負け組ゆとりの語り場

社会に取り残された男が日々を語る

なぜ最近ゲームをすることに疲れるのだろうか

「最近ゲームするのが疲れる」という意見や「ゲームに情熱が持てなくなった」という意見を良く見かけることがないだろうか。

特に多いのが「オンライン対戦疲れ」であり、これはSNS疲れと同様に深刻な問題になっている。

とにかく今の時代において「ゲームはガチでやるもの」というのが当たり前になっており、「初心者お断り」という雰囲気がどのゲームにも蔓延している。経験者事態はもちろん新規層の拡大を願っているが、経験者や上級者の何気ない振る舞いが初心者にとって厳しいものになってきている。

 

こういった状況でオンラインゲームをやれば必ず経験者との大きな壁にぶち当たる。

正直今の時代にこれまでやったことがないゲームは始めにくくなっており、実際自分もFPSをやろうとしたことがあるが経験者との圧倒的な差を感じて辞めた。

もう今の時代よほど革新的な新ジャンルでもない限りどのゲームにもその勝手に慣れた経験者がおり、普通に始めれば経験者のサンドバックにされる。

殆どのユーザーが勝つ事だけに拘っており、ガツガツした雰囲気が蔓延している。

自分がやり慣れたゲームや本当に好きなゲームならばその雰囲気も心地よいが、そうでもない場合この雰囲気に疲れることがある。

 

この典型的なパターンが少し前に社会現象にもなったポケモンGOである。

自分は日本配信が始まってすぐに始めたが、ネットを見ればすぐにすぐに珍しいポケモンをゲットしている人が現れ、近くに合ったジムは一週間もたたないうちにガチ勢が居座り絶対に勝てないような状況になった。

ネットはガチでガツガツやっている人の意見が多数派になりすぐに攻略情報が出回り、「ガチでポケモンGOをやって当たり前」という雰囲気になり自分のような末端の地方在住の人間には居場所がなくなった。

こういった上級者や持つ者との格差を実感したとき、持たざる者や下層の人間は疲労感を抱くようになる。また懸命に上位層についていこうとしている人もその厳しい競争から脱落してはならないという強迫観念に支配され疲弊していく。

 

実際は全ユーザー人口の中でそこまで熱心にやっている人は少数派だが、インターネット全盛期の時代にはそういったガチ勢や上位層の意見が支配的になり初心者は発言しにくい雰囲気になっていく。

ネットがまだそれほど普及していない時代はこういった意見も少数派の意見に過ぎなかったが、今はネットが非常に広く普及しそういった雰囲気があっという間に支配的になっていく。

 

つまりゲームをする事に疲れるようになった理由はインターネットであり、ネットがない時代のほうが実はゲーマーというのは幸せだったのかもしれない。

一般のコンシューマーゲームにもオンライン機能がつけられるようになり、もはや今のゲームはほとんどネットがあることを前提に設計されている。

オンライン対戦というのが一部のものだったときはほとんどのゲームはローカルで完結していた。それゆえに自分の実力の無さを感じることもなかったし自分の世界観で満足できた。

 

しかし今の時代ゲームをクリアしてその世界のヒーローになったと思ったら、次はすぐにオンライン対戦をやらなければならなくなり自分の弱さを自覚させられる。今までその世界では最強の英雄だったのに、ネットでは途端にモブキャラになってしまう。

オンライン対戦というのはスポーツにおける全国大会のようなもので、少しその習い事を始めたら急に全国大会に出場させられるような状況になっている。

初心者が集まる場所さえも上級者や中級者との戦いから脱落した人の溜まり場になっており、本当の初心者には居場所がない。

 

しかし実はその初心者が全ユーザー人口の中では大半であり多数派なのである。そして初心者の場所をたまり場にしている脱落してきた中級者も悪気があってそうしているわけではなく、本当は上位層に加わりたいのである。

今こういった「ガチ勢になりたいのにガチ勢にいれてもらえない層」があふれており、こういった人たちが初心者にとって大きな壁になっている。本当に初心者狩りをしたくて初心者狩りをしている人は稀で、ほとんどの人が一生懸命やっているのに中級者を抜け出せないどころか中級者からも脱落してしまう構造になっている。

