負け組ゆとりの語り場

社会に取り残された男が日々を語る

人生に努力って本当に必要なの?

日本人は無意識のうちに努力を神格化している、努力が万能だと考えているとよく言われる。努力至上主義者や努力をしないことを批判する人は多い。

自分自身は「何かを得るためには何かをしなければならない」という基本的な真実に関しては賛成である。「努力しなくてもいい」という甘い世界は存在せず、獲物が欲しければ狩りをしなければならないし、果実や作物を得たければ探したり畑に種をまいて育てなければならない。

 

自分が日本社会で問題だと考えているのは「努力=苦しいことを長時間やり続ける事」だと思っている勢力が未だに多い事である。

「努力=苦しい事」と直結してイメージで考えている人が多く、何かを頑張る時や準備する時もそういったイメージしか持てない人がいる。

スポーツなどでも「楽しんで練習したら駄目」「楽しい練習は役に立たない」「苦しいことが自分を成長させる」という精神論がまかり通っていて、例えばサッカーにおいてもボールを使った練習よりひたすら走らせるような練習が未だに常態化しており「トーキックを使ってはいけない」「ヒールパスをしてはいけない」という謎のローカルルールが存在したりする。

 

実は人間という生き物は楽しみを求める生き物であり、楽しい物の方が上達するという側面がある。語学に関しても日本式のつまらない勉強方法でがり勉のように勉強している人が全く話せるようにならず、アニメを見たりマンガ読んだりして遊んで覚えたような外国人のほうが日本語を流ちょうに話せたりする。

サッカーでも日本式の根性教育の部活サッカーで育った選手よりも、プレー中に遊んでいるようなブラジル人の方が上手かったりする。

 

教材や指導方法においてもっと楽しいメソッドや、続けられるような方法を取り入れるべきでありそしてこれは個人の人生においても変わらない。これからの時代「好きなことのための努力」をしていき、そのジャンルを本気で極めたような人が勝ち残っていくような人間になるのではないかと自分は考えている。

21世紀は時代の変わり目で、ここ最近その傾向は強まっているように感じる。

 

例えばゲームにおいて上手くプレーできない時に我慢してプレーし続けるより、一回休んで気分転換してお酒でも飲んで楽しくなった後にもう一度再開したら急激にプレーが改善されて上手くなるようなことがあるし、語学の勉強でもつまらない参考書を一晩中読み続けるよりも楽しい番組でも見たほうが上達するようなことが個人的な経験としてある。

 

遊んでる時に努力していない、無駄な時間を過ごしていると考えるのは日本人の良くない癖かもしれない。

むしろ遊びや楽しいことを工夫して努力に変換することがこれからのトレンドになっていくのではないだろうか。特に語学に関しては間違いなくこの理論が当てはまると思っていて、面白い勉強方法をもっと学校や教育の現場でも取り入れていかなければならないように思う。

実際日本の有名な同時通訳者も「好きなことを外国語で学ぶことがコツ」と語っており、つまらない文章を読むよりも自分の好きなジャンルについて書かれた文章を読むことの方が大事だと語っている。

それで言うならば、どうでもいいような教科書や参考書は全部廃止して英語に翻訳された日本の漫画を3年間かけて読み切るという勉強方法をした方がよっぽどカリキュラムが終わったときに英語は身についているのである。

 

最近では実際漫画やラノベも取り入れられているようだが、自分はもはやそれだけでいいのではないかとすら思っている。英語の授業の時間=漫画やラノベを読める時間ぐらいにしたほうが学生も楽しく勉強できるし上達してコツをつかんだ子は休み時間に暇だから読むようになったりするかもしれない。そして教室に英語版で人気漫画を完備して図書室にもいくらでも漫画があるような状況にした方がいい。

 

「ただし読むには英語が必要」という条件にして、学校でも漫画読み放題だけどその代り英語を使うことが条件という工夫が必要なのではないかなとも思う。漫画自体日本の重要なコンテンツ産業の一つでもあり漫画と英語の組み合わせは必要なのではないかなと思う。

外国語の勉強をしている人も、無駄に参考書を買い集めるよりも翻訳版の全巻セットを買って読み切ったほうがよほど身につくのではないかなとも思う。

「努力は必要なのか」という話から語学の話に飛躍したが、これからは楽しみながら努力するということがトレンドになっていくかもしれない。