負け組ゆとりの語り場

社会に取り残された男が日々を語る

日本で極右ファシズム独裁の実現は可能か考察

独裁者と言えば浮かべるイメージとしてナチスドイツとアドルフ・ヒトラー総統の典型的なイメージがある。

そして対極的な社会主義政党による一党独裁、つまりヨシフ・スターリンのような実例があり独裁と言えば極右か極左のどちらかになることが近現代史においては多い。

 

20世紀という時代を総括するのであれば共産主義と全体主義による独裁、そして民主主義というおおまかな3つの政治制度により歴史が形成されてきた。

帝国主義とそれを打倒する闘争、そしてかつて植民地だった国ではポスト・コロニアリズム、先進国ではポスト・モダンへの希求が論争されてきて現代に至る。

 

更に日本に置いては新興宗教が台頭し、現在では欧米において回教過激派もその勢力を伸ばしつつある。

その日本に置いては連合赤軍や学生運動、共産主義過激派による運動が敗北し勢力を失っていくことになり現在では過激派という言葉すら歴史上の出来事だ。

そして一時、過激派の運動は80年代の好景気とバブル景気により徐々に衰退していくが、90年代にオウム真理教が台頭し始め例の化学テロを実行することになる。

 

自分はこの60年代から70年代にかけての出来事と、80年代後半から90年代前半の出来事について考察する場合「左派と宗教の敗北」だと考察している。

より端的に言うのであればこの国でもはや左翼と宗教に勝ち目はない。

彼らがやったことと言えば政権の獲得を民主主義的手法によって諦め、テロに走り公安から逃げ回っただけだった。政権掌握以前にその転覆すら不可能で、公安組織から逃げ回り自衛隊といった実質的な軍事組織が出る幕もなかった。

 

それは必然だ、所詮連合赤軍が強奪した猟銃ではフルオートのサブマシンガンMP5やPSG1のようなドイツ製最新自動狙撃銃を配備した国家組織に敗北して当たり前なのだ。彼らの中にそういった最低限の軍事理論を身に着けている人材すら存在しなかったのだ。当時はまだMP5やPSG1は配備されていなかったが64式小銃と61式戦車は自衛隊に配備されていたため暴力革命での勝利は不可能だったことは間違いない。

 

それから一歩進みロシアから旧式の戦闘ヘリを密輸し自動狙撃銃を密造し、毒ガスであるサリンの製造をもくろんだオウム真理教は宗教テロ組織としては画期的だった。

しかし彼らも公安からの捜査を回避するためにサリンを手放し、わずかに残った未完成の毒ガスを地下鉄で散布することが限度だった。戦闘ヘリや戦闘車両を保有し、連日戦闘訓練を積む大規模組織、すなわち自衛隊にはたどり着くことすらなく所詮公安組織に鎮圧されるレベルでしかなかった。

 

こういった反体制地下組織はどうあがいても巨大な権力に打ち勝つことはできない。

まるで旧日本軍が国民総動員で武器を疲弊しながら製造していた時期に週刊空母を大量に実戦配備して来たことと同じだ。皮肉にも彼らはかつて批判していた戦前右派と同じ過ちを犯したのだ。

基本的に強い物には勝てない、テロですら弾圧される。

 

日本では逆らっていけない物が二つある。

それは天皇陛下とアメリカだ。

論理的に考えてこの二つには絶対に勝ち目がない。天皇制を敵視するという事は日本民族そのものを敵視することであり、本当の革命や政変を長期的に実現することはできない。

藤原道長、足利義満、織田信長ですら不可能だったのが帝、つまり天皇の打倒だ。第二次世界大戦における敗戦にも負けず存続した天皇制の日本人に対する希求性は論理を超えており、自分自身むしろ天皇統帥権を実現しようとしているほどだ。

 

また戦後のアメリカによる実質的な半植民地支配による戦後の体制についても打倒はできない。

どれけ反乱を起こしたとしても在日米軍に要請されれば確実にその反体制勢力は崩壊する。

 

結局のところインテリ層や知的階級が打倒できると思っていた天皇制アメリカ合衆国には勝てなかったというのが戦国日本史だ。平成においてもシールズによる擬似的な反安保闘争が起きたが、その直後与党は圧勝した。

基本的に日本で左派と宗教が政治的勝利を得ることはもうありえないだろう。最盛期の学生運動やオウム真理教ですら事実上ただ公安に追われることが精いっぱいだった。その先にある自衛隊やアメリカなど遠い夢でしかなかった。

 

革命や政変と言えば「左派」というイメージが存在するが実はそうではない。

近現代史を遡れば右派が革命により政権を掌握したり維持したケースは多い。

1:ナチス・ドイツの政権掌握

2:イラン・イスラム革命

3:朴正煕による軍事クーデーター

4:フランシスコ・フランコによる独裁政権の維持

 

アドルフ・ヒトラー率いる国家社会主義ドイツ労働者党はいわゆる左翼による革命ではなく、むしろドイツ帝国以来の保守層を支持母体にしていた。ロシア革命やキューバ革命と違う部分で言えば、きわめて民主的な手法により政権を獲得し、かつての軍部や官僚の支持を得られたことで政権獲得後も政権運営が可能だった。

