ルペン大統領候補を極右と呼ぶことは差別
フランス大統領候補のマリーヌ・ルペンや国民戦線を極右と呼び続けることに疑問を感じる。先代のルペン、つまり彼女の父親が党首だったときは紛れもなく極右だったかもしれないが今の国民戦線に極右と呼び続けるのは疑問だ。
右方向に行く時はすぐ極右呼ばわりだが、左方向に同レベルで進んでいるときは極左扱いされない。フランスのこれまでのやり方は間違いなく極左だがフランスは極左国家だと言われてこなかった。現在のドイツも明らかに極左であり、左翼国家と呼ぶ方がふさわしい。
それなのにいつもバッシングされているのは右翼だ。
彼らは「惨めな負け組が極右政党を支持している」というだろう。確かにそうかもしれない。その不満の先行きが今右派に集まっているのは世界的なトレンドだ。
だが元々負け組や弱者の味方だったのが左派じゃないのか?
その底辺や負け組から見放されて支持を失っているのが左派だ。むしろ勝ち組やインテリが今左派になり、「みじめな負け組が右翼を支持している」「右翼は低学歴の貧乏人」と批判している。
本来左派はそういう人々の味方なのに今そういう人々を見下す側に回っている。
右翼の事はいくら大手メディアで馬鹿にしても良いし、極右という言葉でレッテルを張ってもいい。ただし左翼の支持者を馬鹿にする事も極左という言葉も使うことは許しません。
これが今の支配階級のやり方だ。
むしろ左翼がかつての保守層になっており、革命で打倒するべきなのは左翼である。
かつて差別を批判し立ち向かった勢力が今は差別をする側になっている。
いつから左翼はただ自分たちの思想に酔いしれるだけの集団になったのか。
彼らは差別を批判する自分が好きであり、自分たちの差別行動には無自覚なのだ。
極右政党を差別的な集団だとレッテルを張り、自分たちの差別行為からは目を背ける。
日本の大手メディアまで加わってルペン氏をバッシングする、これはもはや集団による差別だ。
フランスの討論番組でも集団で寄ってたかってルペン氏を叩いていたが、少数勢力の意見に耳を傾けずひたすらレッテルを張りバッシングする、これは差別そのものである。
今やフランス人がそう言った右派を求めるのは必然だ。
どこにテロの危機があるかわからない。
左翼はレイシストや差別主義者呼ばわりされることよりテロに合う事の方がマシだと考えているのだろうか。それほどレイシスト扱いのレッテルを恐れているのだろうか。
そして差別主義者だと言われてでもテロを批判するまっとうな人間を差別する。
テロを疑問視する当たり前の意見を封じ込める。
なんという差別だろうか。彼らが大嫌いな差別を自分たちがやっている。むしろ今弱者叩きをしているのが左翼だ。
そういった弱者が右派に流れたとき「みじめな負け組」と批判し、普段は「強者が少数派を叩いているのが右派」と切り替える。
今左翼こそが支配階級の差別主義者である。
彼らはこれまで散々その手法で善良な人々までレイシストだの差別主義者だの批判してきた。今そのレッテルを張り返される時が来たのだ。
それゆえに世界は今右傾化の流れをたどっている。