負け組ゆとりの語り場

社会に取り残された男が日々を語る

これ以上絵で夢を追い続けるべきなのかという問い

今の自分に非常に重くのしかかっている問題がある、それはこれからも絵やデザインを続けていくべきなのかということだ。

夢と現実というテーマで見るならばまさに今の自分には現実が突きつけられている。

 

至極単純に言えばこれ以上絵やイラストを描き続けても明るい将来は見えてこないからきっぱり辞めたほうがいいのではないか、そう考えることが最近増えている。

 

多くの人に夢を諦めるタイミングというのは訪れる、そして挫折を経験する。

自分の場合既に挫折の真っただ中で、既に人生の希望を見失っている。文字通りの負け組だ。

 

特に絵やイラストの世界で負けたという実感は強い。

しばらく1年近くほとんど絵を描くこと自体辞めていてここ最近再開したものの、やはり現実は厳しいと改めて思い知らされた。

もうこれ以上細々と続けても光は見えてこないのではないかと疑い始めている自分がいる。

 

正直に言えば絵が上手い人はいくらでもいて、人気になる人や物は決まっているわけですよ。

特に自分がメインに活動しているピクシブは公式の補完という側面が強く、そして上手い人にしか人権が無い。

黎明期の自由な雰囲気というよりもプロレベルの人がやる場所になり、人気になる人は決まっていて後は成人向けイラストが見られやすいという構図がある。

 

自分はピクシブを初めてもうすでに3年、始めた当初はペンタブを使い始めたばかりで酷かったが情熱はあった。それが今では大体自分の実力や立ち位置をわかってきて、これが現実かと気づいている。

高校で言えば入学当初は希望に満ち溢れていたのに、高3の頃には早く卒業式終わらねぇかな・・・と惰性で通い続けるようなものだ。

学校が楽しければ名残惜しいがそうでなければ情熱は持てない。

 

それと同じでピクシブもいろんな人から認められて楽しく和気あいあいと活動できていれば、自分は必要とされているという実感や充実感を得られて毎日が楽しくて仕方ないだろう。始めたころはまだ自分の立ち位置も分からず夢を信じられて楽しかったけどもそれなりに、最近ではツッコミのないボケを延々と繰り返しているような感覚に襲われる時がある。

 

実際見ても分かるように自分のアカウントなど3年やってあのざまでしかない。

途中1年間休止していた時期はあるものの数年やっても閲覧数はしょぼくランキングに入ったことも当然無く、面白い反応も毎日のようにあるわけではなく、最近ではイメレス(イメージレスポンス)も皆無になった。

こうやって裏で「イラスト描いてる人は性格が悪い」「ネットの人間関係は儚い、社交辞令ばかり」と書いてるのを見られたのかもしれないし、とにかくいろんな人から見放されて一人になった。

 

 

何言うてんねんと思われるかもしれないけど、正直自分はもっとできると思ってたし有名になって世に出ていく存在で才能があると信じていた。

例えば自分が書いてるオリジナルロボット、オリジナルガンダム系列のデザインも評価されて今頃スーパーのおもちゃコーナーに行けば自分がデザインしたガンプラやロボットのプラモデルが並んでると思っていた時期があった。

ガンダムやロボットの時代じゃなくなってきたというのもあるけれど、もうメカデザインしてもだいたい結果は予想付くという感覚がある。

 

自分がオリジナルガンダムを作ろうと思ったのはまだ機動戦士ガンダム00が放送してた頃で、その頃はガンダムがここまで衰退するとは予想していなかったし自分も伸びていくという感覚があった。10代という事もあって根拠のない自信や充実感があった。

今はもう現実に気付き始めて生活のことが心配で酒におぼれて現実逃避しかしなくなって、人生を冷笑している。

本当は今頃スターになって華やかな生活をしていたはずなのにという虚しさもある。もっといろんな人に認められて必要とされている実感を得ながら充実した活動をしているはずだった。

 

