負け組ゆとりの語り場

社会に取り残された男が日々を語る

ネットでも言いたいことが言えないこんな世の中じゃ・・・・

最近のネットがなぜここまで面白くないかというと、「言いたいことが言えない世の中」になったからだとしか言いようがない。

もう既にインターネットは自由だという風潮は消え去り、徐々に現実の延長線にあるものとして確立され始めてきている。

 

アンダーグランドだったインターネットが世の中誰もが利用するものになり、大衆の基本ツールとなったことによりそこにメディアや社会が形成された。

かつて「リアルでは言えないことが言えるネット」だった時代から、むしろ「ネットでは言えないことが言えるリアル」になってきている。

おそらく今の時代「本当に濃い人間」を探そうとすればむしろネットには存在せず、リアルの現実にいる時代になっている。

アングラバーや詩や絵の品評会、改造車の集会、何気ない下町の居酒屋や喫茶店の方が面白みや人間味のある人は存在する。

 

かつて濃い人の集まりだったコミュニティサイトも今ではいいね!で承認し合う簡易的な擬似コミュニケーションの時代になっており、インターネット上の匿名掲示板もなんJに代表されるように定型文で空気を読み合う場所になっている。

表面的に「いつも見ています」というボタンを押しあうか、自分達だけで通用する定型文で浅い会話を楽しむしかない時代になっている。

今の時代インターネット上ですら「本気で語り合うことは寒い」という時代になってきている。

 

ちょっとした冗談ですらそれが法に触れればネットでも同じように処罰され、何気ない自慢ですら今ではバカッターとして炎上してしまう。

かつて既存の制度にとらわれないユートピアだったはずのネットが、管理と監視がどこよりも行き届いたディストピア社会になっている。

リアルの会話では録音や撮影をされていない限り曖昧にできる会話でも、インターネット上ではログに残ってしまうためもはや安易な発言ができない。誰もが次に叩けるターゲットを今か今かと待ち構えている。

 

ネットが新しいものをしようという時代から「何か悪いことをしている人間を叩いて謝罪させる」という時代になっている。

出るい杭を打つという表現があるが、まさにネットがその象徴になっている。

 

リアルや現実にあぶれた人間が集まっていた時代から、誰もが使う物になり逆に一般化、平均化、均質化した。

漠然とインターネットは多様化を生み出し新しい発想を創り出す土壌になるのかと思いきや、結局最適解の一つにまとまった。新しいタイプの個人より、浅い人間を量産しただけに過ぎなかった。

 

結局のところ会員制クラブを無料にしたら面白いくない人間が集まるのと同じ理屈で、もはやネットというのは普通の人間が普通に利用する場所になった。

いいね!に代表されるように表面的で形式的なコミュニケーションが重視されるようになり、匿名の場所ですらカジュアルな定型文が増えた。

 

人間という生物が「挨拶」という簡易コミュニケーションを開発したように、ネットでもいいね!というアイサツが台頭し始めた。

濃い会話や深い議論になど興味が無く、それで認証し合った気分になるし、その数が多ければ独りじゃないような気がしてくる。

 

その上ネットの規制も厳しくなり、何か悪いことをすればすぐさま足を引っ張るような集団に叩かれる。そういう社会では誰もが無難な事しかしなくなりつまらなくなるのは必然だ。

もはやネットですらリアルと同じように言いたいことも言えない空気を読むことに特化した個人や風見鶏気質の傍観者が増えているのが現実だ。

逆に言えば「リアルではないノリ」であるがゆえに仲間意識をもって話せたという背景も存在する。

 

昔の2ちゃんねるなら「おまえとはいい酒が飲めそうだ」という慣用句が存在したがが、それが今は「そういうノリ寒くね、所詮ネットだろ」と誰もが冷めている。

 

誰もがネットは所詮他人でしかなく、その上監視されている場所だという意識が強くなったことによりかつてのような温もりや人情を失ってしまった。

その結果無数の傍観者と浅い人間を量産してしまい、ネットがつまらなくなったとある程度ネットに慣れた層は感じているのかもしれない。

 

「誰も見ていないから本音で語れる」とか「ネットをしている奴らはヤバイ」という認識から、誰もが見ている場所になり悪いことを言えば叩かれる時代になった。

本音で語らない人間が悪いというよりも、本音で語る人間を冷めた目で見る傍観者やそれを監視する権力者と彼らに協力する人間が悪い。

 

典型的な「足を引っ張りたがる指摘者」が今のネットには急増し、そちらにいる方が個人としては安全なのだ。

もはやネットですら言いたいことが言えない、そんなディストピア社会が到来されてしまえばどこに"本音"は存在するのだろうか。

インターネットは有象無象の量産型人間を大量生産するだけのツールになろうとしている。

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