負け組ゆとりの語り場

社会に取り残された男が日々を語る

なぜ日本の戦争特番はドイツやイタリアを取り上げないのか

毎年夏の季節になると先の大戦について取り上げた番組が放映される。

日本人にとって夏といえば敗戦の季節でもあり、国民総動員の反省会が強制される。太平洋戦争の敗戦は今もなお日本人が責任を負わなければならないとされているのだ。

 

そんな反省のシーズンだが日本の戦争報道は根本的に欠けている部分がある。

「反省しなさい」と言われたところで日本人の大部分があの戦争がどういった者なのかを把握していない。よくわかりもせず自分たちが経験したことのない遥か昔のことをひたすら悪いことをしたとだけ教えられ頭を下げさせられたところで何の意味があるのだろうか。

分かりもしないことを反省させられ謝らせられる、それが日本の夏だ。

 

まず日本の太平洋戦争に関する報道は「第二次世界大戦」についてではない。あくまで第二次世界大戦の中の太平洋戦争という枠組みでしか語られることが無い。基本的に第二次世界大戦とは日本とアメリカだけの戦争ではなく、枢軸国と連合国の戦争だったのだがこの認識すら一般的ではない。

漠然と日本とアメリカが戦争をしていたとだけ報道されて、悪いことをしたという論調だけが繰り返される。

 

なぜ第二次世界大戦が起きたのか、なぜ負けたのか、何が悪かったのか、そもそもただ単に悪い事だけだったのか、そういう多角的視点が欠けており毎年様式美のように戦争の悲劇だけが語られ日本人総動員の「反省会」だけが行われる。

日本人は戦争を反省していないという人々もいるが、良くわかりもしない物を反省しようがないのである。

 

特に大きな枠組みとして同じ枢軸国だったドイツイタリアに関する報道は非常に少ない。日本の夏と言えば神風特別攻撃隊や原爆、そして玉音放送、戦争末期の悲劇が様式美のように報じられるが、同じ戦争末期にドイツやイタリアがどのような戦いをしていたのかが軽く触れられるだけでそこを掘り下げようとしない。

結局のところ日本人の戦争観というのはアメリカと戦ったという事だけでしかなく、欧州方面の出来事は他人事なのだ。

この季節に放映される戦争映画なども大抵は日米に関連した作品ばかりであり、ドイツ軍などを取り上げたものは少ない。仮に放送されるとしても民放ではなく衛星放送等であり、お決まりのように火垂るの墓のような作品を放送する。

 

まだ欧州方面の出来事について触れないことは譲歩できるが、アジアや太平洋方面でイギリスと戦っていたことの報道も非常に少ない。戦後日本の伝統と言えばそれまでなのだが何もかもがアメリカに関する物ばかりで、日本が戦っていた方面ですらイギリスやフランス、オランダに関する考察はお座なりにされている。

 

極めて矮小かつ決まりきったことしか取り上げないため、日本人は歴史の実態を把握することができていない。

毎年原爆や特攻隊の悲劇を取り上げて、それで歴史を理解した気になって反省会をして終わりでしかない。

 

しかし実はドイツやイタリアも事情は似ているのかもしれない。

おそらくイタリアに関してはこれほど敗戦ムードはなく、むしろ市民がムッソリーニ政権を倒したと美化さえしているのではないだろうか。

そしてドイツもホロコーストやナチスについて取り上げるだけで、アジア方面の戦いは他人事のように報じているかもしれない。

つまり枢軸国というのは戦中の連携もお粗末なものであり、戦後もお互いに他人事でしかないということになる。むしろ日本人のほうが第二次世界大戦におけるドイツに詳しい人が多くドイツ人は日本に関心を持っていないという印象さえある。

 

また日本の戦争特番全般に言えることだが、軍事面で深く掘り下げた考察が少ないのも問題だろう。零戦とグラマンの比較やチハとM4シャーマンの比較、米軍はなぜM1ガーランドを実践に投入で来ていたかなども説明があっても良いのではないか。

日本が戦争に負けた最大の理由は資源や工業力の差だったことに加え、技術においてもやはりアメリカは進んでいた。

B29に搭載されたノルデン爆撃照準器、レーダーの実戦投入、第二次世界大戦参加国で唯一半自動小銃の大量配備に成功したことなど、技術力に差があったことも考察するべきだろう。

 

「技術では日本が勝っていたが物量で負けた」という幻想についても詳細に解説しなければ同じ過ちを繰り返すことになるだろう。現在でも日本が衰退しているにも関わらずそのことを頑なに否定しようとする人がいるが、日本は優れているはずだという思い込みが敗戦を招いたことも事実だ。

日本が世界的な技術立国になるのは戦後の事であり、戦前は東洋の国としては西洋に対抗できていたという水準に近い。

一方アメリカは現代でもドキュメント番組で徹底的に考察し、むしろ日本軍に関する分析はアメリカの方が的確なことが多い。一方日本はと言えば感情的に戦争の悲劇を語るだけで、アメリカ軍について分析をすることは少ない。

 

戦争というのは武器や兵器によって行われるため、この分野に対して解説することは必須なのだが"軍事アレルギー"が蔓延する日本ではこういったことがはばかられる。そんなことはどうでもよいからとにかく反省しなければならないという風潮が強い。

軍事について考察すること=ミリタリー趣味と直結して考える人も多く、こういったことが真実から理解を遠ざけている。

軍事について考察することでその背後にある工業力の実態についても見えてくるのだが、こういったことが不自然に排除されているのが日本の戦争報道でもある。

もちろんこの分野に関しても日本とアメリカだけを殊更に取り上げるのではなく、他の参戦国についても考察する必要があるだろう。

 

また日本人の「自分と関係あるものにしか興味がない」という体質は第二次世界大戦の前にあった第一次世界大戦への関心の無さにも表れている。この第一次世界大戦が第二次世界大戦の遠因になっているにもかかわらず、日本は直接的な参戦国ではないのでどれだけ悲劇的な事であっても無関心なのだ。

 

更に戦争や歴史に限らずスポーツなどについても同様だ。

日本人は日本人選手にしか興味が無く、サッカーのワールドカップを除いて基本的に日本人選手が参加している試合にしか興味がない。

野球の世界大会などでも日本が負けた途端、放送が深夜の録画放送にされることなどがその典型だろう。世界的には無名な選手でも日本人が盛り上がっていればそれはスターだというガラパゴス的価値観が形成されている。

 

戦争も自分たちが関係している第二次世界大戦の中の太平洋戦争にしか興味が無く、悲劇的な気分で戦争を語った気になりたいだけでしかない。

スポーツは日本人が関係している「感動」にしか関心が無く、戦争は日本が関係している「悲劇」にしか興味がない。

要するにそういう国なのだ。