人生の描いた夢や計画に全くといいほど追いついていないどころか、最低な状況に落ちぶれている。借金関連のヤバそうな書類も来てもう死にたいけど死にきれないみたいな感覚にもなっている。お金が無いという現実、夢もないという現実、そればかりが毎日重くのしかかる。

 

イラストやデザイン、小説、文章に人生をかけてたけどそれが上手く行かなくて、夢を壮大に見過ぎていたがゆえに今の現実が受け入れられないという状況に陥っている。

「俺の人生こんなもんか」と才能が無いことを自覚しつつ、世の中上手い人がいくらでもいるという現実を知る。

 

人生挫折してからが勝負、才能が無いと自覚してからが本番ではある。

ただそこからもう一度頑張れば頑張るほどにむしろ現実はより鮮明になっていく。

 

今思えば馬鹿みたいなものだけど才能があると信じてたし世に出ていくと信じてた。

右肩上がりでどんどん自分の実力も世の中からの評価も伸びていくという幻想を夢を追う者なら一度は持つだろう。高校に入学したての頃は青春を過ごせて、良い大学や就職先に行けるという希望に満ちている。

しかしそれは儚くも散りゆく幻想でしかないと3年間過ごす頃には気付くことになる。

 

そんな惨めな敗戦から今度こそはと信じた夢だった。

憧れの大学には受からなかったけどそれ以外で夢をかなえる、そんなモチベーションを高校卒業後は抱いていた。

その末路が今の悲惨な自分だとは思いもしていなかった。結局また同じように自分は主人公にはなれなかったのだ。

 

まだ絵を描きたいという思いはあるがどうしても人間というのは慣れると計算してしまう。

「この絵描いてもいつのも感じだろうな」と大体の結果として閲覧数は予想できるし、面白い反応も特にないだろうなというネガティブは方向から入ってしまう。

爆発的にヒットするようなものは自分の能力では描けない、人気になる人やジャンルは決まってると何度も描いていくうちに諦めから入るようになっていく。

SNS受けしやすい人気アニメの二次創作的な漫画でも描けば少しぐらいは反応もあって充実感も得られるのだろうか。

 

昔ポケモンのイラストを描いていた頃はまだ今よりも閲覧数はあったし、当時より今ならもっと上手くは描ける自信がある。

オリジナルメガシンカやメガシンカ予想というものを描いていたこともあった。

ガンダムやロボットよりはポケモンの方がピクシブでは需要がある上に、当時の自分はポケモン熱があった。

ただ今ではもうメガシンカ自体が実質お蔵入りのような状態で新しく発表されることも無く、今更ポケモン熱失った状態でまたメガシンカの絵を描いても時代遅れな感はある。当時はORAS発売前で新作に対する希望もあったのは大きい。サンムーンになってからポケモンについていけなくなった人間が今更ポケモンの絵を描いても情熱は無いだろう。

 

それで言えばもうオリジナルガンダム自体も需要は無いという事は自分自身ひしひしと感じてもいる。

ロボット系のイラストはプロレベルに上手い人でもそこまで閲覧数が多くない。自分は今もメカのイラストを描きたいという思いはある物の、やりたいことと世の中の風潮が合致しないという現実はある。

 

とにかく現実が重くのしかかる。

生活の事を気にせず時間を使えて絵を描けた時期はとうに終わってしまった。

創作で通用しない事、お金が無い事、この2つが重い石のように自分を支配している。

好きなだけでは続けられず、どうしても現実的な収益が必要になる。

DL販売等で収益が得られればいくらでも描いていたいし、一応これからピクシブのBOOTHで販売しようかなという計画はある。壮大な夢は叶えられなくても最低限の生活費が文章とイラストだけでまかなえれば、それは幸せだと思う。

描きたいアイデアはいくらでもあるし1万人に見られる絵や文章よりも、10人がお金を出してくれるイラストやテキストの方が現実にはありがたい。

日給2000円の生活でも好きな絵と文章だけで生活していければ、自分はそれで幸せなのだ。

 

