外国語の勉強は強いモチベーションがないと続かない
外国語の勉強を再開して一か月ほどたっているが、やはり定期的にサボッってしまうというか勉強をしない日がある。
大人になってから独学で外国語を勉強しようともなればよほど強いモチベーションがなければ続かない。学校の授業や職場で強制されるわけでもなければ、外国語はわざわざ学ばなくてもいい物であり日本の生活で外国語を使えなくても困ることはほとんどない。
そんな外国語の勉強において最も重要なことは「継続」であり、1日勉強しなければそのままズルズルと数日、一週間、一ヶ月とどんどん間が開いてしまう。とにかく日々の学習においてどれだけ習慣として落とし込めるかであり、そのためにもやはり動機づけが必要となる。
バイオリニストやピアニストが一日楽器に触れなければ自分の中で何かが変わったことに気付くのと同じで、外国語もまた勉強しない時間が空くとすぐに積み重ねた物がなくなってしまう。
今日はほぼ1日中スペイン語を勉強し、実質日本語よりもスペイン語の方を多く聞いたという1日だった。トータルで10時間近く勉強したのではないだろうか。
とはいえ決して専門的かつ本格的な学習をしていたわけではない。今はとにかく文法の勉強よりもスペイン語的な「感覚」をつかむことを注力しており、ひたすらリスニングを極めている。実質今日やったことと言えばスペイン語実況でのサッカーの試合を見た事と、スペインのポップミュージックを聞いた事、そしてわかりもしないスペインの政治討論番組を見たことだけである。
アルゼンチン代表やスペイン代表の試合を動画サイトで見つけてひたすらそれを何試合も見たり、スペイン語圏以外の試合ならば音声をオフにして別枠で開いたスペイン語の音楽や討論番組を音声のみ聞きながらサッカーの試合を見る。
外国語の勉強はとにかく好きな物を学びたい言語で見ることが重要であり、youtubeにいけば基本的にあらゆる教材が揃う。
youtube,ウィキペディア、グーグル翻訳、この3つが外国語勉強の三種の神器であり最低限この3つがあればよほどマイナーでない限り世界中のほとんどの言語を学べる時代になっている。
そしてこういった勉強をしているときに初心を思い起こすことも必要になってくる。自分は海外の大学を卒業し留学するという事を目標に掲げて今外国語を勉強してる。
正直に言えば自分の中で「そういえばそういうこと考えていたな」と数週間前に掲げた目標すら風化しつつあった。夢や目標は言葉や文章にして再確認にしなければ維持できず、いつのまにかそれは過去に一瞬抱いていただけの目標になってしまう。
いつのまにか「なんで自分はこの言語を勉強しているのだろうか」と疑問を抱いてしまい、終いには勉強しなくなってしまう。
外国語というのはそう簡単に身に付くものではない。
よほど強力なモチベーションと多大な努力がなければ20歳を過ぎてから外国語を身に着けるのは難しい。
しかし外国語の勉強は決して焦ってはいけない。
一刻も早く身に着けなければいけないと真剣になっても、実際よほどの語学の天才でなければそう簡単に目に見えて進歩はしない。
あくまで凡人が20歳過ぎてからこれまで勉強したことがない第二外国語を学ぶというのが今自分が行っているチャレンジであり、目に見えて毎日進歩するようなことはありえない。
今日も10時間近く勉強したが「感覚をつかんだ」という曖昧な進歩でしかなく、ここから一週間勉強しなければまた振出しに戻る程度のものでしかない。
言語の勉強というのはいわば筋トレやダイエットのようなものであり、目に見えていきなり進歩することはありえない。
「1か月スペイン語を勉強して何か大きな変化があっただろうか」と問いかけたとき、自分の中ではそれほど大きな変化を実感できていない。
相変わらずスペイン語で話していることの意味は分からない。しかしだんだんと聞き取れる単語や文法のパターンは感覚としてつかみかけており、最初は本当に「パラパラ」と言っているようにしか聞こえなかったスペイン語がある程度何かの構造が存在するという事はわかるようになってきている。今はスペイン語の「パラ」というのが英語で「for」を意味し、どのタイミングで使うかぐらいはわかるようになってきている。
このように音節や音感を理解して、少しずつ単語を覚え始めている。意味は分からないしそれをわざわざ調べようとも思わないがとにかくまるで子供が大人の言っている言葉を少しずつ覚えるような地道な進歩を続けている。
「1か月も勉強したのだから何かしらの変化を実感したい」と誰もが外国語の勉強では焦ってしまう。
しかしそういう時に問いかける。
「0歳児が1か月で何か喋れるようになるだろうか?」
今自分は新しい外国語に対しては0歳児とスタートラインは変わらない。厳密には脳の成長という要素も絡んでくるが3年勉強して3歳児と同様の語学力だとしてもそれは遅れているわけではなく普通の進歩なのである。
地頭の良い天才と比較して自分の進歩の遅さを嘆いても仕方がない。
外国語という物はそう簡単に見につくものではない、簡単に話せたらそれは天才だと言い聞かせて「進歩しない自分」と根気強く向き合い続けることが外国語の勉強では最も大事なことである。
長いスパンで考えなければならない事であり、現地に住まず日本で外国語を独学で勉強するというのは進歩が遅くて当たり前だと言える。
10年勉強してネイティブの10歳の子供と同じぐらいに話すことができればそれは十分であり、本来言葉という物はそう簡単に早く身につくものではない。
自分は「言語の天才」ではない。
そんな凡人が20を過ぎて飛躍的な頭脳の成長も見込めない状況で、新しくこれまで勉強したことのない外国語を身に着けるならばこれはもう焦らず地道に積み重ねるしかない。
そしてそのためにはやはりモチベーションが必要である。
外国語の勉強はまさに継続は力なりという言葉が当てはまる。特別な勉強方法を導入することよりも、とにかく続く勉強方法を導入することが最大の解決であり「良い勉強方法=続く勉強方法」でもある。
どんなにいい勉強方法でもそれが続かなければ意味がなく、誰から強制されるわけでもなく自主的に勉強するならば自然と習慣として続く勉強方法が必要になる。
「何のためにこの言語を勉強するか」というモチベーションを日々再確認し、日々の生活の一部にどれだけその言語を取り入れられるかが重要になってくる。
海外暮らしをすれば強制的にその言語の触れなければならないが、日本で暮らしている場合自主的に外国語を取り入れなければ結局日本語だけの生活になり日本ではそれで十分な生活が成立する。
その日常の生活に外国語を取り入れるために何かのモチベーションや情熱がなければならない。勉強とは思ってなく好きでやっているという状況作りも必要であり、同時に本当に覚えなければならないという必要性を意図的に実感させるための状況作りも必要になる。
好きでありなおかつ必要性を感じる、この2つのモチベーションが揃ったとき数年後はその言語を新しく習得している可能性が高いだろう。