負け組ゆとりの語り場

社会に取り残された男が日々を語る

「サバゲーマー」って民度高くなったよな

無法者や荒くれ者だった人々が徐々に大人しくなっていくという事例は様々な場所で起きている。

その時代を美化するわけではないのだが、少し寂しく感じる自分もいる。

 

その意味ではまさにサバイバルゲームエアガンの愛好家は今では民度が高く、マナーが良い人が増えた。

イケメンのアイドルが「グループのメンバーとオフの時サバゲーするんですよ」と言っても何の問題も無くなり、サバゲー雑誌にすらイケメンが登場するようになった。昔のエアガン雑誌は美人が仕事でミリタリー衣装を着ていることが多かったが、今は彼女らまで本当にサバイバルゲームを愛好している。

 

非常に驚いたのが男性アイドル誌を読んでいて、イケメン俳優がサバゲーをしているというページを見つけたことである。男性アイドル誌というのは当然ながら女性の読者が多いが、そのような雑誌に軍服を着てエアガンを持っている男性俳優が登場することは昔では考えられなかった。

 

今のサバゲー界やエアガン業界を見ていて思うのだが、「良いイメージ」を打ち出そうとしているように見える。実際世間からの印象が悪く、威力規制が行われるなど負の側面があったためイメージの向上は必要不可欠だった。

 

しかし古来からのエアガンファンとしてはエアガンを無理に爽やかなものにしようとすることに違和感があるのも事実だ。

変な表現かもしれないが「危険な趣味」としてエアガンに惹かれていた自分がおり、暴走族や走り屋と呼ばれた人たちも、乗り物で暴れ回ることがクリーンになってしまえば逆に興味がなくなるのではないか。

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最近暴走族が珍走団と言い換えられ激減しているが、イニシャルDの世界のように「若者のヤバイ趣味」だった時代の雰囲気が浄化されたり逆にダサいイメージになってしまえば衰退してしまうだろう。

それはもちろん非常に良い事であり、暴走族の騒音に悩まされることも無ければ、エアガンマニアが公園の電球を割ることもなくなった。

 

エアガンを買ったときに「危ないことに使ってはいけない」という例で公園の電球を割ってはいけないと書かれているのだが、正直なところ今日日エアガンで悪さをする人はもういないだろう。

エアガンファンやサバゲーマーも極めて紳士的になっており、これはバイクに乗っている人がマナーの良いダンディなおじさんばかりになったことと似ている。

 

自分は小学生のころからエアガンファンだったのだが、「サバゲーマーって怖い先輩多いんだろうな」と漠然と感じていた。威力の高いエアガンを子供が隠れて買うという昂揚感を楽しんでいたのは事実であり、逆にいざ成人してしまえばかつてほどエアソフトガンに情熱は無くなっている。

 

「ヤバイ無法者の集まりなんだろうな」と覚悟していたら、意外とスタイリッシュな趣味になり市民権を得てしまい、かつてのような雰囲気は無くなってしまった。

 

昔サバゲーマーが「俺らは世間から見たら鉄砲のおもちゃ持って軍服来て戦争ごっこしてるヤバイ奴ら」と自称していたが、それが全然普通のことになってしまえば謎のプレミア感は無くなってしまう。

昔のコスプレイヤーというのが本当にアニメが好きな人々の集まりだったが、最近ではチヤホヤされたいだけの女が増えたことと似ておりサバゲーマーも普通の人たちの集まりになった。

もしかしたら自分の勝手な妄想だったのかもしれない、中学時代に思い描いていたサバゲーマー幻想というのは勝手に作り上げた存在しないイメージだったのだろうか。

 

おそらく今の10代のエアガンファンはルールを守ってしっかり10歳以上用エアガンを買っている人が多いはずだ。

なぜなら「俺中学生だけど18歳以上用エアガン持ってます」とSNSに書けばそれは炎上してしまうのだ。

 

逆に自分がリア厨だったころのエアガンコミュニティは誰もそんなルールを守らず当たり前のようにR18のエアガンをアピールしていた。

今それをすれば"大人達"に注意されてしまうだろう。

世の中から寛容の精神が無くなり、悪いことをしている子供たちを許せなくなっている。

 

最近の不良は窓ガラスを割らない、最近の子供たちはいたずらをしない。

それと同じでもう中学生や高校生が大人用のエアガンを隠れて買う事も無くなっている。

「俺18歳以上用エアガンなんてガンガンネット通販や地域の店で買ってたからね」という個人的な体験を語ればガチで炎上してしまうリスクさえある。

 

