負け組ゆとりの語り場

社会に取り残された男が日々を語る

「差別が怖いから海外に行かない」というのはもったいない

よく日本人が海外に行きたがらない理由として「差別が怖いから行かない」という言葉を聞く。日本人の海外への感情は複雑であり憧憬と恐怖が入り混じっている。

華やかな憧れの場所であると同時に、怖い場所だというイメージも強く実際に日本の基準で考えると危険な目に合ったり嫌な目に合う事は多い。

 

実際海外に行けば黄色人種の日本人が差別に合う地域は存在する。

"名誉白人"の幻想はそこには存在せずアジア人はやはりアジア人として扱われる。

海外サッカー選手の話などを聞いてもヨーロッパでは依然として差別や偏見が存在しているというエピソードは多い。

更に南米のカトリック国に行くとヨーロッパより更に前時代的な考え方が根付いており、レイシズムの問題は今も存在する。

 

しかしこれらの問題を理由にして海外に行かないというのは後ろの向きの考えのようにも映る。過度に海外を礼賛する必要はないが、恐れすぎる必要もなく海外で嫌な目に合ったことは無いという人も多い。

日本にも素晴らしい物は多いが、海外にもやはり良い物はある。

そのいいものを消極的な理由で知らずに終わってしまうのはもったいないのではないだろうか。

 

そもそも日本でも差別はあり、良いものに囲まれた理想の国ではない。

「人種差別」以外の差別も当然存在して、日本人が日本人を差別することはある。

海外における差別が人種によって扱いが変わるという事を意味するのであれば、それは日本でも同じだ。

日本人も相手によって態度変えることは日常茶飯事であり、これもまた差別の一種だ。

 

例えば自分の場合メガネをかけて冴えない姿で買い物する時と、コンタクトに変えて髪型や服装を整えて買い物する時では女性店員の態度が明らかに違う。見た目によってこんなにも扱いに違いがあるのかという事を思い知らされた。

街ですれ違う女性の態度も容姿の違いがそのまま態度の違いに直結するわけで、日本でも差別と認識されないだけで実質的な差別は存在するのである。

「差別」だと意識していないから自由に差別をし放題なのが日本という環境でもある。

人種で差別をしてはいけないが、見た目や雰囲気、性別では自由に差別をしてよい、それが日本という国でもある。

日本は隠れた差別大国であり、人種の多様性が少ないがゆえに日本人の中で差をつけあうことが多い。

差別とは必ずしも人種差別だけではない。

そしてそれが問題視されていない時、人間は堂々と差別行為を行うのだ。日本人も差別をするという意味では外国人と変わらない。

 

見た目が違うだけで人として扱われるか、それ以下のものとして扱われるか、そんなものは日本でもありふれたことなのだ。

そしてこれはむしろ女性側の方が強く感じているかもしれない。

女性の場合メイクやファッション、髪型で印象が大きく変わる。女性側もメイクをしているときとしていない時で男性店員や世の男性の扱いが大きく変わることを経験しているのではないだろうか。

 

人によって態度を変えるなんてことは日本人も日本で当たり前にしていることであって、海外に行くと「人種差別なのではないか」と敏感になるだけで日本でも実質的な差別は横行しているのである。

感覚が麻痺しているだけで日本でも日常的に差別は横行しているのが現状だ。

海外に行けば自分が日本人であることやアウトサイダーであることを意識して、自分に対する扱いに敏感になるため差別だと感じやすいが同様の事は日本でも当たり前に行われている。

 

タブーを言えば日本人も差別的な民族であり、日常的な差別は平然と行っている。

それが差別だと問題視されないだけであり、マウントを取る理由が人種なのかそうでないかの違いしか存在しない。結局相手の見た目や雰囲気でマウントを取るという意味じゃ日本人も外国人同様に差別をしているのである。

相手によって態度を変えるというのは人種や国を問わず人間の本能なのだろう。

それは当たり前のことだと割り切って海外を楽しんだほうが、日本にはない面白い物にも出会える。例え海外で自分に対する扱いが少し違うなと思ったとしても、それは日本でも良くある事だと考えれば特に気にならなくなる。

 

むしろ日本だと日本人同士のわずかな違いが気になるが、海外に行けばある意味全員アジア人として平等になる。却って海外の方が日本で微差に一喜一憂するよりも過ごしやすいのではないか。アジア人の中で更に日本人という区分をしてその中で小さな差をつけ合うことも、海外に行けばどうでもいい小さなことに感じる。

日本人から見たときに黒人が全員黒人に見えるのと同じで、非黄色人種からすればアジア人はどれだけ懸命に差をつけ合おうとしても同じなのである。

 

微細な扱いの差に腹を立てるよりも結局人間は人によって扱いを変える生き物なのだと考えたほうが精神衛生上も良い。

それを言えば自分も人によって扱いを変える場面があるはずだ。

誰かの差別を批判できるのは自分が一切差別をしていない時だけである。

そう考えれば差別を理由に海外を恐れることは凄く小さなことに思えてこないだろうか。

elkind.hatenablog.com

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