数年前と同じことを繰り返して、少し色や風味を変えた程度に過ぎない。

そう言う光景を見ているとセンター2人を覚えさせて、そこからいろんなメンバーを知ってもらうというシステムもそろそろ限界に近づいてきているのではないかと思わずにはいられない。

 

また大人数でも何となくできるような学芸会パフォーマンスばかり重視するようになると、これはレベルアップの必要性が無くなるというデメリットも存在する。秋元グループが芸能界を支配してから確実に日本のアイドルやエンターテイメントのレベルは下がってしまった。

文化祭的なパフォーマンスと握手会での会話という「学生時代の代替品」としての秋元グループのビジネスモデルは長期間の停滞しか生まなかったと後の芸能史において評価されるのではないか。

歌詞も全てが秋元康の自己投影で彼女らが本当に歌っているわけではないし、秋元の学生時代への憧れのようなものにいつまでも付き合っていたら日本の芸能界のレベルは本当に下がってしまう。

それではまともな人やセンスのある人は海外の物を見るようになってしまうのは仕方がないと言えるだろう。秋元康やオタク層が理想とする「文化祭の雰囲気」でも、実際の文化祭ではおそらくTWICEの方がよほど現役の女子学生に再現されているのではないか。

 

アニメは日常アニメと声優主体の擬似アイドルを量産して劣化し、アイドルは学生時代の代替品を量産して劣化している。

それを日本人が求めていてそれが内需を形成していると言えば聞こえは良いが、同時にかつてカルチャーをリードしていた日本の面影はどんどんなくなって行っているなと感じざるを得ない。

果たして日本のエンターテイメント文化はどのような方向に向かっていくのだろうか。