今の時代エアガンの規制は本当に厳しくなっており、「準空気銃」として規定されるようになっている。

非常に残念なことなのだが威力規制が厳格になり、もはや現在スナイパーライフル型のエアガンやスナイパーには浪漫以外の価値が無くなってきている。

昔のサバゲー界というのは「スナイパーだけは少し威力をオーバーしていて良い」というローカルルールがあったのだが現在はどのエアガンも1ジュールを超えてはいけないとなっている。

 

デジコンのターゲットという伝説的なガスガンがあり、これは強い物では3ジュールの威力がありベアリング弾ですら発射することができた。自分はそのデジコンに憧れを抱いており「大人になったら買う」と決めていたが、結局威力規制によってネット通販サイトからも消えてしまったため、結局一度も手にしたことが無い。

 

ヤバい物がネット通販から消え去り、最近ではメルカリへの怪しい出品も厳格に取り締まられるようになっている。

間違いなく良い事ではあるのだが「グレーゾーン」が徐々にネットから絶滅していることの寂しさも感じる。

「リアルでできないことができる」というのはもはや過去形であり、インターネット上も現実と同じようなモラルが求められるようになっている。

 

アブトマット、ムカミ・カマウ、バイオハザーダーの3人が誰だか知っている人がいたら相当なエアガンファンだろう。彼らの行方をもはや知る由は無いが一般市民として普通に生きているのではないか。

 

失われていくネットの光景、整備され浄化されていく世界、悪いことに対して寛容ではない監視社会が形成されつつある。

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エアガンファンやサバゲーマーのモラルが向上しファンが増えて偏見で見られることは無くなったが、差別されていた頃が懐かしいという謎の感情もある。

「黒人の人権が保障されるようになったら逆につまらなくなったよなぁ、エミネムみたいな白人がラップやり始めたら面白くないよなぁ」と言ってるアフリカ系アメリカ人のように「サバゲーをスポーツ扱いしてくれるようになったけど、逆にちょっと寂しいよなぁ」と考えているコアなサバゲーマーがいるのではないだろうか。

 

その辺の山に勝手に入ってBB弾飛ばしまくって荒らしていたら、今ではバイオ弾を誰もが当たり前に使い環境に配慮するようになったし、ちゃんと許可を取った場所で健全にサバイバルゲームをするようになった。

 

小学生が「銃撃戦しようぜ」といってゴーグルもつけずにサバゲーごっこをして、18歳以上用使ってる奴がチートだった時代はもう戻ってこない。

内戦地帯の子供がいつか「俺実銃で紛争に狩り出されてたんだよなぁ」と懐かしむことがあるならば「俺の地域では銃撃戦日常茶飯事だったからね」という言葉は都会の子供には通用しないのだろう。彼らはオーバーウォッチで済ましてしまい、そのゲームをしている子供ですらクラスではヤバイ奴なのだ。

 

「田舎のヤンキーは未だに窓ガラスを割っている」というノリかもしれないが、「田舎のキッズは地域のお祭りで勝った中国製エアガンで撃ち合っていた」という光景があった。

地域の祭りでエアガンを買うことが一つのイベントだったり、ネット通販で威力の高いエアガンを親にばれないように買っていた時代はもう戻ってこない。

子供にエアガン売ってくれたあの町の小さな商店は今は閉店している。

中学生にエアガンを売ってくれたお店はもはやエアガンを取り寄せず最後に売れ残ったガスブローバックガンを引き取るような形で買うしかなかった。

 

趣味として市民権を得ようと頑張っていて、いざ認められるようになると逆につまらなくなる。

普及させて普通の人たちにも触れてもらおうという努力は実はそれほ幸福な未来をもたらさない。

インターネットというツール自体がその典型例であり、誰もがネットを利用するようになればそれは現実の延長線にあるものでしかなくなる。

 

「日常」というものに浸食されない独自の空間を求めていたらいつの間にか日常の一部になり普通の人たちがいる場所になったという事例は多くの場所で見られる。その結果衰退していき結局何も残らない。

 

マニアックなものを無理に普及させれば劣化してしまうというのはこの10年のオタク文化全体の教訓なのかもしれない。

よく京都のお店で「一見さんお断り」という老舗があるが、それは実はその文化を守る意味では最善の策だったのではないか。

京都人はある意味で陰湿だからあの文化を守れているわけで、オタクも陰湿で面倒な人が多かった時代の方が今となっては良かったようにも思う。

変な例えかもしれないが「京都の一見さんお断りのお店すげぇんだろうな」という感覚にも似たものが「サバゲーマーってヤバイ奴らの集まりだったんだろうな」という感情に似ている。

それは幻想なのかもしれないが、その幻想を感じさせる何かはあった。

京都のお店は無理にチェーン店に対抗し明るい物にしようとしてこなかったからむしろその伝統が続いている。

サバゲーマーよ、そしてオタク文化よ、今我々が見習うべきは京都人なのかもしれない。