負け組ゆとりの語り場

社会に取り残された男が日々を語る

絵を描いてる人には性格悪い人が多い

よく芸術家には人間性が悪い人が多いという話を聞く。

実際に歴史上の画家や音楽家などを見ても中々の性悪人間が多い。

そしてそれは歴史に名を遺した著名な芸術家だけでなく、一般のアマチュアでも同じことのように思う。

 

自分の場合イラストサイトで絵を投稿しているのだが、とにかく性格が悪い人が多い。ネット全般に言えることだが良い人が1人いれば悪い人が9人いる。

しかも皮肉なことに日に日に自分も性格が悪くなっていっている。ネットやると自然と性格の悪い9人側の人間になっていくのだ。

 

絵が上手くなればなるほど反比例するように性格は悪くなっていく。

これは絵に限らずおそらく芸術全般に言える傾向のように思う。

何かを極めようとすれば人格の面で犠牲にしなければならないことがある。

 

実際匿名掲示板などでイラスト投稿者の本音を見たときに、その醜い本性や本音を垣間見ることができる。とにかくこの手の芸術の世界というのは嫉妬が渦巻く嫌な空間でもある。

更に自分自身が日に日にその醜い心の持ち主になって言っていることも実感する。

例えば絵の世界というのは上手い人間が絶対であり、そこには階級社会が存在する。無条件で自分より下手な人間を見下しており、上から目線の態度で相手にもしないのである。

まるで学校のスクールカーストと同じように結局は似た者同士でつるむことが増える。

逆に自分が下手だと自覚しておらず自意識過剰な人も大勢いる。

多くの人が自分より下を相手にせず、なおかつ自分を過大評価している。

 

そしてそんなことを考えている自分がまさに性格の悪いイラスト投稿者の権化だろう。

自分は最近こんなことを思っている。

「ボランティアでわざわざ誰も見てないし相手にしてないような絵にコメントしてやったのに返信も寄越さないなんてどんだけ偉そうなんだよ」と。コメントがあったら嬉しいだろうなと思って利他的な思いで褒めてやったのに返信すらしないような人が結構イラスト投稿サイトにはいる。

正直「お前何様だよ」と思わずにはいられない。

通りすがりの人間がコメントしてくれるという滅諦にない奇跡のようなことに対して、よくもそんな対応ができたものだ。自分なら見てくれただけでもありがたい人に対して無視するような対応はできない。

 

まだ人気絵師のような人がコメントが多すぎて返信しないことにしてるというならばわかる。しかしろくに閲覧数もない上に反応もされてないようなしょうもない絵をわざわざ見てやってコメントまでしてやったのに、感謝の一言もないのは身の程知らずにも程がある。自分が人気イラストレーターと同じ立場だとでも思っているのだろうか。

 

そんな人に対して「すいませんでした、わたくしみたいなド下手な人間があなた様に素晴らしいイラストにコメントしても何も嬉しくありませんよね」と思ってしまう自分がいる。

自分より遥か上空にいる上手い人が丁寧に返信してくれるのに、何を勘違いしたのか落書き以下の絵の人間がスルーする。

「ボランティアでコメントしてやってる」という押しつけがましい考え方の方がよほど性悪なのだが、誹謗中傷でもない上に絵の詳細な部分まで見て大したこともない特徴をわざわざ褒めてやってるのに返信すらしない事は少し残念だ。

もちろん本当に参考やヒントにする部分もあっていろいろな人のイラストを見させてもらっているのだが、何の返信もないとそんな嫌な気分にさせてしまったのかと思わずにはいられない。

 

更に言えば世間に対しても本来は見てくれてるだけでありがたいのに「なぜ世の中は自分を認めないんだ」というようなこれまた嫌な考えを持ってしまっている。

コメントされない上にコメントしてやっても返信されない、どれだけ自分は世の中から軽んじられ無視され続けているのだろうか。

世の中そんなに自分のことが嫌いか、所詮その程度のどうでもいい人間でしかないのかと自己嫌悪に陥る。

 

どんどん性格が悪くなっていく自分がおり、これではいけないと思いながらも醜い感情がわき出てくる。

上手い人は上手い人しか相手にしないし、下手な人にかぎって自分を過大評価してるし、そんなことを考えてる自分も嫌だし性格悪い人しかいないのが絵の世界である。

自分の場合はイラストサイトだが、小説投稿サイトや音楽投稿サイトなどでもこのような嫉妬が同じように渦巻いているだろう。

 

ただ著名なアーティストもアスリートも人格で褒められた人はむしろ少数派なのだ。

たとえばスタジオジブリの宮崎駿や、ガンダムシリーズの富野由悠季などは人間性クズの象徴だろう。

自分は宮崎駿と富野由悠季に憧れて尊敬もしているのだが、性格が良いだけの人間はあの領域にたどり着けないだろう。

宮崎駿も富野由悠季も映画「君の名は。」が流行ったときは嫉妬根性丸出しで知らないアピールや見てないアピールをしていた。

上には嫉妬し下は見下す、そして自分は絶対だと信じる、これが芸術家やアーティストのメンタリティでもありむしろその感情がなければならない。

自己愛性パーソナリティやサイコパスでもなければアートの神髄は究められない。

スポーツの世界でもトップクラスの選手で人格的に善人だという人のほうが稀である。なぜならば善人は淘汰され競争に勝ち残れないからだ。

時として人を踏み台にしてでも這い上がり、人間性を犠牲にしてでも生存競争に勝たなければならない。

 