 

どうしてもネットというのは上位勢の意見ばかりが目立つ傾向にあり錯覚するが、実はそこまでガチでやっていない人が多数派なのである。しかし本来少数派のはずの上位勢の意見がネットでは多数派に見えてしまうため自分が疎外感を感じるようになってしまう。

これは学歴や身長、収入の話になったとき高い人しか書きこまず平均以下の人は後ろめたさを感じて書き込まないことと似ている。ネットでは皆自信のある話題でしか話さず、自分がマウントを取れないジャンルでは大人しくなるのである。インターネットは匿名の場所ですら自分を大きく見せる事に一生懸命になる人が多い。

 

そしてこれもはゲームでも同じなのである。

上手い人や強い人にしか発言権がなく、まるでその世界ではそれが当たり前にように感じてしまう。それゆえにそこに及ばない人は後ろめたさを感じ疲れてしまう。

オンライン対戦においても弱い人や下手な人はすぐに脱落していき数少ない生き残った人がしのぎを削っており、今の時代本気でゲームをやっている人だけがオンラインには溢れている。

 

つまり今の時代ゲームは本気でやらなければならないものになっており、オンラインの登場が競争を加速させた。もう今の時代様々なゲームがコアにガチでやらなければならなくなっておりネットの雰囲気もそうなっている。

かつて普通にやっていればローカルコミュニティではそれなりに勝てた人ですら、気合を入れてやらないといけなくなっている。もうゲームは手軽にやって楽しめるコンテンツではなくなってきている。

ほとんどのユーザーがすぐにネットを見る環境が形成されており、ゲーム自体がネット前提になってる。

そのためユーザーは常に比較と競争にさらされる。そのため競争についていけない人や脱落した人、そして懸命についていこうとしている人はゲームに疲れるようになる。

ゲームが大変なものになっているというのが現代の風潮であり、大変な物だから疲れるのである。

 

しかしここで考え方を変えるべきだろう。

本気でやろうとするから疲れるわけであり、大真面目にガチ勢についていこうとすると身が持たないのは当たり前なのである。

もう今の時代何か本気で極めようとすればお金と時間がかかり精神も疲弊する。

一般の人はゲームをガチでやろうとしても身が持たないわけであり、またゲームという物自体本気でやるものでもないのである。本来ゲームというのはその時に楽しめればおい物であり誰かから評価される為や認められるために懸命に頑張るものでもないのだ。

そもそもゲーム自体がんばっても評価される物ではなく、そこまでガチでやる必要もなくゲームで弱い事は恥ではない。

 

もう今の時代ゲームとは資金と時間と才能に恵まれた人でなければ勝てない時代になっている。戦闘機や軍艦を大国しか開発できない事と同じで、小国にはその軍拡競争についていく力がない。しかし実はその小国の方が世界全体で見たときに多く、その小国が大国に追い付こうとしても不可能なのである。今の時代ゲームというのは持つ者と持たざる者で言えば「持つ者」のために作られている。

なぜならば運営にとってそのゲームを熱心にやってくれる人や課金してくれる人の方がありがたいからである。政治家が"投票してくれる"高齢者層を優先するのと同じで、ゲーム会社は初心者よりも上級者を優先するのである。

 

昔より競争が苛烈な時代になっておりまるで冷戦期や帝国主義時代の軍拡競争のように、ゲームの世界では際限のない実力競争が行われている。

小国がその領域についていこうとしたら国家予算が破綻してしまうのと同じで、一般のユーザーが上級者や中級者と同じことをしようとしたら身が持たないのである。

ゲームは軽くやり、最低限一員感を味わってあとは傍観しておけばよいのであり、まともに極めるには人生を捧げなければならない領域に差し掛かっている。 

疲れないためには本気でゲームをやらない、一歩引いたスタンスが大多数のユーザーに求められているのかもしれない。

elkind.hatenablog.com

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