負け組ゆとりの語り場

社会に取り残された男が日々を語る

中二病オリキャラは痛いぐらいの方がいい

自分の中のオリキャラを作る上での美学や哲学があって、それは「痛ければ痛いほど面白い」という事。強力な中二病作品ぐらいのほうが客観的に見ていて面白く、また覚えやすくもある。

インターネット上には無数に個人創作作品が存在している。

無難な作品で目立つこともできない、そして覚えてもらうこともできない。

そのためには多少やり過ぎなぐらいわかりやすくなければならない。

 

そもそもオリキャラを描いてネットに投稿するという時点で既にイタい行為なのである。イタい行為を既にしているのだからオリキャラ=痛いものであることは当然であり、むしろそこは開き直って思う存分派手なキャラクターを目指したほうが良いのではないかと自分は思っている。

www.pixiv.net

更にネット上には一定数中二病キャラクターや痛いオリキャラに対する需要がある。自分が痛いキャラクターを描いているから、似たような人を見つけたいという思いがあるのかもしれない。

自分も正直中二病系のキャラクターや武器を描いている人間として、似たような絵を描いている人には共感する。むしろこの世界では中二病であることや痛いことは褒め言葉であり、いい感じにトガッったキャラクターを見たときは思わず嬉しくなる。

 

こういったネット上の個人創作というのは「他者との差別化」が最も重要であり、無難な綺麗なものを書いているだけではライバルがあまりにも多すぎて埋もれてしまう事にもなりかねない。

 

ラップと一緒で「自分らしさ」を作品に乗せるぐらいの痛いぐらいの考え方の方が面白くはなる。万人に受ける必要はなく、10人中1人ものすごく気に入ってくれる人がいることのほうが自分は大事だと思っている。

 

無難な優等生作品で印象に残らないよりは、ものすごく特徴のあることをやったほうが結局良いオリジナルキャラクターになるのではないかなと思うし、そういう特徴あるキャラクターがもっとネット上に増えても面白い。

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痛ければ痛いほど良いというのは、別の言い方をすればものすごく特徴があるとも言いかえることができる。

「一度見れば覚えるキャラクター」の方が大事で、オリキャラを描いてて一番うれしいのは「あのキャラクター覚えてるし好きだよ」と言ってくれることだと自分は思っている。

「平均点ではないけど、自分はこのキャラクター好きだよ」と思ってくれる人が大事な存在であり、上手さで対抗しようとすればネットにはいくらでもライバルいる。

 

今更自分が上手さや人気公式作品を補完するような漫画などでは勝負はできない。むしろ「痛さ」や「中二病感」で勝負することが自分ができる事なのではないかなと思っているし、「痛いオリキャラ」も追求すれば誰も真似できないくらい痛いキャラクターが作れるかもしれない。

「中二病キャラや痛いキャラといえばアイツだろ」と思われることの方が自分は目標だと思っているし、改めてその目標を失ってはいけないと最近は思い直している。

またそしてこういう中二病創作文化が盛り上がること自体、インターネットの面白さを取り戻すきっかけにもなるかもしれない。

 

昔はもっとアングラの個人創作サイトが多かったし、「痛い管理人」みたいな人が結構いてその人たちが面白かったし、そこの痛い住民も集まっていた。

ネットのアングラ感という意味でもこういう中二病要素は大事であり、人間は結局いつまでも中二病なのである。

そういうのを冷めた目で見て、寒いと考える風潮は良くないと思うし、もっと盛り上がってもいいと自分は思っている。

個人創作やオリジナルキャラクターは痛ければ痛いほどいい、なぜならそれは唯一無二の特徴があるからなのではないだろうか。