負け組ゆとりの語り場

社会に取り残された男が日々を語る

人生やる気がないモードに突入したときはどうすればいいのか

ここ最近また無気力状態が復活している。

ひたすらネガティブな思考ばかりが駆け巡り、明るい見通しが感じられなくなってしまう。

今日もまた何も変わり映えの無い日が始まるんだろうなとか、やってもこんなもんかという感覚に支配されていく。

「人生しょーもな、くだらねぇ」と無気力な表情で溜息のようにつぶやき、無表情で録画したテレビ番組を消費するように見てるだけ。ハードディスクに溜まった録画番組を見て削除するぐらいしか達成感が無い。

 

それ以外の達成感、充実感、意義のある事をしている実感、そういうキラキラしたエネルギーは皆無皆無&皆無でしかない。

やったことが何の結果にもならないと楽しくなくなり、やっぱ俺ってこんなもんかと腐る。

この1年ちょっとで本当に諦めが早くなった。

少しでも上手く行かない兆候が出ると「またか・・・」と思うようになってしまう。

しょせん自分の人生なんてこんなもんか、としか思わなくなりやる気やモチベーションが枯渇する。

 

結局必要な時に自信が得られなかったり、最後には勝ったという経験がないから諦めが早かったりすぐ萎えたりしてしまうんだろうなと思う。

例えばサッカーの試合で負けてる時に逆転を信じて走り続けたり、頑張ってボールを奪いに行こうとしたりできるのは、一度は逆転を経験したことがそのキャリアの中であるからだ。

 

なんでこんな試合で我武者羅に走り続けたり守備を出来るのだろうかという選手も、それは過去に公式であれ練習であれ劇的な逆転を経験したことがありその経験の再現を信じられるからだ。

プロの選手なら一度はそういう経験があるから、またその勝利に向かって信じて走り続けられる。

 

しかし自分の場合そんな経験がない。

「ここで走っても無駄やろ、どうせ負けは決まってる」という思考の方が先に来てしまいダラダラして守備もサボるタイプだ。

どうせ重要な局面で決めてヒーローになれる選手というのは決まっている、俺は主人公タイプじゃない、そんな諦めにも似た感情が自分の本心だ。

 

それどころかもはや試合にも出れずベンチで不貞腐れてるような選手だろう。

存在しないことと同義の無価値な選手として人生という試合で活躍できず不貞腐れてるだけ。

ちょっと上手く行かなければすぐ諦める、そしてこの部活早く辞めたいなとしか思わなくなる。何の結果も出ないとこの努力に意味があるのかなと感じられるようになってしまう。

入部したての頃の情熱などどこかに消えて、惰性で練習して早く辞めたいとしか思っていないようなものだ。好きだったものがつまらなく感じるようになってしまう。

 

「どうせ俺はプロどころかこの弱小高校のレギュラーにすらなれない、やっても無駄」

そんなことを考えてる末端の部員のような思考に陥っている。

 

人生頑張れる人というのはある程度それまで上手く行った経験がある人で、その成功体験をもとに上手く行かない時や試練にも耐えられる構造がある。

それが無い時はどうせやってもまたこれまでのように上手く行かないんだというイメージのほうが強くなってしまう。

やってもこんなもんかという現実しか突きつけられず、次はもっと頑張らなくなるから更に何も生まれないという悪循環に陥る。

 

上手く行ってない時ほど闘志や反骨心を燃やして頑張れるタイプならまだ救いようがあるが、もうそういうエネルギーすらなくして不貞腐れるようになってしまった。

まだ少し前は「上手く行ってない時ほど真の実力が問われるんだ!」と言い聞かせていたのに、今ではそういう意識高いのもう疲れたわとしか思わない。そういうことが続きすぎるとひたすらどうでもよくなってしまうのだ。

 

更に「もう時代じゃないんだろうなぁ」と今度は時代のせいにし始める。

達成感、充実感、前進している感覚、そんなものが一切ないと虚無感やだけが支配して不貞腐れるようになる。

こういう人生やる気ないモードに入ったときは長い。

まるで入口の見えない長いトンネルを歩いているような感覚だ。

 

根拠も無く無尽蔵に情熱が湧いてきた時期はとっくに終わっていて、惰性の中から頑張って残り火だけを探す作業が始まる。

そんな無気力な人たちが今増えているのではないだろうか。

 

こういう時は自分の経験上もう充電期間だと思うしかない。

全然違う事をしていれば気分転換になってまた少しだけモチベーションが湧いてくるときがある。それが1か月になるかもしれないし、1年になることもある。

ただ時間をかけることも時には必要なのかもしれない、生き急いでは疲れるだけなのだから。

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