可処分所得と自由時間をもっと増やすべき
現代人が欲しい物といえば「お金」と「時間」だろう。いや、これは有史以来人間の伝統かもしれない。
お金と時間があればできることは多いのにそれを諦めているという人が世の中には多い。
そしてこの「可処分所得」と「個人の自由時間」の少なさが世の中の文化を劣化させ、経済を停滞させているともいえる。
例えば最近の若者はスマホでソシャゲばかりするようになり、かつてのようにテレビゲームをしなくなった。結局どこでも無料でできるという利点は最高に面白いゲームに勝るのだ。
PCゲーマーやテレビゲーマーが「ソシャゲばかりする」という人を批判しており、自分自身もその一人だが、今の時代ゲーミングPCや据え置き機とテレビなどを揃えることは非常に難しくなっているため仕方ないともいえる。
スマホ版FPSも、Cゲーマーからすると稚拙に見えてやる気が起こらないが、スマホ版FPSをやっている人も家でじっくり高級ゲーミングPCで最先端のFPSができる時間と環境があればPCでゲームをしているかもしれない。
それで言えば「腕時計を買わなくなった」という批判や「車を買わなくなった」という批判にも同じことが当てはめる。
「外に出かけよう!」というスタンスで未知の世界をアピールする車のCMがあるが、今時の若者はそういう暑苦しいCMには惹かれないだろう。
「車は熱い!」ということを言われたところでどうせ買えないし、趣味で乗る時間もないから若者はあきらめているのだ。
確かに車がステータスで誰もが憧れていた時代のほうが華やかである事は間違いないが、そこに現実性が打ち勝ってしまう。
「1か月賢明にバイトすれば車が買えた」というバブル時代の話を聞いたところで、今時の若者に響かないのは仕方がない。
ソシャゲの課金が精いっぱいの趣味で、他に華やかな趣味もない、そんな今時の若者やゆとり世代が批判されるがなりたくてそうなっているわけではないというのあ本音だろう。
「若者文化が劣化した」というのはむしろ当の若年層が一番自覚しているかもしれないし、そこにはどうしようもない構造の問題がある。
端的に言えば時間もお金も無く、出費だけは無駄に多く、かといって真面目に頑張っても報われないので頑張ろうと思えないという人が急増している。
そのため世の中を良くしようと思えば可処分所得と個人の自由時間を増やしていく方向にシフトしていくしかない。
若者に限ったことではないかもしれないが、仕事はキツイのに収入は増えていかないという問題を社会人の多くが抱えている。
更に日本全体としても上向いていく見込みに可能性を感じられず希望を失っているし、個人の努力ではどうしようもない部分がある。
昔は忙しかったかもしれないが収入は増えていく感覚があった。どうせ収入がそれほど増えないしもらえないのであれば、せめて休ませてくれというのが現代人の感覚だ。
そんな世代が日常アニメやSNSにただ"癒し"だけを求めるのは必然と言えば必然だろう。2クールもあるような長大なアニメを見て長々と考察している暇も体力もないのだ。
車や旅行といったかつてのリア充趣味も、ゲームやアニメといったオタク趣味も等しく劣化していくことはもはや避けられない。
なぜならば時間とお金がないからだ。
理想は可処分所得と個人の自由時間の両方を増やすことだろう。
これが多くの社会人の生活で実現できれば世の中は活気を取り戻す。
しかし現実的にはどちらかを選ぶ方向になる。
つまり「労働時間や実質的な拘束時間は変わらないが給料は増えるor必要な出費が減る」か「可処分所得は変化がない代わりに労働時間や実質拘束時間は減り自由時間は増える」ということを実現するしかない。
例えば前者の方向、つまり可処分所得を増やす路線で行くならば「若者手当」や「家賃手当」のようなものを導入すれば実現できる。
明らかに貰い過ぎている高齢者層への年金を減額して、若年層に富の再分配を行うだけでも助かる人は多いだろう。更に家賃収入に対してもっと税金をかけるか寄生する貸して、家計における家賃への負担を減らすことも具体案としては必要だろう。
今の時代家賃の為だけに働いているような、何のために生きているかわからないような人が存在する。
家賃収入という既得利権を持ってる人だけが潤う状態をやめさせて、例えば少子化対策として家族連れは手当で優遇するというやり方でもいい。
数年前自分がワンルームマンションに住んでいた時、独身者用の賃貸だったにもかかわらず、一人ですら狭いと感じるようなワンルームにすし詰めのように子連れが身を寄せ合って住んでいるのを見たことがある。
そう言う姿を見るとあまりにも家賃という物が負担になりすぎている現代の状況は変えていく必要があるだろう。
