負け組ゆとりの語り場

社会に取り残された男が日々を語る

「反戦」のヒトラーTシャツを着たホリエモン、ネット民に叩かれる

NHKの番組にアドルフ・ヒトラーを想起させる絵柄の描かれたTシャツを着て出演した堀江貴文が一部の勢力によって批判されている。

これは実際の所ヒトラー賛美ではなく、第二次世界大戦を起こした張本人が「NO WAR」と叫んでいる風刺画であり反戦メッセージを意味しているとホリエモンは主張している。

実際のホリエモンはこれまでそのTシャツを着て批判されたことは無かったらしいが、NHKにそのTシャツで出演したことで批判にさらされている。

「NHKの影響力半端無い」と苦言を呈している。

 

堀江貴文がそういった釈明をするまでもなくそんなことは誰もが理解できることのように見えるのだが、世の中にはヒトラーの絵柄が描かれているだけで脊髄反射的に戦争賛美であるかのように認識する人がいるのである。

NHKの放送程の規模になると、時としてそういった理解力の無い人も視聴者に紛れておりサイレントマジョリティほどネットでは声が大きくなる傾向がある。

 

インターネットの風潮全体として言える事なのだが、最近は小さな事すら許せない人や指摘せずには気が済まない人、そして風刺や冗談を理解できない人が増えている。

例えばゲハ論争にしても昔のネット民が半ば少数のコミュニティで冗談のように言っていたことも、今は本気でとらえるような層が現れ始めている。

ネット的な意見も実際は閉鎖されたコミュニティの中で冗談めかして言っている者が多かったが、それを本気にして現実に持ち出す人が今増えてきている。

 

結局のところこういったユーモアや風刺を理解するには一定水準以上の知能指数が必要であり、そこにすら達していない人が実は大勢いるという事を最近インターネットは証明している。

ネットを普及させたことが間違いだったと最近は語られることが多いが、今回のヒトラーTシャツ批判騒動もその一つの事例なのかもしれない

昔は「半年ROMれ」という言葉があったが今はそれが廃れているのも、ネット初心者や物事を表面的に見るだけの人が多数派になったことの表れだろう。

アドルフ・ヒトラーの風刺Tシャツの意味さえ理解できない人がネット上もかなり増えたのである。

 

「郷に入っては郷に従え」という古い言葉があるが、少し前までのインターネットは「ネットを見ればネットを理解してから発言するべき」という雰囲気があった。

自分自身もネットを始めたときはなんとなくそのノリを理解してから発言をしていたが、今の時代はそれを理解する気が無い人や理解できない人が何も考えずに発言する時代になっている。

 

その結果冗談や風刺を理解できない人が"マジレス"することが急増している。今回のヒトラーTシャツ批判も最近政治や歴史の知識を覚えたての人がヒトラーならば何でも批判すればいいと脊髄反射した形に近い。

おそろしいことに「脊髄反射で反応する」という慣用句すら小難しい言葉だと理解できず思考停止で反論する人がいる事である。

 

自分も決して頭が良いわけではないのだが世の中は広く、第二次世界大戦がどの国や勢力同士の戦いだったかすら知らない人や基本的な慣用句さえ知らない人が多い。

「馬鹿は発言するな」と言われたら自分自身も頭は良くないため発言できなくなるが、その自分を下回るレベルで知性が足りない人がネットには大勢いる。

 

インターネットというのがどうも最近息苦しくなりユーモアが欠如しているように見えるのは、こういった脊髄反射的な人々によるところが大きい。

何かを批判する流れになれば止められず、集団で批判することに一体感を覚える人が大勢いる。

次なる批判対象を探しており、まるで標的やターゲットを探すかのように人の粗を探して回っている。

人の粗を探し細かい部分を指摘し集団で批判する管理社会のような風潮を形成すれば、いずれ自分がその標的にされることを彼らは理解していない。

 

このような風潮が続けば当たり障りのない事や、そこまで考えなくとも理解できるようなことしか受け入れられない時代が来る。

心の狭い人やただ批判したいだけの人が増えればネットは徐々に面白くない物へとなっていくだろう。

いや、現在まさにその過程の最中にある。

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