ただNOTEのほうで既に販売してる有料記事も現実は厳しくほとんど売れず、末端の個人がしょぼいイラスト販売したところで買ってくれる人はいないという予想もつく。

正直ネットで活動を始めたときは、いつか自分の才能を信じてくれて支援してくれたり見出してくれる人が現れてくれるんじゃないかという希望的観測もあった。

しかし現実には年金と借金の督促状が山積みにされる生活にしかならなかった。

 

いっそのこともうきっぱり絵の世界からは引退して、全く別の世界に飛び込んだほうがよほど幸せなんじゃないかなという思いも最近は大きくなっている。

このまま続けても陽の目を浴びることは無いんだろうなということは気づかないふりをしておきながらも気づいてしまう。

絵の世界は厳しい、本当に自分より上手い人はいくらでもいる。

ゲームのレーティングやランキングで自分の実力を悟るように、自分の現時点の実力とこれからの伸びしろを考えるとそこには現実だけがある。

 

ただ唯一希望があるとするならばスポーツと違って絵や小説、創作の世界は年齢が関係ないという事。アスリートのように肉体的な衰えは関係なく、下り坂に入る30代が芸術の世界ではまだヒヨッ子のような世界だ。

むしろ世の芸術家を見ていると晩年の方が名作を作っていることが多い。

また生前は評価されなかった画家というのも個人的には憧れがある。

生きてるうちは貧乏画家のように評価されなくてもまだ何かを残していこうかなという思いもあるし、まだ年齢的に諦めるのは早すぎるという思いも無いわけではない。

時代が変わるかもしれないし何か奇跡が起きるかもしれない。

 

自分が尊敬する本田圭佑はCSKAモスクワ時代にこう言っていた。

「まだ信じてますね、ビッグクラブに行けると」

ロシアリーグ時代、悲壮感が漂う雰囲気の中でファンすら諦めかけているときに本田はそうインタビューに答えていた。そしてその後実際にACミランへの移籍を果たすことになる。

 

しかもそれは膝に大けがを負いかつてのプレースタイルが続けられなくなった時期の発言で、常人なら心が折れてもおかしくないような過酷な状況での発言だ。

「心が折れたことは無い」とも本田圭佑は発言している。

じゅんいちダビッドソンの「伸びしろですねぇ!」ではないけども、まだ自分のどこかに伸びしろが残されているんじゃないかという思いもある。

 

どうジャンプしても届かない、数年前に思い描いていた計画ではこんな生活してなかったし普通に自分の作品がアニメ化されたり自分のデザインが何らかの商品になってると信じていた。

それがまさか田舎に出戻って年金と借金を無視し続けて、安酒に溺れる底辺生活に落ちぶれるとは思ってなかった。

それでもどこかで人生が変わるんじゃないかなとまだ少しだけ信じてる自分がいる。

いつか世に出ていく存在なんじゃないか、花が開くんじゃないか、大丈夫大丈夫と呪文のように言い聞かせているときがある。

 

ただその手段がこれからもこうして絵や文章を書き続ける事なのかはわからない。

実際大体の限度は見えてきていて始めた当初のような根拠のない希望や情熱は無い。自分でも実力の限界はある程度分かってしまっている。

分からなかったから根拠のない自信を持てたし、今頃凄い絵が描けるようになっているとも思ってた。現実にはほとんど成長せずに数年間を過ごしただけだった。

かと言って他に何かができるわけでもない、こういう時エミネムのLose yourselfを聞きたくなる。

「俺は普通の生き方はできない、ラップ以外で生きていけねぇんだ」

大体そんな内容だ、貧困の中でギリギリの状況で夢を追い求めていく世界観が歌われている。

 

まだ自分が一切ネットに何も投稿していなかったころ、1人部屋の中で大学ノートにアナログでイラストを描いていた。

厨二病ノートのようなものにオリジナルでいろんなデザインをしていて、これをデジタルで書けるようになって色を付けられればものすごく良いものになって世の出ていくんじゃないかなと信じていたことがある。

 

