負け組ゆとりの語り場

社会に取り残された男が日々を語る

日本社会で通用しなかった人が海外に活路を求めてもいいよな

自分は間違いなく負け組であり、日本社会のレールから落とされた人間だ。もう日本社会では夢も希望もない、人生に行き詰まり感があり新しいことを始める気がしないという思いにとらわれる。数年後まるで明るい未来を想像できないのだ。挫折し失敗した後に同じ環境で夢を持つことは難しい。

また失敗するだろう、また認められないだろう、そんなことが自分の考えを支配する。

結局のところ自分は日本に向いてなかったのだ。

 

いつしかこの社会の停滞感に飽き飽きして、その社会で底辺に沈む自分に虚しくなり何の希望も持てずになっている。10代の頃に思い描いていた未来や抱いていた情熱は当に消え失せた。

「どうせ社会ってそんなもんよ」と半ばあきらめにも似た境地に達していた。

 

しかしその社会って何だろうか、世の中って何だろうか。

それって世界200あるうちの1つの国に過ぎない日本社会でしかないんだよということに気付いた。200もある国の中のたった1つの国で失敗しただけにすぎない。そして世界は日本だけじゃない。1/200の例を世界のすべてであるかのように語っていては世界観が狭い物にしかならないだろう。

 

そして自分は海外に活路を見出すことにした。ここ最近とにかく海外の事ばかり考えて将来的な日本脱出計画を具体的に考え始めている。

この感情、大学進学や県外に行くことを考えていた頃に似ている。

それまでの自分は所詮片田舎の一つの県がほとんどすべての世界だった。生まれ事態は都会とされている場所だが実際はほとんど辺境の田舎で育っている。

そんな自分にも高校生になると新しいチャンスが訪れる。大学進学で県外に出るチャンスがやってきたのだ。その時の高校生活はバラ色のキャンパスライフを思い描いてとにかく将来に対して明るい希望を持てた。今の高校生活はつまらなくても大学では一花咲かせる、県外では活躍できる、そう思い描いていた。

しかし現実には受験にも失敗し、流れ着いた志望していなかった大学でも失敗し結局中退することになる。

 

それ以来自分は日本社会の中で落ちぶれレールを踏み外し底辺をさまよい生きてきた。

そんな自分にもう一度「あの頃」のような希望が訪れる。

海外留学、海外への進学である。日本で大学を卒業できなかったとしても海外の大学に進学すればいい、そのことに気付いたのだ。元々この発想が生まれたのは自分がスペイン語の勉強をし始めたからである。しかしただスペインに行くだけでは漠然としている、そう考えたときにスペインで大学に通って卒業したいと思ったのだ。

実際スペインの大学は学費が安く、バルセロナマドリードのような主要都市でも生活費が日本に比べて安い。そして元々自分は大学関係なしにスペインにいつか行きたいと憧れていた、情熱の国スペインは自分にとって昔からの憧れである。その憧れに決定的な動機をもたらしたのが大学進学という夢である。

所詮大学中退、つまり高卒でしかない自分に大卒の肩書を得るチャンス、しかも海外の大学卒業という夢がもう一度できた。

 

もう一度大学生活をめざし、今度は自分の手で卒業する。

その壮大なプランはまるで高校一年生の頃のような希望を自分に取り戻させてくれた。

自分が高校生の頃に目指していた大学には結局行けなかったが、その大学を目指していた頃はなんだかんだで未来に希望が持てていた。全てを諦め自暴自棄になり世の中がくだらないと思ってた自分が再び高校時代のような希望を取り戻すことができたのだ。

 

もちろん道は険しい、途方もない夢であり壮大な計画である。

しかしそういった途方もない夢が欲しかったのだ。

何にも希望が持てずただ現実的に寂れたものを追いかけるよりも、10代の頃のようなエネルギッシュな情熱で何かを追いかけたい。

かつて高校生の自分にとっては「県外の大学」が輝いて見えた。

そして今の自分には「海外の大学」が輝いて見える。

結局自分は冴えないつまらない現状を打開するために遠い場所に希望を求めることが好きなのだろう。今度こそ絶対に夢をかなえる、実現できなかった夢の活路を海外に幹出す。

誰もできないと思っているが、自分だけはできると思っている、それが大事なのだ。

終わったはずの夢がまだ僕らの背中に迫る、とどこかの誰かが歌っていた。

 

このアイデアはつい昨日、一昨日に浮かんだアイデアである。

スペイン語の勉強も本当に始めたばかりであり、そもそも大前提となるスペイン語の取得が上手くいくとは限らないし個の勉強が1か月続くことすら不透明だ。そして欧州での生活費、渡航費の貯蓄などを含めると数年がかりの計画になる。

ただ自分は高校の3年を完全に無駄にした。そして大学生活さえも無駄にした。

その経験を活かしてこの3,4年を大切に過ごしたい。

もう二度と同じ轍を踏まない。

日本社会で失敗したことが役に立った、そう言えるように頑張る。

日本で通用しなかったら海外で活躍すればいいのだ。世界200分の1の国に固執する必要などないのである。日本で上手くいっておらずこの先数年頑張っても劇的な変化など見込めない、その停滞や先行きの無さにげんなりしているならば思い切って数年後の海外への脱出計画を考えるべきだろう。

一つの国だけが自分の実力を測る指標ではない。

もちろん日本で上手くいって、日本には大切なものがあり多くの人に認められ充実している人に海外脱出を薦めるつもりはない。

今までこの社会で上手く行っておらず落ちぶれて希望も持てない人に「日本だけが全てではない」と伝えたいのである。何も失う物がないならば海外に挑戦するべきだ。日本に固執する必要もなく、日本の価値観だけが自分がどういう人間であるかを決める絶対的な指標にはならない。

 

良い方向に変化するか、悪い方向に変化するかは予測できないがとにかく海外に行けば何らかの大きな変化は訪れる。日本で認められず落ちぶれている人は思い切って環境を変えるべきだろう。

日本社会が全てではない、ゲームも一つの街だけにいたらつまらないだろう。

海を渡り、そこで新しい人生を始める。

 

このまま日本でチャレンジし続けることに希望もなくもはやチャレンジする意欲すらない、そう言った人は思い切って「海外」というこれまでに考えなかった全く新しい夢を思い描くべきなのかもしれない。

 

それだけで日々の生活が変わる、何か大きな夢を持つことと、変化が訪れるという希望を持つことはメンタルを充実させる。それが上手くいくか行かないかに関わらず今とは違う未来を思い描いて過ごすことはそれだけで心のよりどころになるのではないだろうか。

少なくとも自分は数年後欧州の大学に進学するという夢を持ったことで、つい最近まで失っていた高校時代の頃のような情熱を取り戻すことができた。

少年よ大志を抱けとクラークはいったが、負け組よ大志を抱け、今自分にそう言い聞かせたい。