負け組ゆとりの語り場

社会に取り残された男が日々を語る

好きでもない英語を無理に勉強する必要はない

語学を勉強している人にもいろいろ立場があって、例えば受験勉強として英語を学生の立場で勉強しなければならない人は当然英語は勉強したほうがいい。

もはや日本において英語の勉強は避けては通れないのが現実だ。

また社会に出てからも英語ができるだけで仕事の幅は広がる。

 

しかし本気で語学を極めて語学で生きていきたいと思っている人や趣味で何か生活とは関係なく語学を始めたいと思っているならば立場は別である。

現状すぐに英語が必要でないという人は無理に勉強する必要はないんじゃないかなというのが自分の考えだ。

人間というのは基本的によほどの才能がない限り「本気で好きでやってる人」や「才能のある人」に敵わないという不変の真理がある。

 

そう考えたときに本気でアメリカやイギリスの文化が好きで、将来的にアメリカ留学、イギリス留学を考えているような人に仕方なく勉強している人が勝てるはずがない。

好きでやっている人は楽しんで勉強していることで思う存分伸びる、そして勉強が続く。逆に好きでもない人の勉強は結局続かなく挫折する。

 

実際自分がある程度英語を勉強して直面した壁はそこにあり、「結局本気で英語が好きな人や帰国子女には勝てない」ということを悟ったのである。そこを努力で補えばまだなんとかなったかもしれないが、一度消えた情熱の炎はなかなかもう一度萌えはじめることは無い。

 

そういう時に自分が勉強し始めたのは第二外国語であり、現在この勉強が非常に楽しく毎日のように続いている。

本気で好きな物ってそう簡単に成長しなかったり結果が出なくても楽しめるもので、「好きだ」ということは何よりも重要な情熱のエネルギーになることに気付かされた。無理して英語を勉強していた、無理に英語を好きになろうとしていた、正直自分が英語の勉強をしているときはそう感じていたが今はそう感じない。

 

また「積み重ねてきた英語力」がもったいないという考え方も、実は英語の勉強は特に西洋の言語には役に立つことが多く無駄になっているとは一切感じていないどころかむしろ英語の勉強経験に助けられているということを感じずにはいられない。

更に「積み重ねてきた英語力」というのも、実際は大したことではないことが多く数年後のことを考えたときにあっという間に逆転するのである。

つまり

この先積み重ねてきた英語を10年勉強し続けた場合と、英語をやめて好きな勉強を10年間勉強し続けた場合、後者の方が圧倒的に成長している可能性が高い。10年どころか2,3年ですらその差は簡単に埋まるかもしれない。それぐらい好きなことを学ぶという事は強いエネルギーを持つ。

 

また日本の英語の勉強自体がつまらないため、英語の勉強に対して嫌悪感を抱いている人も多い。自分自身は学生時代英語の勉強が楽しくて、得意だった側だが、それでもそこまで楽しい勉強だとは言えなかった。

それゆえに「英語の勉強=つまらなくて大変」と考えている人が日本には多い。

こういう人は英語だけが全ての外国語だと思う必要はないということに気付くと世界が広がるかもしれない。

全く英語以外の外国語にも興味がないし、海外にも興味がないという人は語学以外の勉強をした方が上達は早いが、英語以外の言葉なら少し興味はあるという人はぜひ初めて見ると面白いかもしれない。

 

よく学生時代、数学が嫌いだったが大人になってから中学時代の教科書を読んで勉強にハマったという人がいるように大人になってから英語以外の外国語を独学で初めて魅力に気づく人は多い。日本の受験英語だけが外国語のすべてではない。

大人になったら好きでもない英語をわざわざ学ぶ必要はないのである。

しかし好きな外国語を学ぶことは「英語では発揮できなかった才能」を開花させ、自分の人生を大きく変えるきっかけになるかもしれない。