負け組ゆとりの語り場

社会に取り残された男が日々を語る

アル中日記 今日は二日酔いとの戦いだった

土曜日だからと言って特に特別な事も無く、今日はただ二日酔いを醒ますだけで1日が終わった。

夕方になってもまだアセトアルデヒドと化したアルコールが残っている感覚があるので今日はもう飲まないようにしたい。さすがに昨日飲みすぎたこともありもうそんな気分でもないのだがこういう時に限って結局また呑んでしまう事は多い。

 

とにかく昨晩はかなりの量を飲んだ。

最近飲める量が体感として減っていることに加え、飲んでも楽しく酔えないことも増えてきている。

日や飲む状況、環境によってコンディションが違っていてわざわざお酒を飲んでも楽しかったのは本当の一瞬だけだったり、逆に昨日のようにいつまでも飲み続けられたりする。

こんなに飲めたこと、そして夜中に目が覚めることなく快眠できたのは久しぶりだった。飲みすぎた上に夜中に目が覚めると正真正銘の地獄だ。

 

昨晩はとにかくほとんどの時間、動画を見て過ごしこれ以上飲めないと言うところで寝た。家で1人で飲むことの利点は自分のペースで飲めることに加え気分が悪くなればすぐ寝る場所がある事に尽きる。

帰宅手段に気を使うことなくだらだら自分のペースで動画を見ながら飲めなくなるまで飲むというのを自分はよく繰り返している。それゆえに飲みすぎて二日酔いになってしまうのだろう。

 

ただその翌日、つまり今日は1日中陰鬱で仕方なかった。

昨晩楽しかった時ほど翌日は現実や気分の悪さが押し寄せてきて何をやっていたのだろうかと後悔する。ようやく歩けるようになってから風で頭を冷やすため外を散歩しても、この季節特有の冬が押し寄せる感覚が寂寥感を強くする。

この秋が終わる季節はひたすら孤独感だけが押し寄せてくる、二日酔いでただでさえ憂鬱な時にこの感覚に支配されるとこの世の中から消えたくなってしまう。

冬のイベントが楽しみな人ならば徐々に寒くなるこの感覚は心地よいのかもしれないが、今の自分にとってはただ哀れで惨めな思いが強くなるだけでしかない。人間関係の孤独とふところ事情の寂しさがより一層この季節の寒さによって強く感じられるようになる。

憂鬱で陰鬱な感情、充実感の無さ、世の中に居場所が無いという感覚、将来への不安、自己嫌悪、そういったあらゆる負の感情や現実ばかりが二日酔いの中で自分を攻撃してくる。

 

それにしてもお酒を飲むことは実に馬鹿げたことだ。

トータルで見れば楽しい時間などわずかな物でしかなく、仮に楽しく過ごせたとしても飲んだ量によってはその倍以上の時間を苦しく過ごさなければならない。

そんなことをわかっておきながらもまた飲んでしまうのだから救いようがないと自分でも思う。

飲めば身体的につらくなるが飲まなければ精神的につらい、どっちに転んでも不幸な結果しか待っていない。何をやっているんだろうなぁ、そんな感覚だ。

 

そういえば去年の冬も似た様な事を考えていた。

あれからもう1年になってしまうのか。今年の夏の時も、あの夏から1年が経ってしまったのかと思っていたが今年の冬はより一層そんな感情が強い。

この1年本当に何も変わらなかった。相変らず底辺を抜け出せず、人生も上向きに変わっていくことは無くむしろより現実は厳しくなる。年々諦める物、失うものが増えてきていることが続いている。

こんなにつまらない冬をまた迎えることになるとは思ってもいなかったし、同じような1年どころかもっと駄目な1年を過ごすことになるとは考えてもいなかった。

 

さすがにこの1年で状況は変わるだろうと、変えられるだろうと信じていたがただ自分の無能さを再確認するだけで終わろうとしている。もう数年こんな調子だ、去年もそうだったというデジャブでしかない。

完全に負け組のルートに突入してしまいもはや人生を変えようという気力すら失ってしまった。

どうせ何も変わらない、何もおこらない、楽しい事なんてない、どうせやっても無駄、結局これも最後は駄目になる、そんな事ばかりだということが当たり前になってしまっている。

思い描いていた人生とは違う現実が嫌になる。

懸命に這い上がろうとしていたのが2年ほど前ならば、もう今はどうせ頑張っても無駄という感覚がとうとう自分の中で支配的な感情になっている。初めから諦めることが圧倒的に増えた。

 

そんな現実から逃れるために酒を飲んでいるが、逆に言えば酒におぼれているから何も良いことが起きず更に現実が嫌になるという悪循環に陥っている。

二日酔いの時はこんなネガティブな事ばかり考えてしまう。

これが自分の現実、そんな人間でしかないのだ。

酒に酔い終わって気分が悪い時に楽しいことを考える事は難しい、そんなときは弱い本当の自分が出てくる。

 

一昔前はこういう時妄想に逃げていた。

活躍している自分を作って脳内で理想世界を思い描き、それが本当の自分だと考えていた。脳内だからすべてが自由だ、チート級に活躍し世の中から認められている姿を思い描いていた。そっちのほうが本当の自分で今の現実は全部嘘なんだと言い聞かせるような妄想をしていた。

 

最近ではそんなこともあまりしなくなり来世や天国を信じ始めている。

気にするな、ただ現世がちょっと駄目だっただけなんだと思いながら今の人生についてあまり考えすぎないようにしている。来世や天国が無いのは分かり切っているけど今の人生についてあまり重大に考えすぎる必要もないという感覚になれる。

「人生は一度きり、後悔しないように生きるべき」という強迫観念が今まで強すぎたのかもしれない。誰もが理想的な人生をおくれるようにはできていないのだ。

だからこうしてうまく行かなくなったとき必要以上に苛まれていた。

 

人生なんて完璧に生きる必要もなければ、そんなに大事な物でもないのだ。

もしかしたら来世があって、天国だってあるかもしれない。もうそれだけが拠り所で、多分昔の人は「よみがえり」や「生まれ変わり」を信じられていたから辛い時代でも頑張れたのかもしれない。

今はそういうことが無いとほぼ科学的に分かり切っているがゆえに現世へのこだわりが強くなりすぎているのではないか。

来世や天国ではもっと恵まれた人間として生まれてもっと認められるし活躍できるかもしれない。そんな非現実的な事を最近では考えている。

貧困も不平等も孤独もそこにはない、主人公にだってなれるし必要な物は揃う。

 

今はちょっとただ運が悪かっただけなんだ、少しの期間悪い夢を見ているだけなんだ、現世が駄目だったからと言って悩みすぎる必要もないんだ。

ちょっと今の時代がいろいろ合ってなかっただけ、駄目なことが偶然重なっただけ、仕方ない。次の人生はチャンスがある、現世ではたまたま楽しくな人生になってしまっただけだ。

実際にはないんだろうけど、まぁなくても良い。ただ今の現実についてこれ以上もう考えたくないのだ。

つらつらとこんなことを考えていたら気付かないうちに二日酔いもほぼ完全に楽になっていた。さてゲームでもするか。