負け組ゆとりの語り場

社会に取り残された男が日々を語る

ゆとりって勝ち組と負け組の差がめちゃくちゃデカいよな

ゆとり教育世代も既に30代が登場し始めた昨今、それぞれの人生が鮮明に分かれ始めている。

自分自身そんなゆとり世代の一人だが、この教育を受けて思うのが勝者と敗者がくっきり分かれる教育だったという事だろう。

 

「これだからゆとりは」とよく言われるが、反論するのであれば優秀なゆとりは本当に優秀な人が多い。その一方で駄目なゆとりも本当に多く、自分自身その後者なので典型的なゆとってる甘ったれてる奴だと言われても仕方がないと自覚している。

 

自分のような駄目で無能なゆとりを個人として批判するのは全く構わないが、優秀なゆとりまで巻き込まないでほしいというのがせめてもの願いだ。

優秀な人はいくらでもいるため一括りにしないでほしいし「これだからゆとりは」と一括で批判するのではなく、あくまで個人で判断してもらいたいという思いはある。

ゆとり教育が間違っていたという十字架は自分のような駄目なゆとりが背負うべきであり、優秀な人までをも批判するのは間違っている。

そもそもゆとり以前の世代も駄目な人間と優れた人間は両方存在したわけであり、世代でまとめること自体がナンセンスなのではないかとも思う。

 

一部は非常に優秀だが大多数は無能、それがゆとり世代でもある。少数の勝者と有象無象の敗者を量産した、それがゆとり教育だった。

 

そんなゆとりの権化である自分は間違いなく社会の底辺に落ちぶれた負け組だ。

最もゆとり世代の評判を下げている存在の一人が自分だろう。

大学進学率が50%を超える今、大学に進学したにもかかわらず中退し無職のニートに落ちぶれた自分は何も持たない無能でしかない。社会に適合できず、社会人文化とは相いれない社会不適合者になってしまい底辺の人間として紛れもなく哀れで惨めな負け組だ。

職業スキルを身に着けられる高校に進学したわけでもなく、勉学の普通科に進み、結果的にその大学からも去ることになった人間というのは今の時代において最も無能な存在である。

高校で何らかのスキルを身に着け卒業後即座に就職して職歴や技術を磨いてきたわけでもなければ、大学で成長し優良企業に内定し順調に人生を歩んでいるわけでもない。そのどちらにも遠く及ばないのが自分だ。

 

かつて「こいつらは勉強ができない馬鹿だ」と見下していた人に今は見下されているし、自分よりもっと勉強ができた本当のエリートにも当然見下されている。

小学校の頃全く勉強ができない人がいたが、彼らは今手に職をつけてバリバリ働いて出世している。自分より勉強ができた人は最近かなりいい職に就いたと聞いた。まるでニートの自分とは違う。

だから同窓会にも行かないし成人式にも出なかった、会うのが怖いのだ。

 

その上自分は帰宅部であり社会人の上下関係の文化にも相容れない。

ゆとり、帰宅部、大学中退、まさに負の役満だ。

その上貧しい家庭に生まれ、田舎の貧困層として育ち、両親の不仲などにより人格まで歪んだ経歴を持つ。

何の成功体験も無く、ただ負け続けてきた哀れな人生を過ごしてきた真の無能であり負け組だ。

最後の駄目押しとして現在はアルコール中毒にまで落ちぶれており、もはや自分より下を探すことの方が難しい。

親が悪い、社会が悪い、世の中が悪い、周りが悪い、間違っていたのは俺じゃない世界の方だ、とにかく自分の存在なんて無かった事にして楽に消え去りたい。

そんなことしか考えなくなる。

 

そんな時に順調なルートを歩み活躍している同世代を見るとコンプレックスに苛まれるし、下の世代で将来有望な人間を見ると嫉妬に狂いそうになる。

結局世の中、上級国民や元々持つ人間が勝つんだなと冷笑し始めることが日常になっている。

「世の中くだらねぇ、しにてぇ、全部消えてくんねぇかなぁ・・・」と酒の酔いも苦しくなったときはネガティブな負の感情や憎悪が芽生え始める。

持たざる者や身分の低い者には最初から居場所が無いのだ。

 

とにかくゆとりは負け組に落ちぶれる奴と勝ち組になる奴の差があまりにも大きい。

プロフェッショナルの流儀という某国営放送の番組のテーマソングに「僕らは横一列になってスタートを切った」という歌詞が出てくるがあんなもの大嘘だ。

横一列ですらない、最初からスタートラインが違う。

まだ学校の徒競走はマシだ、一応横一列でスタートできるからな。

だけど人生という徒競走はもはやそれぞれの走るスピードに差がある上にスタートラインまで違う。そんなん勝てるわけねぇだろ、ただでさえ足の遅い人間がスタートラインまで後方ならもう絶対に追い付けない。

「世界に一つだけの花」は花屋の店先に並んだ花はそれぞれ違うけど全部綺麗だと歌っているが、それも大嘘だ。まず花屋に並ぶだけですでに選別されたエリートで、その前に切り捨てられた有象無象の醜い花が存在するのだ。

自分はそうやって並べる価値も無く、不必要でいらないと切り捨てられた存在なのだろう。

 

ゆとり教育の実態というのはそういうものだ。

元々出自が良い上級国民や持つ者は徹底的に有利だが、生まれた場所と環境や生まれ持った才能が悪ければ徹底的に落ちぶれてひねくれ者が出来上がる。

華やかに活躍できる人間と、本当に不幸な結末にしかならない最底辺の無能がいる。自分は後者だったんだなぁという現実を今噛みしめている。

大口径の拳銃があれば酒を酔いつぶれるほど飲んだ後口に突き刺して発射したい、そんなことしか考えない夜がある。

 

自業自得な部分もある、本当は周りに感謝しなければならないことも多い。

それでもいろんな物事への憎悪の感情が募る、そしてそれ以上に自分が憎い。

なんでこんな最底辺の人間になっちゃったんだろうなぁ、と思う日々だ。

それでもこの時一国の宰相に上り詰めるだろうという不思議な確信があった。

 

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