負け組ゆとりの語り場

社会に取り残された男が日々を語る

通勤って典型的な奴隷の象徴だよな

よくスーツを着て満員電車に同じ時間帯に乗車していく社会人は奴隷だと評される。

ゾロゾロと同じようなリズムで忙しそうに駅に向かい闊歩する姿はまさにシステムの奴隷そのものだ。

 

そして自分自身仕事をし始めてさっそく通勤という行為にストレスを感じるようになっている。自分の場合自動車通勤であり、身内が運転しているため基本的には座っているだけで良いのだがここにもストレスの要因が存在する。

職場が遠いことに加えて途中カーブが多い悪路となっているため、前日に飲みすぎた日は本当に地獄だった。

更に一応数は減らしてくれているものの喫煙者のため、その煙は当然のことながらストレスになる。それに加えて身内の何気ない仕草や癖が下品なため毎日長時間一緒だとこれも疲れる要因になる。

仕事中はそれほど近くで作業をすることは無いのだが、車内だとどうしても距離が近くなってしまいストレスにさらされる。

自分の軽自動車で通勤するという手段もあるが交通費も負担になり、更に自分はまだ運転技術が浅いため結局時間がかかってしまうことに加え、座っているだけで良いというのも楽なため仕方なく現状の方法を選択している。

 

底辺はなるべくして底辺になっていると最近自分はよく考えているが、育ちが悪い人間というのは何気ない行動にその人の人生が現れるようにできている。

身分の低い人間というのは行動も下品であり、上流階級の人というのは何気ない仕草も洗練されていてエレガントなことが多い。

例えば食事のマナーなどは特に育ちが現れる。いい年をして咀嚼音を立てて食べる事や麺を啜る行為に躊躇が無い事などは、それらの行為を一度も注意されることがなかったような人生を歩んできたという証拠でもある。

要するに良いお店で食事をする機会などにそれほど恵まれず、レベルの低い人間同士での食事しかしてこなかったという事だ。食事のマナーというのはその人の人生や社会性などが反映されるのだ。

安い飲食店に行けば底辺の家族連れが躾のされていない動物のような子供を騒がせているが、これも社会性が現れている。

貧民は貧民が集まる場所に自然と寄っていくのである。

 

そして皮肉なことにそういう場所にいき、そういう層と付き合っている自分がまさに底辺なのだ。底辺の場所に行き着いている自分も含めて社会の底辺や身分の低い人間であり、自分の回りの環境や付き合う相手というのは自分のレベルを表している。

 

それで言えばまさに通勤という行為は個人の社会性を反映している。

例えば電車やバスのような公共交通機関を使えば客層の悪いシーンに出くわすことがある。しかし自動車が買えず、安い電車に混む時間帯にわざわざ乗らなければならない自分というのもまたレベルが低いのだ。

まるで奴隷船のような満員電車に詰め込まれて職場に輸送される光景というのはかつて自分が見下していたものでもあった。

しかし今の自分は食事の時に咀嚼音を立てて食べるレベルの育ちが悪い人間と一緒に仕事をしなければならず、そういう身分の低い人間と付き合っている自分も含めてレベルが低いことの証なのだと考えている。

 

無価値で底辺の奴隷はこういった苦痛に満ちた通勤をしなければならない。

それが奴隷に相応しい事であり、現状自分もその奴隷の一人に落ちぶれている。

レベルの低い生徒が多い学校に行っている自分、客層の悪い店で食事をしている自分、劣悪な手段で職場に輸送される自分、そのとき自分もそのレベルの人間だという事に気付かなければならない。

そこに疑問を持たず同化するのか、その状況からいち早く抜け出して上流階級に加わろうとするかに人生は左右される。

底辺の人間と一緒にいたくなければ自分が上流階級の人間になるしかないのだ。そしてそれが果たせていない時、自分はまだそのレベルの人間でしかないということになる。

 

奴隷が奴隷船に詰め込まれて輸送されるのは当たり前であり、それが嫌ならば上の階級に成り上がるしかない。

最近では痴漢免罪のリスクもありその奴隷船に乗ることはもはや命がけである。もちろん女性だけでなく男性も含めて自分が痴漢されるリスクもあり痴漢も痴漢免罪も含めて、この奴隷船には多大なリスクが存在する。

しかし混む時間帯に安い交通機関で通勤しなければならないことや都市部にある職場から離れた家賃の安い場所に住むしかないこともまた身分相応なのだろう。

 

それにしても通勤というのは本当に効率の悪い行為だ。

なぜこんなことをしているのかと思う事がある。

駅から職場まで距離があり長距離を歩いて行かなければならない時、雨に濡れながら自転車で駆け付けているとき、満員電車に乗っているとき、混雑した道路を運転しなければならない時、まさに自分が奴隷だと思い知らされる。

それも時間に合わせて間に合わせるために生活のリズムを整えなければならない。

自由な仕事を出来ない無能な奴隷というのはこういった社会システムに従わなければならず、今まさに自分は無価値な無能だという現実を突きつけられている。

苦痛な上にこういった実質的な拘束時間に対して給料は発生せず、時として交通費が支払われない職場も存在する。

実質的に通勤は労働の一環であるにもかかわらず、タダ働きをさせられるのが奴隷である。

 

これだけ通勤が精神的にも体力的にも負担になるのならば、いっそのこと住み込みで働く場所に次は務めても良いのではないかと考えている。

寮生活で食事も完備されたような期間限定のバイトというのは実際に求人があるため以前から候補の一つとしては考えていた。

もうしばらく現状の場所で働き続け体力をつければ、却ってそういった住み込みバイトのようなもので一か月間だけ我慢するような生活の方が良いかもしれない。

まさにカイジの地下労働編のような感覚でありそこで現金を作り、その貯金を使い再び気ままな無職生活を始めるというのもアリだ。

通勤時間という物を大幅に短縮できる住み込みの仕事というのは慣れない環境で済むという事を除けばメリットが大きい。

給料も今の場所より良いため時間限定だと割り切って収容されてくるのも一つの選択肢になる。

「働けば自由になれる」という言葉がついに現実にはならなかったアウシュヴィッツ強制収容所やシベリア抑留、逃亡すれば処刑されるISISの現場などに比べればマシだろう。

現代でも北朝鮮の国民が海外に派遣され給料のほとんどは税金として政府に吸い上げられているという事例が存在する。

 

現状の仕事を続けるのか住み込み労働を視野に入れるのか、近場で別の短期アルバイトなどを探すか、とにかくそうでもしなければ現状は打開できない。

そして自由な時間を獲得し何らかのスキルアップを図るしかない。

しばらくはこの奴隷のような生活が続きそうだ。