よくサッカーの世界で「フォワードは人間性がどれだけクズでも点取った人が正義」と言われるが、絵も同じくどれだけ性格が悪くても上手ければ認められる。

クリスティアーノ・ロナウドのような味方のゴールに不満の態度を見せる選手や、もはやサイコパスではないかという人格破綻者のズラタン・イブラヒモビッチが世界屈指のストライカーなのである。

サッカーは人間性の良さを競うスポーツでもなければ、絵は性格が良ければ上手くなるわけでもない。むしろ嫉妬を反骨心にして努力をする人間の方が結局は生き残るのである。性格が良い事と実際の実力は相関するものではない、これはどのジャンルにもいえることだ。

 

むしろ性格が悪い人間の方が面白い事さえある。

芸能人を見てもたとえば指原莉乃はとてつもなく性格が悪いひねくれ者だがむしろそれゆえにコメントが面白く魅力的なキャラクターになっている。

小説家などでも自分は村上龍が好きなのだがこの人もまた斜に構えた物事の見方をしているという描写が多い。

性格が悪い捻くれ者でなければその視点は浮かばないというシーンは多い。

逆に真面目で善良な考えの人間が書いた小説など面白くもないだろう。

 

そしてこれはインターネットの書き込みも同じだ。

綺麗ごと程つまらない物は無く、捻くれた書き込みほど面白い物は無い。当たり障りのない優等生の考えは見ていて飽きる。

ネットが社会の負け組の巣窟だったころは嫌な書き込みが多かったが、今は「そんな考えは不謹慎」みたいな人が必ず現れる。

よく「日本人の陰湿さがネットには現れてる」というが、陰湿で捻くれた考えの方が見ていて面白いのだ。むしろ「日本人は陰湿だ」と言っている人の方が自分を棚に上げていてまるで自分は善良であるかのような言い方をしているのだから性格が悪いだろう。

 

世間一般の建前では素晴らしい考え方でも実際は綺麗事でしかないことが多い。そういった自分は優良な善人だと思い込んでいる人間ほどつまらない存在は無い。自分は善人だと思っている人が本当に善人なことの方が稀だ。

そしてそういう人間ほどいざという時は醜い本性が露呈する。

日本人に限らず人間は陰口が大好きであり、必ず醜い感情を持つ生き物なのだ。

 

むしろその醜い根性は自分が人間だという証でもある。

原始時代の厳しい競争においては良い人というのは生き残ることができなかった。今生きている現代人は誰もが他人を蹴落としてでも生き延びてきた人間の子孫なのである。性格が悪いということは生命力が強いという事でもある。

これまでの自分の人生を振り返ったとき、誰もが一つの真実に気づくだろう。

「良い奴は評価されない、いつも嫌な奴ばかりが得をしている」ということに。真面目に生きることなど損でしかない上に報われないし評価されない。

ただ自分個人としては性格がいい人の方が好きだし、そんな人を評価したい。自分は性格は悪いかもしれないが、かといって性格悪いこと自体を評価するわけではない。やはり良い人が報われる社会であってほしいとは思う。

 

絵が上達するほどに人格が歪んでいくことは間違いない。

その一方で自分は性格の良さを評価されるため絵を描いているわけでもないのだ。サッカー選手も人格者だと思われるためにボールを蹴っているわけではないだろう、ゴールをするために日々練習をしている。

そしてそれで多くの人が楽しめば、それは人を幸せにしているともいえる。

お笑い芸人も性格が良い人の方が少ないが、それで人を笑わせて誰かを幸せにしてる。

自分も良い絵を描いてそれで楽しんでもらいたいと思っているし、面白い作品を作ることが最大の目的でもある。

イブラヒモビッチにしても富野由悠季にしても、指原莉乃にしても性格が良ければそもそも有名になっておらず何も残せていなかっただろう。むしろ自分が好きになるのはそういった人格的におかしい人間やひねくれ者ばかりだ。

人間性が腐敗しているほどに面白いことができる。

 

確かにジレンマはある、絵を描くほどに性格が悪くなっていく自分が嫌になる。その一方でそれは創作に必要な事だと考えることもできる。

悪化していく性格から発生する不満や嫉妬、それをいい形で作品や活動、競技に反映できる人は何かを成し遂げたとき英雄になる。

逆に何もできなければただの嫌な人間で終わる。

実力さえあればすべてが変わる、何も価値がないと扱われていた人間への手のひら返しが始まる。

これまで軽んじられ続けてきた今の自分に必要なのは圧倒的な実力だけだ。