「これは凄いぞ、こんなことやってる人は他にはいない、世の中を変えられる」

現実を知らないがゆえに壮大な夢を見れた、自分の中だけの世界観で自分を信じられた。

 

高校卒業後と言えばまだ10代で希望に満ちていたし時間も貯金もあった。

初めての一人暮らし、部屋の中で没頭したように絵をノートに描き無限の世界を妄想していた。街に深夜で歩いても創作のアイデアを練りながら歩いていた、知らない街でどこまでも遠くに行けるような気がした。

気付けば朝まで歩いていて、初めて訪れる街の景色が見たことも無く綺麗だった。

 

しかしその街を知ることになっていくと自分の立ち位置も分かるようになる、遠くまで行けるという新鮮な感覚は無くなっていく。

自分にとってインターネットというのはまさにそのような場所だったのかもしれない。

 

都会には何もない、多くの物があるようで何もないのだ。

なぜならばそこには手が届かず手が届く人はもう決まっているからだ。

自分にとって手が届かないものは存在していないものと同義で、最初は手を伸ばそうとしてもいつしか手が届かない事を悟るようになる。手が届くまで伸ばし続けようとしてもその内体力が無くなっていく。ネットもまたそのような場所だ、所詮自分は末端のアウトサイダーでしかない。

 

ただ、そこに気付いてからが勝負でもある。

物心ついてる時からわかってることだけども自分はすぐに人気者になれるタイプでもなければ可愛がられやすいタイプでもない、認められて褒められやすいタイプは決まってるし要するに主人公タイプではない。

岡崎慎司「どのチームでも一番目立つ奴がいる、俺はそうじゃない」と言っていたけども、そういう感覚は凄くわかる。

レスターが降格圏寸前の不振に陥ってた時「このチームどうでもいいわ、と思ってた時期があった」と語っていてあの笑顔の岡崎ですらそう思う事があるんだなと感じた。

 

人生不貞腐れる時期があっても自分は良いと思う。

人生、順調に行く事の方が稀でトラブル続きなのは当たり前。

今が自分の中で一番不貞腐れて人生どうでもええわと思ってる時期かもしれない。ただここを乗り越えた先に何かがあるんじゃないかなという微かな希望もある。

分かりやすい希望があるわけではないし、具体的な解決策は全くと言っていいほどない。夢自体が揺らぐしもうそういうのすらどうでもいいや、という思いも酔いが終わって苦しい時間帯の時は考えてしまう。

 

上手く行ってることが一つも無く、深刻な課題ばかりが山積してる時に人間何を思えるかという自問自答の日々が続く。

人生プランの根本が間違っていたことは事実だ、とにかく戦争すれば勝てるという見切り発車で1939年にポーランドに侵攻したり1941年に真珠湾を攻撃したようなものだったと今では反省している。勝てる見込みがないことを始めてしまった。

今の自分はまさに1945年当時にいるようなものだろう。

 

まさかこんなことになるならば始めなければよかった、ちゃんと真っ当な道を歩んでいればよかったと後悔しても狂い始めた歯車はもう止まらない。1945年当時に日本やドイツの参謀だったら何も考えたくないだろう、今はまさにそんな感覚だ。山積みの年金と借金の督促状は早期に無条件降伏を受け入れろと無言で発している。

どこで人生の選択を誤ったのか。

終わりゆく人生からとにかく逃げ出したい、全てが嫌になる。

人生勝つタイプと負けるタイプは決まっている。勝者の星のもとに生まれた人と敗者の星のもとに生まれた人がいる。

あらゆる競争に自分は負けてしまった。

 

ただそれでもまだどこかで人生が変わる時が来るんじゃないかと、最後の最後で勝てばいいと言い聞かせてどん底の時をどう乗り越えるかに人生はかかっている。

本田圭佑は「上手く行ってる時ほど謙虚に、上手く行ってない時ほどビッグマウスに」と言っていた。こんな自分を見てくれてる人がいるんじゃないかと、そしていつか何かが変わるんじゃないかと。

今はそう言い聞かせるしかないけども、最後まで信じられるかどうかだと思う。