負け組ゆとりの語り場

社会に取り残された男が日々を語る

創作は「自分でするから」楽しいのではないだろうか

最近、自分はアニメや漫画を見たり、新しいゲームを買ったりということがほとんどない。それは、最近のアニメや漫画がくだらないからということでは全くなく、自分自身が何かを作る側としての楽しみを優先しているからだと思う。

どれだけクオリティの高い物も受け身である以上それは受け身に過ぎない。

それよりもクオリティが低くても自分でやる方が楽しい。

この世の中で完全に自分に理想となる物を作ろうと思ったら結局それは自分がやるしかない。

 

自分にとって理想の作品は自分だけが作れる。

 

自分で作品を少しずつ作っていくことは、受け身として楽しむことでは得られない楽しみがある。

自分の好きなキャラクターを自分の好きなように動かす、うまくいかない製作を少しずつうまくいくようにしていく、その試行錯誤が楽しい。どのような作品にも結局自分の好みや理想に合わないものがあり、最近はもはや自分の好みに合うものすら見つけられなくなっている。

いや正確にはもはや見つけようとすら思わなくなったというのが真実だろう。何かを見つける時間があれば自分の中でどう作ればよいのだろうかと試行錯誤したい。最近はそういう考えになっている。

 

絵を描くことに関しても、何かを見て描くということは減った。

何も見ずに、いろいろ試行錯誤しながら描くことの方が圧倒的に多い。その場でイメージした即興性に意味があるのではないかと感じている。

何より今まで誰も描いたことがないものを積み上げていくことにはやりがいを感じる。

 

自分で好きなようにかけること、徐々に積み上げていくことこの2つが創作の楽しさだ。既存の商用作品を見ていても自分の中でレベルアップしていくとは感じられない。しかしどれだけ下手であっても自分で作る過程には意味がある。自分はそのプロセスを愛しているのかもしれない。

商業レベルやプロレベルで凄いが完全に自分の好みと合致しないものと、クオリティは劣るが自分が自分のために理想を思い描いた物とどちらが楽しいかと考えたときに自分はやはり自分で考えたものの方が愛着を感じる。

そういった個人創作文化というのが自分は好きでもあるし、そういう個人創作がもっとネットで流行ってもいいのかなとも思う。自分自身そういう手作り感のある個人の嗜好を反映したものの方が好きだ。そういうものはプロが商業の為だけに書いた物以上の味わいがある。

 

そこにうまい下手は関係ない。

自分だって下手なものを書いている。

だからこそ、他の誰かにももっと手作り感あるオリジナル創作を公開してほしいとも思う。専門教育を受けていないありのままの手作り感あるものがもっと流行ってもいいのではないだろうか。リアルな感性や個人の好みで思う存分書いた物がもっと流行ってもいい。そんな風に思いながら自分は創作活動を続けている。

今日から誰でもイラスト投稿者になれる。

そうやって自分で作ることに楽しみを見出す人々が増えてくれれば創作の世界はもっと面白くなるかもしれない。

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