負け組ゆとりの語り場

社会に取り残された男が日々を語る

正直今更日本でチェスが流行っても意味ないという現実

自分は一時チェスに憧れていたことがあり、典型的なチェス信者、将棋アンチのような立場だったことがある。将棋の棋士よりもチェスプレイヤーのほうが名前を知っていたし、ルールも未だにチェスの方を覚えていて将棋のルールは何度か覚えるが結局継続的にやらないため友人とたまにするときはルールを聞きながら将棋を指すことが多い。

 

チェスをここまで自分が持てはやす理由として「世界規模で行われているから競技のレベルが高い」「一国で競争しているだけのものはレベルが低い」という価値観がある。

実際自分はガチガチのサッカー信者であり、野球アンチでもある。

世界で行われているサッカーに力を入れるべきであり、マイナースポーツで誰も知らない野球などやっても意味がないという理論である。昔はこれを将棋とチェス論争に持当てはめていたのである。

サッカーと将棋の論争については今もその信念に変わりはないが、将棋とチェスに関しては正直なところもう日本におけるチェスの普及の見込みがないことを悟り諦めており、また無理に普及させる必要もないという立場に変わっている。

 

正直日本が今更チェスに本格参戦しても、ロシアや中国にはかなわないだろうし、将棋があるから完全に力を注ぐこともできない。どうせ上位になれないなら、チェスなんてやらず将棋の文化を発展させたほうがいいのである。

更に言えば日本の将棋文化は世界的に見て非常に高度であり、競技レベルがチェスのトップレベルと将棋のトップレベルを比べたとき高いか低いかなどにあまり意味はない。こういった競技の真の意味合いはプロの世界を盛り上げて、一般の人々がその競技に触れる事である。

スポーツは優勝することや海外に通用することが全てではない。

日本のチェスプレイヤーが世界の強豪と対戦して勝つことも楽しい事だが、それよりも大事なのは頭脳競技のボードゲームを一般の人々が文化として楽しむことである。

 

そう考えたとき日本は将棋が非常に盛り上がっており、学校の教室などでも将棋をする生徒がいたり、社会人であっても将棋で話をしたり対局したり、巷の銭湯や将棋教室などでも多くの人が日々将棋をプレーしている。

日本人が頭脳競技で日々頭を使い、そこにコミュニケーションが発生する。その文化的意味合いはガラパゴスであるかどうかなど関係がないほどに大きい。

これだけ連日頭脳ボードゲームが話題になり、テレビで放送される国はなかなかない。チェス大国のロシアでも実際これほどチェスが普及しているわけではなく国民の平均的IQもそれほど高くはない。そう考えたとき日本人が平均的に高知的水準になっていることは恵まれたことなのである。

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これほど文化的に成熟した状況で、仮にチェスを持ち上げて世界に日本のチェスが通じないことが判明したときもしかしたら日本人はこういった頭脳競技に冷めてしまうかもしれない。現実は知らない方がいいのである。ラグビーも大学ラグビーが流行っていた時期は盛り上がったが、世界との差が明らかになって人気を失って行った。

囲碁や相撲も大陸に追い付かれて日本人は情熱を無くしていった。あくまで日本は強くて優れているという世界観の中だからこういった文化は盛り上がるし、知らない方がいいこともあるのだ。

仮にチェスの世界に挑戦してロシアや中国、インドに歯が立たなければ日本人は情熱を無くしてしまうだろう。それよりは将棋のようにガラパゴス政策、保護政策を獲っていたほうがいい。

 

現にAIに厳しい態度で接し制限してきたことで将棋は権威を保てており競技人口も増えている。こういった政策は上手いやり方であり、むやみやたらに世界との競争やAIによる発展を取り入れない方がいいことにだんだんと多くの人が気付き始めている。

その競技の面白さはレベルに関係がない、更に言えばトップのレベルの高さなど一般のプレイヤーにとってはそれほど重要ではなく関係ないのである。

日常的に一般の国民が頭を使うことが大事なわけであり、国威発揚のために頭がいいことをチェスの成績で証明する必要はないのである。

実際中国はチェスやIQテストなどでは非常に強いが現実にはノーベル賞受賞者は一部の特殊な例に限られている。しかし日本は21世紀に入ってからは世界トップ3の速さでノーベル賞受賞者を輩出している。

本当の頭の良さというのは競技の特性だけでは測れないものである。日本語に関してもそうだが、自国のものが充実していれば実は海外の物などそれほど必要ないのだ。頑張ってチェスや英語を取り入れてもノーベル賞や特許が手に入らない国と、自国の競技と自国の言語を徹底的に充実させることで世界に対抗できる国、どちらが幸せだろうかという事に最近自分は気づき始めている。

 

個人的にはチェスという競技が好きであり、将棋文化並の成熟度がチェスにも行き渡ればこの競技において日本人は活躍できるのではないかという期待もある。たとえば戦国時代に日本がスペイン、ポルトガルのように世界に進出していたら強大な領土を気づきあげていたのではないかという歴史イフのように日本人がこれほど成熟した将棋文化をチェスにも投資したらどれだけ強くなるのかという期待がある。

しかし同時に内需拡大やガラパゴス文化鎖国文化の中だから充実し発展する部分もある。

 

また仮にそれが失敗してチェスで弱くて、誰もボードゲームに興味持たないという状況になるなら、やはり将棋盛り上がってたほうがいい。ラグビー、囲碁、相撲のような国際化に失敗したコンテンツと同じ道を歩むならばやはり国民的な文化として国内だけで盛り上がっていたほうがいいだろうし、一般の人々が民間の文化でこの手のボードゲームをやるようになる。

日本だけで競争しても限界があるというのは案外幻想であり必ずしも世界との厳しい競争の中で磨かれるとは限らない。小規模にコンパクトに自国の中で充実した文化が盛り上がることも文化的に見て非常に重要な事なのである。

 

サッカーみて世界中の天才がしのぎを削ってその世界に日本人選手が挑戦しているのみると、世界中で盛り上がってることの面白さにも憧れるが必ずしもチェスにおいて同じことが再現できるとは限らない。それよりは徹底的に一国主義に集中したほうが国内文化は盛り上がる。現実に戦後の日本は世界との関わりをそれほど積極的に行わず一国の内需を中心に世界の経済大国に上り詰めた。

今になってそういう昭和的な世界観の方が日本人にとって幸せだったのではないかと思わずにはいられない。日本人が日本的な世界観だけでも十分幸せだった時代があった。それを支えていたのはガラパゴス文化であり、将棋は今数少ないガラパゴスジャンルの一つである。無理に国際競争にさらさず、日本人だけが日本の中だけで楽しむようなコンテンツが存在しても良いのではないだろうか。

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