負け組ゆとりの語り場

社会に取り残された男が日々を語る

お酒を飲むと面白い夢が見れる

夢というと睡眠中に見るものと初来の夢というように志や目標の2つの意味がある。

今回の場合前者を意味するが、「睡眠中に見る夢」について自分は特別な思い入れがある。

 

自分は現実が楽しくないから夢や妄想が楽しいと思っている人間だ。

「いい夢を見れたらその日は楽しい」という人は多いが、もはや夢が一番楽しい物になっている自分がいる。

 

凄く変な夢を見たり独自の世界を見たり、意味が分からない物が多いが、比較的自分は夢の内容を覚えているタイプだ。

よく「夢日記をつけると人格が破綻する」とか「ニートや引きこもりの夢には過去の人物が芸能人がでてくる」と言われるのだが、まさに自分はその境地に達している。

懐古の夢ばかりみたり、自分の知っている芸能人やスポーツ選手ばかりで、自分の夢に現実は誰もかかわってこない。どこか懐かしいがそれが何かわからない、そんな世界観に入り浸っている。

 

正直に言えば今の自分はニートと引きこもり状態であり、もはや現実において誰かと知り合うことが無く人間関係は矮小な領域に定められている。

ニート初期のころは積極的に外出しようとしていたが、最近では様々なことが億劫になるもはや誰とも話さない1日が当たり前になり、せいぜいコンビニか地元の商店にお酒を買いに行くことぐらいしか外出の機会が無い。

 

非常に些細な事なのだがコンタクトレンズをどこかで紛失して以降、生活リズムが変わり、そういう小さなことが意外と日常に影響を与える。

別に外が怖いというわけではなく、お金があれば積極的に外出し様々な人々と話したいアウトドア派なのだが世の中余りにもお金がかかることが多すぎる上に、希望を感じなくなるとあらゆることが億劫になってしまう。

 

「バリバリ働いて、いろんなこと楽しみます」という体力がある人は現代の社会情勢において希少になりつつあり最低限に済まそうとする人が増えてきている。インターネットをみれば大概のことが揃う時代になり、電話しか外部との通信手段がなかった時代とは違う。

 

しかしそのインターネットにも拠り所が無くなり、もはや最近の自分は妄想か夢か読書しか楽しみが無いという極めて闇の深い状態になっている。

あらゆることがつまらなくなった結果、「夢って最強じゃね?」という境地に行き着いた。

 

基本的に自分は深酒し寝付くことが日常的な生活リズムであり、次の日起きても気分が悪ければ何時間も寝ているという腐敗した生活を送っている。

そういう生活において何が起こるかかというと「情報の習得が限られるため過去の情報で補おうとする」という現象が脳内で起こり始めるのだ。

・基本的に誰とも出会わない

・いつまで寝ていられる

・過去に見た夢が新しい夢を補完する

・アルコールが脳機能に強い作用を果たす

・夢しか楽しみがなくなる

これらの要因が重なり独自の世界を形成し始めるのがニートでアルコール中毒者の脳内構造だ。

 

変な表現かもしれないが非常「濃い」夢は見れる状態になる。深酒の中悪酔いして寝たり寝なかったりして、レム睡眠状態になりやすい。

つまり完全に睡眠しきってはいないため、明瞭に物事を考えている状態と脳を休ませている状態の中間状態が頻発的に発生する。

「実はただ妄想しているだけだが夢だと認識している状態」も発生し、非常に曖昧な空間を行き来するがゆえにリアルに近い物や、そのリアリティに少しだけ睡眠状態の要素が加わった空間が発生することが多い。

 

更にお酒を飲んで脳感覚が麻痺していたり異常が発生しているがゆえに独特なイメージや、封印していた潜在的な空間をイメージすることになる。

かつて大塚愛が『ユメクイ』で「僕は今夢旅の中 あの星の島までも飛んで行ける」と歌っていたが、壮大な世界を夢見ているのだ。

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よく明晰夢やVR、仮想空間という言葉が使われるが人間の脳機能というのは実はまだ解明されていない程にポテンシャルを秘めている。

「人間の脳は実は10分の1しか日常で使われてはいない」というが、自分は夢で見た空間の凄さを考えると逆に起床しているときに考えることのレベルの低さに愕然とする。

起きているときはある意味で意志と常識、そして習慣で考えている部分が存在し、逆に睡眠中はそのような慣習にとらわれず脳機能を完全に活用しようとしている。

 

より端的に表現するのであれば夢はもっと自由に考えているとも言える。本当に考えていたい事や求めていることは夢に現れるというのはフロイトが分析していることであり、潜在意識のようなものが夢想空間には出現する。

アニメや漫画で「夢オチ」というパターンがあるが、現実の夢ではそこまで明瞭で論理的なストーリーは構成されにくい。

 

それゆえに混沌とした状況も発生しやすく、常識では考えられないようなイメージが何らかのインスピレーションになることもある。

 

夢で見た空間を芸術のヒントにするというのは芸術家全般に見られることであり、「枕の近くにメモ用のノートを置いている」というアーティストは多く、これは科学者についても言える。

湯川秀樹が中間子の存在を天井の模様でひらめいたということを語っていたような曖昧な記憶があるが、要するに寝ているか寝ていないかのような曖昧な時間帯にはアイデアの着想を得やすい。

 

自分がこうして深酒をしているのはある意味で「脳機能を破壊したほうが面白い」と考えているからでもある。つまりお酒を飲むことであえて脳機能を滅茶苦茶なカオス状態にして、そこから何かを生み出せないかという考えだ。

極端に理想主義者現実主義者の人間はこういった酔いしれるのではないだろうか。文系に置いては芸術を希求するもの、そして科学においては真理を希求する物、その双方が最終的には理想や美学に行き着く。

文系も理系も、本当に達観した人間は美や幻想しか求めなくなる。心理は何かと考えすぎた同じ結論に別のベクトルから辿り着く。

 

常識にとらわれたくないという漠然とした思いがあり、いわゆる「素面」状態の時の自分はありきたりな事しか考えられない。

アルコールというのは脳機能を麻痺させ快楽に導く一方で、ふさぎ込んでいたものを解放させる作用があるのではないだろうか。そしてそこに夢という別の空間が加わることでその相乗効果はミックスされる。

 

何も高尚な考えではなく「お酒飲んだ時面白い夢を見た」という日常にありがちな話であり、「それって本来人間が封印していた衝動や、まだ発揮されていない脳機能なんじゃないかな」というのが自分の疑問だ。

 

お酒を飲んだ後面白い夢を見れる理由は何なのか、これは一種の幻覚症状なのか、それとも潜在意識や脳機能におけるポテンシャルの発露なのか、そういった研究に興味を抱く自分がいる。

 

人間は想像で何かを補う生き物であり、それによって革新を成し遂げてきた。

もしかしたら「夢」に人類の進歩の可能性はあるのかもしれない。

ということで、自分は今晩もまた人類の偉大なる進歩のためにお酒を飲んで夢を見ることにする。

誰にも似てない夢の背中を追いかけて追いかけていく。

後先なんて今は知らない、退屈な時間よりもドラマティック手に入れるまで。