負け組ゆとりの語り場

社会に取り残された男が日々を語る

大日本帝国とは何だったのだか再考すべきだろう

大日本帝国について語る時、現代日本人は何を思うだろうか。あの時代日本が新興国として現れ世界に冠たる帝国を目指そうとしたことは事実であり今では考えられないスケールで物事を考えていた時代があった。

 

結局1945年にその帝国は崩壊するが大日本帝国にはどのような意味があったのだろうか。一つ言えるならば大日本帝国というのは未完成に終わり、物語の途中で夢破れた国である。

明治維新以来イギリスやドイツに憧れた日本人の壮大な夢であった大日本帝国の完成形とは一体なんだったのだろうか。歴史イフとして完成形がどんなものだったかは興味があるし、その想像を巡らすとロマンを感じずにはいられない。

つまり大日本帝国は浪漫だったのである。

100年近く前のことを今の価値観で判断することは間違いだろう。

あの時代日本は必死に生きていたし、その中で懸命に夢を思い描いていた。

それが今となっては悪しき帝国主義と判断されるだけであり、本当にあの時代を判断したければ当時の価値観を想像する必要がある。

 

戦前の日本、いやすべての歴史上の国や出来事を理解するためには想像力が必須なのである。想像力が人間が今の価値観だけで昔を判断すると間違いが発生する。歴史を語るには想像力が必要なのだ。

あの時代のことを今の世界に例えて見ると理解の手助けになる。

例えばあの時代日本の子供たちは大空に憧れていた。戦闘機は最先端の兵器であり国防の要でもあった。そして戦闘機パイロットは頭脳、肉体ともにエリートであり少年たちの憧れでもあった。レシプロ戦闘機も今見れば古いものだが当時は最先端技術が使われた最新兵器だったのだ。

 

今の日本で人気な職業といえばサッカー選手であり、昭和の時代は野球選手や相撲の力士などが人気だった。

そういった少年の憧れとして戦闘機パイロットが存在した時代、それを今に当てはめて想像したとき自分はある種の浪漫を感じずにはいられない。

零戦の映像などを今見ることがあるが、当時子供たちに戦闘機がどのように見えたのだろうかと思うと今では味わえないような昂揚感があったようにも思う。

 

元々日本人は歴史上ほとんどの時代が戦闘民族であり、世界屈指の戦好きの好戦的な民族である。現代の価値観ではそれらは批判されるが大人しく優しいことが美徳とされる時代と昔の好戦的な時代とでは価値観が違う。

そういう時代に航空機に憧れを思い描き、夢を抱いた人々がいた。

今以上に日本が凄い国だと思えて、軍事が最先端の憧れだった時代は一人の少年としてはある意味幸せだったのかもしれない。

バブルの時代にかっこいい車に憧れていたように、男というのはかっこいい機械に憧れる本能がある。それを全力で感じることができた戦前の日本は決して暗黒の時代のようには思えないし、いろんな浪漫や憧憬があった時代に生きることができたのは幸せだったように思う。

そういう軍事やミリタリー、かっこいいものが嫌いだという人はあの時代を不幸な暗黒時代のように語るが、それは少し想像力が欠けている。

 

今の中国人も中国が覇権主義を掲げ空母や戦闘機を開発してアメリカに対抗して世界一になろうとしてる姿に昂揚感を感じているのではないだろうか。

結果論で語るだけでは何も真実は見えてこない。

歴史とは常に過程の連続なのである。

連日領土が増えて、世界の大国としてアジアで唯一欧米と渡り合えて空母や戦闘機など最先端のものが開発されて、日本人が偉大な民族だと思えていた時代はある意味幸せだったのではないだろうか。その時代にいたら物凄く楽しかったのではないかと思う。

 

今の価値観があるからそれが間違っていると判断できるが、何も知らずあの時代の1人の国民だったときにその昂揚感を感じないことの方が難しい。

恐らく戦前を批判している人も、あの時代にいたらそこに喜びを感じていた可能性があるしバブル時代の熱狂を見ても日本人は自国が世界トップレベルになろうとしているときに喜びを感じるのである。

いや、それは日本人に限らず近代国家の人間ならば世界中誰もが感じる事でありあの時代国家や軍隊、領土というのは今以上に価値があり心のよりどころでもあったのだ。

娯楽が増え、市民生活が裕福になった現代だからそこに価値を見出さなくても楽しいがあの時代紛れもなくそこには希望や憧れが存在した。

 

今でもオリンピックやワールドカップで日本が活躍したときは熱狂する。そしてそれは日本に限ったことではない、世界中で行われていることだ。

昔は国家間の競争そのものがオリンピックやワールドカップのような立ち位置だったのである。

大日本帝国を再考する時に考えなければならないのは今以上に国家という組織体が世界史において重要な時期にあったという大前提である。

あの時代を不幸な時代だった判断するのは最終的な結末や戦後に訪れた繁栄を知った上で語る結果論にすぎない。 現代人が今の価値観であの時代を不幸だと決めつけることはあの時代を生きた人々に対しても失礼だとも感じる。

あの時代の過程にいると想像し、時代背景を考察した時に別の姿が見えてくる。

大日本帝国や戦前、いやすべての歴史について考えるときに必要なのはそういった想像力なのではないだろうか。