そこまで単純な話ではないが、収入の中で家賃に消えていたものが自由に使えるようになれば消費経済は活況とするのではないか。
次に後者の場合、収入は変わらないが自由時間は増やすという方策だ。
例えば有給や育児休暇を取ることは当然の権利だとして徹底させることや、サービス残業の廃止が具体案の一つだろう。
「会社の同調圧力に負けて有給消化できませんでした」という話を聞くが、外国人が聞いたら「日本って本当に先進国なの?」と驚くだろう。
サービス残業や定時に帰れないことについては、日本にいる外国人は例外なく批判している。
例えば町が綺麗だとか民度が高くて親切だとかそういう表面的な先進国要素を誇りにするだけでなく、こういった後進国的な要素から目をそむけてはいけないのではないだろうか。
先輩や上司を気遣って仕事を先に帰れないというのは、太古の部族が族長を崇拝するような文化と本質的には変わらない。
実質的な時給に換算した場合アルバイトと変わらないような正社員も存在し、サービス残業で手伝わないことがアスペルガー扱いされるような国が日本なのだ。
労働とその対価に対してシビアになるべきであり、個人の自由時間の保障と実質的な拘束時間に対する認識はもっと考え直していかなければならないはずだ。
しっかりとしたホワイト企業ならば定時に帰らず、残業すればむしろ通常よりも多い給料がもらえるようになっているが実際問題としてそういう企業は少ない。
先進国基準で見ればブラック企業だが、日本では普通だとされているケースも多い。
未だに現金社会であったり労働文化や上下関係の文化が時代遅れなところを見ると、日本人は表面的な"先進国"という称号に満足し改善を怠ってきたと言わざるを得ない。
例えば「日本の水道水は美味しい」という海外の反応を見て喜ぶのではなく、日本人が後進国だと思っている中国人がサービス残業や現金社会を疑問視しているという実態も知るべきだ。
シンガポールは一人あたりのGDPも日本より多く、実質的に日本より確実に先進国だと言えるが未だに「アジアで唯一の先進国」という肩書に満足しているように思える。
そしてそういう論理的な批判をしている人に対して「嫌なら出ていけ」で済ましてしまうことで自分たちの首を更に締めている。
他の先進国が休むことを奨励したり義務付けているときに「もっと働いて苦労するべき、苦労すれば真実が見えてくる」という美徳がいまだに根強い。
「今年の休日の少なさに絶望した」と数年前ぐらいに言われていたが祝日が土日と重なれば出勤や通学となり、本来祝日だった日数が考慮されなくないというのも非合理的な考え方だ。
祝日が土日と重なることで、親も子も家族の時間が実質的に削られているのだ。先進国ならばそういった家族の時間を非常に大切にする考え方が根強いが、どうやら日本は少し事情が異なる。
祝日はむしろ今の倍にするべきで、月に一回は絶対に三連休があるというシステムも必要だろう。
受験などでも「皆勤賞だった人が内申点で優遇される」という風習があるが、風邪をひいている人が内申点のためにわざわざ学校に行かなければならないというのもおかしいはずだ。
休むことはそんなに悪で、とにかく通勤や通学を最大限に頑張ることが美徳という価値観に疑問が必要な時期に来た。
バカンスとまでは行かなくとも、もう少し長期休暇が増えても良いだろう。
なぜ大人になれば夏休みが無くなるのか。
フランスでは7月と8月のどちらにバカンスを取るか選べるようになっており、選んだ月によって呼ばれ方が違う文化がある。
社会人=懲役40年と揶揄されるが、もっと休暇を増やしても良いように思う。
かつての日本は西洋に進んだ考え方があればそれを導入して発展してきたが、今では日本の考え方が一番素晴らしいとして改善をしなくなっている。
これらの案は自分が素人アイデアで考えていることに過ぎないが、とにかく最低限「可処分所得」か「個人の自由時間」のどちらかを増やさなければならないのは事実だろう。
最近の若者の文化や価値観は劣化しているというが、そのどちらもないところに遠因があるともいえる。
使えるお金が増えれば「車も持たずソシャゲに少しだけ課金する質素な娯楽」も変わっていくし、自由時間が増えればその中からスキルアップをする人や新しいことをする人も出てくるかもしれない。
理想はどちらも増やすことだが時間かお金のどちらかだけでも増やせればだいぶ助かるという人は多いはずだ。
そしてそういう欲をもっと持って良いし言ってもいい、むしろそうしなければ世の中は変わらない。
そういう個人の意見を一人一人が抑えるべきではないのかなと自分は思う。