実はドイツは近代国家として一定の水準で確立されており、暴力革命によってナチスは政権を獲得したわけではない。そのため革命というよりも政変という言葉が相応しい。

一定の文明水準に達した国は民主的手段に打って出る必要があるという事の証左であり、戦前に日本も実は北朝鮮のような一党独裁の国ではなく長い民主主義運動の歴史があった。

 

次にイラン・イスラム革命だが、これは近年まれに見る保守革命の具体例の一つだ。

日本でよく「ホメイニ師」として知られる宗教指導者により大胆な保守回帰路線が実行されたのがイラン革命だ。

元々イランはアメリカや西側の路線に近い資本主義的な国家だったが、今では世界屈指の反米国家でありイスラム国家として存在地位を築いている。

日本で例えるならば大日本帝国の復活や、平安朝時代の文化の再現に成功した事例と言えるだろう。

 

次に朴正煕による軍事クーデーターだが、「パク・チョンヒ」と読むのか「ぼくせいき」とよむのかで世代が分かれる。いずれにせよ時代としては北朝鮮初代国家主席金日成と対峙した冷戦直下の時期であり開発独裁と反共産主義を掲げ「西側の独裁者」としては代表格的な存在だ。

アメリカ合衆国という国は民主主義を押し通すように見えて実は自分たちの利益になる国や対立構造の中で利用できる国に対してはある程度、独裁を容認する傾向がある。

かつて最貧国だった大韓民国を「漢江の奇跡」によって新興国にまで押し上げたことは軍事独裁による強硬政策による功績だ。現在でも朴正煕政権に関して韓国では評価が分かれている。いわゆるファシスト的な要素があったことも事実であり長期的な軍事独裁を敷いた。

「アメリカに支援された東アジアの独裁者」という意味では最も朴正煕が近い例だろう。

 

最後にスペインのフランシスコ・フランコだが、この国は米ソ東西冷戦の真っただ中で翻弄された国の一つだろう。つまり元々フランコはアドルフ・ヒトラーやベニート・ムッソリーニと近しい存在であり、ファシスト陣営の一人だったが第二次世界大戦に参戦しなかったことにより"特例"ともいえる形で許された。

米ソ冷戦終結までアメリカに支援されたスペインは一定の繁栄を謳歌したのは事実だ。

更にフランシスコ・フランコはスペインの王室制度とも対立せず、フアン・カルロス1世を自身の後継者に指名したほどだ。

つまり「西側でありながら王朝と対立せず政権を維持した独裁者」という意味でフランシスコ・フランコは歴史において類稀なるケースだと言える。

 

仮に日本で何らかの革命や政変を実現しようとするのであれば連合赤軍やSEALDsの敗北のように左派による革命は狙えない。

宗教も実質的に不可能であり現在において公安は監視を厳しくしており、テロリズムに走れば数回何らかの行動をすることが限度だろう。左派と宗教では戦後日本の打倒は不可能だと二つの組織が証明している。

 

もし何らかの革命や政変を日本で起こすのであればこれはもはや右派によってでしか実行できない上に、実際右派による政権運営は可能だと現代の政治が証明している。

現在でもわずかに過激派新興宗教の支持者や極左が残存しているが彼らを右派の路線に転向させることができれば政変の実現には近づく。つまり極左や過激派宗教組織の中に存在するインテリ層や科学技術者等に右派への転向を迫ることがまず第一歩となる。

 

つまり「未来永劫左翼や宗教組織をやっていても永遠に勝てない」ということをどう彼らに気付かせられるかだ。なんとなく既存の勢力に反抗していれば楽しい人生で終わるのか、本気で政権を掌握するかだ。

そもそも日本の左派のレベルが低いということにうんざりしている極左も多く、彼らのようなインテリ層が真の革命や政変の右派に転向することが合理的だという事に気付くかどうかだろう。

公安から隠れながらサリンを製造するのではなく、むしろ保護された国家組織の一員としてより強大なものを作るか。つまり歴史上の勢力が開発した毒ガスや自動小銃をただ秘密裏に製造しそれですら不完全で終わるだけで終わるのか、サリンやAK74を開発したナチスやソビエト側になるのか。

 

更に現在において既存の右派勢力のレベルが向上することが求められる。

現在の右派はかつての三島由紀夫のような知的文化人を欠いており、いたずらに近隣諸国を稚拙な言葉で批判するレベルに終始している。

日本衰退の現実から目を背け「日本の街は綺麗ですね、水道水が美味しいですね」という外国人観光客の言葉に一喜一憂することしか今は日本人が誇りにするものが無くなっている。

 

左派のレベル低下も深刻だが、そこに安心し右派のレベルの低下から目を背けてもいけない。

仮に右派による革命や政変をより高度な段階で実現するならば、まずは日本左派勢力や宗教勢力からの転向、および既存保守勢力のレベル向上が求められるだろう。